ヘンリー王子は王室の反逆者か

イギリス王室のウィリアム王子とヘンリー王子の確執が、世界的に注目されています。ヘンリー王子はなにかと世間を騒がせることで有名ですが、今回はドキュメンタリー番組でウィリアム王子との確執を認める発言をしたのです。メディアに叩かれっぱなしの妻、メーガン妃の話題と相まって、今大きく騒がれています。


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ヘンリー王子とは

1984年9月15日、チャールズ王太子とダイアナ妃(当時)の間に、次男として生まれました。ダイアナ妃が愛情を込めて「ハリー」と呼んでいたため、ハリー王子と呼ばれるようになりました。大きな病気にかかることもなく順調に成長していましたが、12歳の時に母親の死を経験します。

※少年時代のヘンリー王子


イートン校から陸軍士官学校に進みますが、数々のスキャンダルを起こして、ダーティ・ハリーとメディアから呼ばるるようになります。陸軍士官学校を卒業と同時に陸軍に入隊すると、近衛兵連隊に所属しました。2007年にはタリバン掃討作戦に参加し、さらにはヘリコプターを操縦してミサイル攻撃を行う任務にも就きました。ヘンリー王子の従軍は機密事項でしたが、タプロイド紙がすっぱ抜くとタリバンは公然とヘンリー王子殺害を断固として行うと表明しました。

この騒動でヘンリー王子は最前線から外されることになりますが、王族として特別扱いを拒否し、危険な任務に果敢に挑んだ姿勢は軍隊の内外から高く評価され、現地司令官からも「模範的な兵士」と評されました。ヘンリー王子が攻撃に参加して成果をあげたことについて、多くの新聞は英雄的行為と絶賛しています。

※陸軍の前線に向かうヘンリー王子


2017年にはアメリカ人女優のメーガン・マークルと結婚し、第一子アーチーが誕生しています。スポーツ好きで陽気な性格のヘンリー王子は、サービス精神も旺盛で、親しみやすい王族として高い人気を誇っています。

スキャンダルの系譜

11歳の95年頃から、酒やタバコを常習していたことが後に知られます。14歳の時にはアルコール依存症になり、2002年にはマリファナを吸って騒動を起こしました。2005年には仮装パーティでナチスの制服を着用して騒動を起こし、陸軍士官学校の卒業パーティでは女性との乱痴気騒ぎが報じられます。さらに2008年には泥酔した状態で、パパラッチと乱闘騒ぎを起こしました。これだけ見ると、王子の資質に欠ける問題人物のようです。

しかしこの騒動を時系列に並べてみると、ヘンリー王子がいかに傷つき、苦しんでいたかが見えてきます。

95年:チャールズとダイアナが離婚を発表。
   ヘンリー王子がタバコとアルコールを常習し始める。

97年:ダイアナがパパラッチとのカーチェイスの挙句に死亡。

98年:チャールズ王太子が息子たちにカミラを紹介する。
   ヘンリー王子がアルコール依存症になる。

01年:チャールズとカミラが公衆の前でキスをし、再婚間近と報じられる。
02年:ヘンリー王子がマリファナの更生施設に入る。

05年:チャールズとカミラが婚約を発表。
   ヘンリーが仮装パーティでナチスの制服を着用。

ヘンリー王子のスキャンダルの多くは、両親のスキャンダルとリンクしています。

母親っ子だったヘンリー王子

ヘンリー王子の記憶に残る母親ダイアナは、いつも泣いている姿だそうです。王室の力関係や確執、夫の不倫に傷ついたダイアナは苦しみ続けました。親の不倫に悩まされる子供は日本にも多くいますが、親の不倫を全世界に発表される人はほとんどいません。

※中央がヘンリー王子


父親の破廉恥な会話が報道された時、ヘンリー王子はまだ小学生でした。全寮制の学校で、ヘンリー王子は好奇の目に晒されたでしょうし、生徒たちが噂をしているのも聞いたでしょう。幼いヘンリー王子には、かなり酷な経験だったと思います。そしてエリザベス女王は、母親の味方になってはくれませんでした。両者の確執は幼いヘンリー王子にもわかったでしょうし、傷ついた母親に何もできない無力さも感じていたかもしれません。

