映画「シャイニング」は亡霊の仕業か精神異常か?

「シャイニング」のその後を描いた映画「ドクター・スリープ」が公開されたので、私のブログも以前書いた映画「シャイニング」の記事のアクセスが急増しています。私は映画「シャイニング」が好きで、何度見たかわからないのですが、もう一度この映画について考えてみたいと思いました。



あらすじ

小説家志望のジャックは、コロラド州ロッキー山にあるホテル、オーバールックホテルの面接を受けます。雪に閉ざされたホテルを管理し、その間に小説を執筆しようと考えたのです。妻のウェンディと息子のダニーを連れて、オーバールックホテルに移り住んだジャックは、毎日のように小説の執筆に励みます。猛吹雪と積雪によって下界と隔離されたオーバールックホテルでは、かつて管理人が発狂して家族を惨殺した事件が起こっていました。

※息子のダニー


しかし「輝き(シャイニング)」という不思議な力を持つ息子のダニーは、このホテルの異様さに気づいていました。やがてホテルの中では不思議なことが起こり始め、ジャックの精神は徐々におかしくなっていきます。

キューブリックとキングの争い

キューブリックが「シャイニング」の実写化に取り組むことになった時、キングは喜んだそうです。しかしキューブリックが映画用の脚本を書き進めるにつれて、両者の対立が激しくなっていきます。超常現象によるホラーを求めるキングと、無神論者で超常現象を全く信じないキューブリックの間に、和解の余地はありませんでした。両者の対立は激化し、キューブリックの電話を最後に2人は口をきかなくなりました。

※スティーブン・キング

※スタンリー・キューブリック


「君は神を信じるのか?」と尋ねるキューブリックに、キングが「もちろん」と答えると、キューブリックは電話を切ってしまいました。キューブリックにとって神を信じるのは、ある種の冒涜に近い行為でした。そのキューブリックの映像が「神の視点」と評されるのは皮肉ですが、ともかくキューブリックはこの電話以降は、キングの意図を無視して好きなように脚本を進めていきました。その結果、キングは映画「シャイニング」の出来に満足しておらず、現在に至るまで批判を続けています。

とにかく熱いキングの原作

キングの原作「シャイニング」は、純粋なホラー小説で、活劇とも言えるエンターテーメントに富んだ作品です。読者を飽きさせることなく、次から次へとさまざまなことが起こり、クライマックスは怒涛の展開でハラハラさせられます。映画版との決定的な違いはいくつかありますが、その一つがホテルに取り憑いた悪霊が明示されていることでしょう。



ホテルの過去の惨劇も含め、この悪霊が原因でした。主人公のジャックは徐々に悪霊に取り憑かれていきますが、最後まで抵抗を続けます。その根底にあるのは、家族への愛情です。悪霊が自らの体と魂を乗っ取り、妻子に手をかけようとするのをジャックは死に物狂いで抵抗し続けるのです。原作には家族愛が溢れています。

クライマックスでは、取り憑かれたジャックが妻子を襲いますが、そのためほったらかしになっていたホテルのボイラーが加熱しすぎてしまいます。妻のウェンディと子のダニーを追わなくてはならず、しかしボイラーも止めなければ爆発してしまう混沌とした状況に、ダニーらを助けるために登場したハロランによって、さらに状況は複雑化していきます。逃げるウェンディとダニー、それを追うジャック、そしてジャックを食い止めるべく「輝き」(シャイニング)という能力をフルに使って追うハロランの、息をつかせぬ攻防が展開されます。

キングの原作は熱量を帯びています。凍えるようなコロラドで、熱くたぎるようなドラマが展開されるのです。

とにかく冷たいキューブリックの映画

映画はオカルトなのか、ジャックの精神錯乱なのかわからないまま終わりを迎えます。ただ圧倒的に不気味な雰囲気の中、底冷えのするような怖さが全編に渡って展開されます。ホテルの様子からしてもそうです。例えば、ほとんど狂気とも言える執拗なシンメトリーの画面が、現実感を奪っていきます。

※当時の宣伝用ポスター


ホテルのエントランス、バーやトイレのシンメトリーは、まだホテルのデザイナーの拘りと解釈することも可能です。しかしハロランの部屋まで完全なシンメトリーになっている様子は、狂気を感じます。ホテルには人の温かみがなく、計算し尽くされた冷たさが覆っています。執拗に何度も画面に映り込む鏡も同様で、映画全体に描かれる二重性を表現しています。

