足を組む、手はポケットに /日米マナーの違い

トランプ大統領が来日し、天皇皇后両陛下と会談した際にメラニア夫人が足を組んで座ったと批判されました。日本では足を組むのは行儀が悪いとされますが、この件に関してはマナー講師の方々が口々に「アメリカでは足を組むのがマナーです」と言ったりしています。私もタイトルにマナーと書いたのですが、実はマナーとは少しニュアンスが違うのではないかと思っています。そこで今回はアメリカと日本の違いを書いてみたいと思います。



もう20年以上前のことですが、2ヶ月間も缶詰にされて英語の研修を受けた時に、クロスカルチャーの授業がありました。主に日米の文化の違いを学ぶ時間だったのですが、この授業がとても面白いものでした。講師は日本語が上手なアメリカ人で、研修中は日本語の使用が禁止されていたのに、クロスカルチャーの授業だけは日本語で行われました。

リラックスが重要

アメリカでの対人関係では、リラックスが最も重要になると言われました。人は嘘をつく時、悪巧みをしている時、大抵は緊張します。だから緊張している人は、嘘をついていると思われるのです。あらゆる場面でリラックスしているかどうかが見られるので、常にリラックスした態度と表情であることが大事だと言われました。




アメリカ人は、日本で道を尋ねる時にもニコニコ顔で近づいてきます。これは「悪意はありませんよ」「怪しい者じゃないですよ」という意思表示なのです。この「緊張してませんリラックスしてます」というのが、あらゆる場面に登場します。大袈裟なアメリカ人の笑顔とジェスチャーの裏には、こういった想いがあったわけです。

イスに座るときは足を組む

イスに座る時は、やや浅めに腰掛けて足を組むのが基本です。これも「リラックスしてます」という意思表示です。これはどんな場合にも有効で、講師は「もしあなた方がアメリカ大統領に会う機会があれば、必ず足を組んでください。日本式の座り方では、大統領を不安にさせます」と言っていました。


ですから就職のために企業で面接を受ける際も同様です。足を組んでリラックスして話さないと、企業の面接官は嘘をついているのでは?と思ってしまうのです。この感覚は日本とは真逆なので、私たちにはなかなか馴染みませんよね。しかし日本の就職面接が「完全週休二日制です」「残業はありません」と事実に反する説明をし、「パソコンは得意です」「体力には自信があります」と、就活生もデタラメなことを言うライアーゲーム状態なのですから、アメリカみたいにリラックスして面接をやるのもいいかもしれないと最近思っています。



会社で上司の話を聞くときも、医者が病状を伝えるときも、大事な話をする時には足を組んで、嘘をついていないことを示すのです。これは本当に日本人には難しく、私は英語のスピーキングテストの練習で、試験官の前でスッと足を組めるようになるまで、かなり時間がかかりました。しかし足を組まないと印象が悪くなるというので、かなり時間をかけて克服しました。

ポケットに手を入れて話す

大勢の人の前で話す時にも、リラックスしていることが重要になります。例えば選挙演説で、日本なら聴衆に一礼してから、気をつけの姿勢で話しますが、アメリカ人には緊張して話しているので嘘をついているように見えてしまいます。 「住民税を5%下げます」と熱く訴えても、これでは「どうせ当選したら知らんぷりだろう」と思われるのです。


そこで片手をポケットに入れて話すだけで、ずいぶんリラックスして話しているように見えます。話に真実味が加わるのです。これはどんな場面にも有効で、営業マンのプレゼンや、社内でプロジェクトを説明する時など、とにかく複数の人の前で話すときは、片手をポケットに入れるのがベターな方法です。ちなみに両手をポケットに入れるのは、リラックスしすぎでマイナスになると言われました。

机の上に足を乗せる

アメリカの映画やドラマを見ていると、オフィスで偉い人が机に足を乗せている場面があります。日本人からすると、ずいぶんと横柄な気がしますが、これもリラックスしていることを示しています。今は忙しくないから、相談がある人は話しかけてくれても大丈夫だよ、という意味なのです。

※オバマ大統領(当時)

ただ、これはアメリカでもお行儀が良くないと考える人もいるようで、自分より目上の人が来た場合には足をどかしますし、否定的な人もいるようです。アメリカに行ったからといって、日本人が真似するのはあまり良くないという風に言われました。しかしアメリカ人が机に足を乗せて座っているのは決して横柄だからではなく、むしろ話しかけても大丈夫だというサインというのは覚えておいて損はないと思います。

ちなみに食事をするテーブルに足を乗せるのは汚いと思いましたが、それも違うようです。テーブルクロスを掛けてから食事をするので、テーブルクロスそ掛けていない状態ではカバンを載せようが足を乗せようが関係ないと思っているようです。逆に日本ではテーブルクロスの上に手帳や携帯電話を置く人がいますが、これはとても行儀が悪いと思われます。フランス料理のコースではテーブルクロスにナイフやフォークが並べられています。テーブルクロスを掛けたら、そこは皿の上と同じ扱いと考えた方が良いようです。皿の上に携帯電話を置いたら、日本でも嫌がられますよね。テーブルクロスはそういう位置付けのようです。

