大友克洋って何がすごいのだろうか

 漫画家の大友克洋は、漫画の表現に革命を起こしたと言われています。しかし現在の目で見ると、さほど画期的には見えません。そこで1973年に世に出てから「童夢」「AKIRA」で漫画界に衝撃を与えた大友克洋は、何がすごかったのかを考えてみたいと思います。


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大友克洋の略歴

1954年に宮城県に生まれ、中学時代には漫画をむさぼるように読み、高校時代は映画にどっぷりつかって映画監督を見ていたそうです。やがて漫画家を志望するようになり1973年に青年漫画雑誌「漫画アクション」でデビューすると、短編漫画を中心に活動していました。79年頃から次第に注目されるようになり、80年に「童夢」の連載を始めます。さらに82年に「AKIRA」の連載を始めると一気に注目の漫画家になりました。


その後、1983年にアニメ映画「幻魔大戦」のキャラクターデザインに参加すると、88年には「AKIRA」を映画化し、日本だけでなくアメリカでも大きな反響が起こりました。大友の影響を受けた人の中には、映画「ターミネーター」の監督ジェームス・キャメロンもいて、キャメロンは何度か大友克洋にオファーをしています。大友克洋はアメリカでも名の知られた漫画家であり、ハリウッドの大物監督たちから絶賛されている漫画家でもあるのです。

先駆者だから今の目で見ると・・・

大友克洋は凄いと多くの人が言うので、読んでみたら大したことなかった、なんて声を若い人から聞くことがあります。それは当然で、大友克洋が与えた衝撃は大きすぎたので、士郎正宗(攻殻機動隊)も鳥山明(ドラゴンボール)も、荒木飛呂彦(ジョジョの奇妙な冒険)も、大友克洋の影響を受け、さらにこれらの漫画家が下の世代に影響を与え、今や大友克洋の影響はほとんど漫画家に及んでいます。

ですから大友克洋の漫画を読むと、どれも見たことあるような絵ばかりで、大友以後の漫画を読んで育った世代には、二番煎じばかりに見えてしまうのでしょう。私は今読んでも面白いと思いますが、絵面の派手さなどでは今の漫画より大人しめなので、退屈に感じる人もいるかもしれません。ありがちな場面にありがちな絵、ありがちな展開と思ったら、それが大友克洋の偉大さです。誰もが真似したがり、真似したくないと思っても影響を受けてしまう、そんな強烈なインパクトを与えた漫画家であり、アニメーターです。

「ショートピース」のリアルな絵

79年に刊行された「ショートピース」は、漫画界に衝撃を与えたと言われています。大友克洋よりも前に劇画ブームがあり、手塚治虫らのデフォルメされた漫画からリアルな絵が人気を集めたことがありました。しかし大友克洋の絵は劇画よりリアルで、漫画ではタブーと言われていたことを平然とやっていました。


例えば眉の描き方ですが、目と眉をくっつけるのが漫画の鉄則でした。白人に多い眉と目のくっついた顔立ちが日本の漫画の鉄則だったのですが、大友克洋は多くの日本人がそうであるように、目と眉を離して描きました。そして顔に皺を描き足すような安易な方法ではなく、細やかなデッサンで日常風景を日常として漫画に描き込んでいきました。日本の漫画のお約束を無視しリアルさを追求していった結果、他にはないオリジナリティを手に入れています。

「童夢」の革命 

リアルな絵だけでなく、圧倒的なスピード感を手にしたのが「童夢」でした。漫画ではスピードを表現するのに、効果線とかスピード線と呼ばれる線を描き足すことが定石でした。しかし「童夢」では、スピード線が全く存在せずにスピード感を表現しました。例えば人が誰かを殴る場面です。普通の漫画では殴り始める動作の絵があり、次に拳が相手の顔に向かって進む絵があり、拳にはスピード線が描かれます。そして相手が吹っ飛ぶ絵があり、吹っ飛ばされる体にもスピード線が描かれます。


大友克洋は映画が大好きで、映画では絶対に撮影できない構図を挑戦的に使いました。カメラが侵入できない構図で、漫画でしか表現できない世界を描いたのです。この大胆な構図は大友構図と呼ばれて独自の世界観を生み、他にはない雰囲気が漂うようになりました。また、この漫画では超能力による力を球体で表現したことも話題になりました。後のSF漫画の基本的な要素が「童夢」に盛り込まれました。

背景で語る

背景はリアリティを増すために描かれていましたが、大友克洋は背景を徹底的に細かく書き込むことで実写映画のような雰囲気を作りました。視点がレンズのような歪を帯びることもあり、目で見ている世界ではなくレンズを通して見る映画のような錯覚を覚える絵もあります。そして背景だけを描くコマが散在し、背景に語らせる試みを行っています。


「童夢」では団地が舞台になりますが、団地は均一な線で描かれたため無機質さが強調されました。やがて景色がゆがみ団地も歪むようになると、まるで生き物の内部にいるかのような錯覚すら覚えます。また箱庭の中での出来事のように描くことで、読者は神の視点で見ているような感覚も覚えます。大友克洋は背景を自在に操り、読者の視点を誘導し、独自の世界に読者を引き込んでいきました。このような表現は従来の漫画には存在しない、大友克洋によってもたらされました。

アメリカを興奮させた「AKIRA」

「AKIRA」はアニメ映画になり、青年誌でマニアックな評価を受けていたコアな存在から一般の人にも知られ、熱狂的な支持を得るようになります。そしてアニメ映画を監督したことで、大友克洋は漫画だけでなくアニメーションでも優れた手腕を発揮することを示しました。物語が難解だとか、何が起こっているのか話についていけないという人もいましたが、精密に描き込まれた都市の迫力に飲まれ、ぬるぬる動く実写映画のようなスピード感に圧倒され、「AKIRA」の世界観に引き込まれました。


ジャパニメーションの誕生

映画「AKIRA」はアメリカでも公開され、大きな衝撃を生みました。アメリカでアニメといえばディズニーであり、「トムとジェリー」のようなカートゥーンでしたが、「AKIRA」はそのどちらにも似ていませんでした。この衝撃は日本製アニメをジャパニメーションと呼ぶことに繋がり、やがてANIMEと言えば日本製のアニメーションを、MANGAと言えば日本製の漫画を指すようになりました。「AKIRA」の公開により、日本製アニメがアメリカで注目されるようになり、スピルバーグとキャメロンは日本のアニメの話ばかりしていると言われたりしました。

「童夢」はアメリカでも出版されますが、これが日本の漫画家に衝撃を与えます。日本の漫画は右綴じを前提に描かれていますが、アメリカで出版された「童夢」はアメリカのコミックと同様に左綴じで出版されました。右綴じの漫画を左綴じにするには、全ての絵を鏡写しに印刷することになります。多くの漫画は鏡写しにするとバランスが崩れることが多く、ここでも大友克洋の画力が際立つことになりました。

まとめ

大友克洋が登場する前を大友前、登場後を大友後と表現する漫画家があるほど、大友克洋が与えた影響は大きなものでした。そして大友克洋が描いた独特の構図、通称大友構図は映画にも影響を与えています。大友克洋の存在抜きに現在の漫画は語れないほど大きな影響を与えた漫画家ですが、作品が少ないために読んだことがないという方も多いでしょう。真似をされすぎて現在ではやや陳腐に感じるかもしれませんが、未読の方にはぜひ一度読んで欲しいと思います。


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