子供のための歴史講座25:日露戦争 終戦編

いや〜乱世乱世。時は1905年。日露戦争の終結に向けて話し合いが行われていた。いよいよ終戦に向かったのだ。

※旅順で降伏したロシア軍
前回記事
子供のための歴史講座23:日露戦争開戦前編
子供のための歴史講座24:日露戦争開戦編


娘「戦争中に、仲直りの話をしたってこと?」

その通り。戦争は始めるより終わらせる方が難しい。そこで日本はジャイアンのロシアと戦う前に、スネ夫に仲裁役を頼んでおいた。

娘「イギリスはドラえもんでしよ?スネ夫は誰?」

アメリカだ。開戦と同時にアメリカに仲裁役を依頼していたんだ。だから話し合いはアメリカのバージニア州ポーツマスで行われた。のび太がドラえもんの手を借りてジャイアンと喧嘩して、スネ夫の家で仲直りの話し合いをしたわけだ。

娘「一件落着!」

そう簡単じゃない。ロシアはバルチック艦隊を失って制海権を失い、朝鮮半島でも苦戦していたけど、まだ戦力は残っていた。一方、日本はイギリスに借りたお金は使い切っていたし、武器もほとんど残っていなかった。日本側の小村寿太郎は、ジリ貧なのを気付かれずに、何が何でもここで終戦に持ち込まないとダメだった。

ロシアの皇帝ニコライ二世は、「ロシアはまだ負けていない」と主張して、条件面で折り合わなかったら、すぐに進軍させる準備をしていた。そこでスネ夫のアメリカがロシアと交渉して、なんとか条約にサインすることになった。

※ポーツマス会議

娘「よくサインしたね」

ロシアの最低限の条件だった、賠償金はゼロにするというのを日本が飲んだんだ。戦争を続けられない日本としては、これを飲むしかなかった。ここでサインされた条約をポーツマス条件という。

娘「とにかく戦争が終わって良かった」

当時の日本国民は、そうは思わなかったんだ。日本国民はヨーロッパ列強と戦うために、高い税金を我慢して払っていたし、家族を戦争に取られることも我慢した。ところが終わってみると、賠償金が全くもらえないので、日本にはイギリスへの借金が残った。

娘「でも、これ以上続けたら日本も危ないんでしょ?」

もう戦争を続けられないんです、なんて日本が言ったらロシアが戦争を再開するかもしれないから、日本政府は「お金のために戦争したわけじゃないんだよ」と言った。だから「ふざけるな」と、大勢が怒りだした。

日比谷公園に人々が集まって戦争終結に反対する集会を始め、暴徒になって警官隊と衝突したんだ。首相官邸や内務大臣官邸は、刀を持った暴徒に襲われ、東京内の交番が焼かれ、2000人以上が逮捕されて17人が死亡した。

※焼かれた建物

娘「日本もムチャクチャだったんだ」

この事件は、政府に終戦の難しさを植え付けることになったし、後の太平洋戦争にも大きな影響を与えた。いろんな意味で、後々まで影響を与えた戦争だったんだよ。


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