クライマックスも、吹雪の中の迷路が舞台になり画面全体から寒々しさが伝わってきます。ダニーが前に迷った場所が伏線になっていて、機転の良さも含めて上手いつくりになっています。そこにはキングの小説にあるような熱量は存在しません。ジャックは寒さと疲労で徐々に力を失い、やがて凍死する静かなエンディングを迎えます。

なぜキングはキューブリックに激怒したのか

映像と原作は別物と考える原作者も多く、小説の一字一句を映像にするのは不可能と考える人も多くいます。しかし公開から40年以上過ぎた現在でも、キングの映画「シャイニング」批判は終わりません。最近は「エンジンのないキャデラック」と批判していました。内装の豪華さを堪能できるし、外観の格好良さもわかるけど、走らない車には価値がないと言わんばかりです。キングが激怒した理由の1つは、彼が大好きなホラーというジャンルをキューブリックが否定したことでしょう。

上記したように、キューブリックは無神論者なので神を信じていません。さらに超常現象も馬鹿げたことだと思っています。しかしキングは神を信じていますし、なにより子供の頃からホラーが大好きでした。キューブリックはホラーを否定しただけでなく、ホラー映画のセオリーも無視しました。観客に恐怖の一撃を与えるような、びっくり箱的な映像はほとんどありません。観客が悲鳴を上げて恐怖する場面は、ほとんどないのです。その代わりキューブリックは観客を混乱させ、映像の中の異常性を悟らせることで冷たい恐怖を与えました。脈絡のない登場に思えるものも多くあり、さらに観客を混乱させることになります。

このホラー映画のセオリーを無視した演出が、キングの怒りをかったのは間違いないと思います。キューブリックは「2001年宇宙の旅」で、観客を混乱に突き落としました。全てが説明不足で、何が起こっているのか誰も理解できず、その結果として憶測が憶測を呼び「2001年宇宙の旅」は現在でも議論を呼ぶ映画になっています。「シャイニング」でも同様に説明不足なシークエンスをふんだんに盛り込んだことで、従来のホラーとは全く異なる怖さが全編にわたって続くことになります。

※「2001年宇宙の旅」の一場面


そして何より「シャイニング」は、キングの自伝のような小説です。小説家を志し、教師の職を辞めてコロラド州ボルダーに移り住んだキングは、季節外れのホテルの地下で、ホテルの管理人が孤独に耐えかねて発狂し、家族を惨殺する記事を見つけます。妻子を食わせることができず、貧困にあえいでいたキングはこの記事を元に小説を書き上げました。それが「シャイニング」です。キングにとって思い入れのある小説を、キューブリックは全く異なる解釈で映像化してしまったのも逆鱗に触れた理由でしょう。

オーバールックホテルのモデル

キューブリックは奇人として有名ですが、イギリスから絶対に出ようとしませんでした。「シャイニング」の次の作品「フルメタル・ジャケット」は、ベトナムが舞台にも関わらず、全てイギリスで撮影されました。映画「シャイニング」の舞台はアメリカのコロラド州ですが、当然ながらイギリスで撮影されています。

舞台になったオーバールックホテルは、オレゴン州にある「ティンバーライン・ロッジ」というホテルがモデルになっています。世界恐慌の真っ只中、フランクリン・ルーズベルト大統領が推進したニューディール計画の一つとして建設され、完成した1937年にはルーズベルト大統領がテラスで祝福のスピーチを行った由緒あるホテルです。ただしこのホテルは外観のみが映画に使われ、中身は他のホテルがモデルになっています。

※ティンバーライン・ロッジ


キューブリックは撮影班をアメリカに送り、ティンバーライン・ロッジの外観を撮影させました。その映像は映画のオープニングにも使われており、さらにこの外観の映像を元にイギリスのスタジオにはハリボテの外観が造られました。

※撮影用のハリボテ


内部のモデルになったのはカリフォルニア州のヨセミテ公園内にある「アワニー・ホテル」(現在の名称は「マジェスティック・ヨセミテ・ホテル」)です。ジョン・F・ケネディ大統領やエリザベス女王も泊まったことのある、格式のあるホテルです。キューブリックの撮影班は、このホテルの内部を丹念に撮影してイギリスに持ち帰りました。ホテルの内部もイギリスのスタジオに精密に作り上げられました。

※アワニーホテル

複雑なホテルの構造

オーバールックホテルの中は不可思議なつくりになっていて、間取りがわかりません。それもそのはずで、キューブリックはホテルの中を何度も作り替えさせています。同じ場面を別の部屋で撮影するなどして、見る者を混乱させるようにしました。例えば冒頭でハロランがウェンディとダニーに食料庫の中を案内する場面です。食料庫に入るときと出るときでは背景が変わっています。