コートを着たまま部屋に入る

誰かの家を訪問した場合、コートを脱いでから入るのが日本ではマナーとされていますが、アメリカではコートを着たまま入ります。コートを脱ぐのは相手からコートを脱ぐように言われてからです。相手から言われないのにコートを脱ぐのは、失礼というか図々しいという印象を与えてしまいます。クロスカルチャーの講師は「日本でも、玄関先で勝手に靴を脱ぎ始めたら図々しいと思うでしょう?アメリカでは、コートが日本の靴にあたります」と説明していました。


コートを脱ぐということは長居するという意味になるので、ホストから「コートをお脱ぎになって」と言われるまでは、コートを着ているのが良いそうです。アメリカの映画を見ていると、コートを着たままリビングルームに入っていますし、会社でも相手のオフィスにコートのまま入りますよね。あれは「長居はしません。すぐに帰ります」という意思表示なのだそうです。

これを踏まえてアメリカのドラマや映画を見ていると、同じ場面でもちょっと違って見えてきます。事件の関係者が「捜査への協力は惜しみません」と言いつつ、刑事にコートを脱ぐように勧めることもソファに座るように勧めないことがあります。これは本音では捜査協力なんて面倒だから帰ってくれと、無言で伝えているのです。少々古いですが「刑事コロンボ」では、こういう場面を毎回のように見ることができました。

クロスカルチャーの教材 映画「ガンホー」

この授業で、アメリカ映画「ガンホー」を見ました。トム・クルーズの最初の妻ミミ・ロジャースも出演しているロン・ハワード監督のコメディで、日米の文化の違いがギャグになっていました。


町の自動車工場が閉鎖になり、住民の雇用を守るために日本企業のアッサン自動車を誘致するのですが、日米文化の違いから起こるドダバタ劇になっています。アメリカ文化に不慣れなアッサン自動車の高原と日本の企業文化に戸惑うアメリカ人たちは対立しますが、やがて互いを認めるようになっていきます。レッドカーペットで靴を脱いでしまう高原の行動はどうかと思いますが、子供が生まれそうだからという理由で早退を認めないことなど、日本人が見てもそんなに変な描写はありませんでした。アメリカ人から見ても、そんなに変な描写はないそうです。



自分たちの文化を押し付けるのではなく、互いに違う文化を認め合うことが大事だということが映画のテーマになっているのですが、それは今回のメラニア夫人の件にも繋がります。メラニア夫人の足組が気になり、失礼ではないかと声を上げた人達は、アメリカの風習を知らなかったわけで、それは仕方ないと思います。しかし以下のような声は気になりました。

・日本ほど礼儀や品格を重んじないからね
・ラフでカジュアルなのがアメリカ
・日本みたいに謙譲語も尊敬語もない

アメリカにも礼儀はあるし、品格だってあります。英語には敬語がないという人もいますが、ちゃんと敬語はあります。ただ日本とは考え方もやり方も違うだけなのです。自分たちの考え方やマナーを絶対視し、それに合わないと品格がないなどと言うのは傲慢な態度ですし、国際間のトラブルはこういうところから始まると思います。他には

・日本に来て両陛下に会うんだから、日本のマナーぐらい学んできて欲しかった。

という意見もあり、これは一理あるなぁと思いました。

これらは絶対ではない

最近の日本の風潮だと、マナーを守らないと「それはマナー違反です」と指摘されてしまいます。しかしマナーの強要は最大のマナー違反で、これはとても恥ずかしいことなのです。こういう人たちは足を組むのがアメリカのマナーと言えば、足を組まない人はマナー違反だということになりそうですが、これは全く違います。リラックスした態度を見せ、私は嘘をつかないし、あなたと腹を割って話したいと態度で示すのに足を組むのが一般的というだけです。足を組まずにリラックスした態度で相手を和ませる人もいます。実際に足を組んでリラックスして話しているメラニア夫人の隣で、トランプ大統領は足を組まずに天皇陛下と話していました。

何が何でも足を組まなくてはならないというルールはありませんし、足を組まないとダメということもありません。マナーをルール化して絶対視することで、最近は本来の意味が失われていることが増えているように思います。

まとめ

足を組んで話すのはアメリカでは一般的で、それ以外にも日本とは正反対のマナーや風習が多くあります。クロスカルチャー・マネジメントというのがあり、異文化の人を集めると同じ日本人だけのグループより大きな成果を生むこともありますが、異文化が障壁になって揉めるだけのこともあります。互いの文化を知り、認め合う世界は理想的ですが、現実にはなかなか難しいということを、今回の騒動で改めて思いました。


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