そもそもこのホテルはドアが多すぎます。廊下にドアがいくつも並びますが、明らかに部屋がない場所にもドアが付けられています。ドアの位置を検証したのが以下の絵です。


現実的にあり得ない間取りのホテルになっていて、非現実感に溢れています。そのホテルで奇妙なことが起こり、見る者をどんどん混乱させていきます。

シンメトリーと一点透視法

キューブリックは一点透視法を好む監督ですが、「シャイニング」でも執拗に繰り返されています。これまでの映画と異なるのは、シンメトリー(左右対称)の画面で一点透視法が繰り返されていることです。自然界にはないシンメトリーが繰り返されることで、映画全体の風景が常軌を逸していることが感じられます。そこに不可思議な現象が起こることで、独特の異様さが映画全体を包んでいきます。

※一点透視法で描かれるシンメトリーの廊下

※双子の登場によりシンメトリーが強調されます

※ホテルのロビーも一点透視法で描かれたシンメトリー

※ハロランの部屋もシンメトリーになっています

※237号室のバスルーム

さらに鏡が何度も登場します。鏡は同じ物を映し出すため、シンメトリーと同じ意味を持っています。

※トニーと話すダニーを鏡に映して見せています




※ジャックの立ち位置では顔が写るはずのない鏡

シンメトリーや鏡は二重性を表しています。陽気なジャックと家族を襲うジャック、ダニーとトニー、双子の姉妹、そして家族を惨殺した犯人のグレディはデルバート・グレディとチャールズ・グレディの2人がいます。そして恐らくですが、この映画の物語も二重性があると思われるのです。

ジャックは精神異常なのか

ホテル内で起こったあらゆることは、精神異常をきたしたジャックの妄想と言うことができます。またダニーも異常な光景を目撃しますが、空想の友達を作ってしまうダニーの妄想とも言えるでしょう。しかしウェンディを襲ったジャックが食品庫に閉じ込められ、ジャックが脱出する場面は勝手に鍵が開くためオカルト的な何かがジャックを手助けしたように見えます。このシークエンスがなければ、この物語は精神異常が作り出した妄想と言い切ることが可能なのです。

※閉じ込められたジャック

ではこの物語はオカルトなのでしょうか。キングとケンカをしてまで超常現象を否定したキューブリックが、最後の最後にオカルトにしてしまったとは考えにくいのです。ではこの食料庫のシークエンスはなんなのでしょうか。

視点の切り替え

妄想なのかオカルトなのかを考えるときに、映画の中で視点が変わる場面があることに気がつきます。ジャックがホテルの迷路の模型を眺めるシークエンスがそれです。ジャックが迷路の模型をのぞき込み、その模型の中に遊んでいるウェンディとダニーを見ている場面です。

※ここもしつこく一点透視法です。

ジャックの視点で模型の中にウェンディとダニーを見つけると、そのまま迷路にいるウェンディとダニーの様子にカメラは移っていきます。このようなシークエンスは、これ以外にはありません。つまりこの場面と後では、違う視点で語られていると考えられるのです。そこでジャックが模型をのぞき込むまでが現実の物語で、模型をのぞき込んだ後はジャックの小説の世界という仮説が成り立ちます。

※迷路を歩くウェンディとダニー


ジャックは発狂しておらず、妻子を殺そうともしておらず、全てはジャックが書いた小説の世界の話というわけです。ですからオカルトのように食料庫の鍵が開くのも、小説の中の出来事ということになります。もちろん、これが正解というわけではなく仮説の1つに過ぎません。「2001年宇宙の旅」の製作時に、「こんなに説明をカットしたら、観客は訳がわからなくなる」と抗議するアーサー・C・クラークに対して「説明をすればマジックがなくなる」とキューブリックは反論しています。わざと謎を残し、議論が起こるように仕向けたキューブリックの策略なので、正解がハッキリすることはないのです。

まとめ

映画「シャイニング」は、謎を多く残した作品でありながら寒々しい恐怖が続き、見る者を夢中にさせる魔力があります。私は数十回この映画を見ていますが、見るごとに新たな発見があります。さて現在公開されている「ドクター・スリープ」ですが、映画「シャイニング」の続編ではなく小説「シャイニング」の続編の映像化と思った方が良さそうです。映画「シャイニング」の世界観はキューブリックによる唯一無二のもので、他の人には再現できないものです。これかも映画「シャイニング」は議論の対象になるでしょうし、その謎は存在し続けると思います。

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