ダイアナの死後、エリザベス女王はバッキンガム宮殿に半旗を上げることを拒否します。女王は母親に冷淡でしたし、王室にはダイアナを快く思わない人が少なからずいました。メディアに注目を一手に引き受け、チャールズ王太子を脇役に押しやったダイアナのやり方は、出しゃばりすぎと思われたのです。そんな中で、最愛の母親を亡くしたショックを誰が受け止めてあげたのでしょうか。ヘンリー王子の苦しみは、根深かったと思います。

※ダイアナ元妃の葬儀


みんな立派な地位に就いて立派なことばかり言うけど、誰もお母さんを守ってくれなかったらじゃないか。そんな風にヘンリー王子が思ったとしても、なんら不思議はありません。

王室への反旗か

ヘンリー王子は、意識的にか無意識かはわかりませんが、王室のしきたりや慣習に反する行為をすることがあります。その最大のものがメーガン・マークルとの結婚です。離婚歴があり、アメリカ人で、黒人の血を引いています。ウィリアム王子の相手なら、エリザベス女王は絶対に許可しなかった結婚で、ヘンリー王子が国王になる可能性が低いので実現したと思われます。さらに結婚指輪をつけるのも王族には異例のことで、結婚ではあらゆる慣習が破られました。

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メーガン妃へのバッシング

アメリカのニューズウィークは、2019年の4月に「メーガン妃への愛は冷めた?」と題して、イギリスメディアがメーガン妃へのバッシングを開始したことを報じました。イギリスメディアはメーガン妃が故ダイアナ元妃の宝石を使わせてもらえないことや、メーガン妃の好物のアボカドスナックを批判的に報じていることを伝えました。



また環境問題を訴えるメーガン妃がプライベートジェットを使用していることへの批判、親友のセリーナ・ウィリアムズのテニスの試合にかけつけ、セリーナが敗退するとメーガン妃は敗因のように書かれました。もはやメーガン妃を批判するならなんでも良いといった感じで、あらゆる行動に難癖をつけられているのが現状です。一方で、バッシングはロイヤルファミリーに入った人への通過儀礼的なものという意見もあり、メーガン妃が過剰に反応しすぎているという声もあります。

この件でヘンリー王子はご立腹で、公然とメディアを批判しています。かつてはメディアと良好な関係を保っていたため、さらにメーガン妃が悪く言われる原因にもなりました。さらにヘンリー王子は「メディアが母を殺した」と語り、メディアとの関係がこじれてきています。ウィリアム王子はダイアナの死を母にも原因があると語ったことで、兄弟の確執が報じられました。ヘンリー王子はウィリアム王子との確執を認める発言をしたため、再びメディアが再燃しました。

ダイアナの指輪への想い

ダイアナの死後、母親の形見としてウィリアム王子はダイアナが愛用していたカルティエの時計を受け取り、ヘンリー王子はサファイアの指輪を受け取りました。幼い頃、母の手を握ると大きな宝石が手に当たって痛かったと語るヘンリー王子は、指輪を見るたびにダイアナに手を引かれたことを想いだしたのでしょう。




しかしウィリアム王子がキャサリン妃と結婚することが決まった際に、ヘンリー王子は指輪をウィリアム王子に渡しました。自分が持つよりもキャサリン妃が持つ方がふさわしいと考えたのです。ウィリアムが王位を継承し、キャサリンから子供に指輪が託され、そしていつかダイアナの指をはめた人物が王位に就くことを夢見たのだと言われています。ウィリアム王子はキャサリン妃にプロポーズする際に、この指輪を出しました。現在はキャサリン妃の指にダイアナのサファイアの指輪は輝いています。

まとめ

ヘンリー王子は大好きだった母、ダイアナの喪失が人生に大きな影を落としているように見えます。対立する王室と母親の間で揺れ動き、母苦しみ続けたヘンリー王子が王室のあり方に疑問や反感を抱いていても全く不思議ではありません。ヘンリー王子が王室のしきたりや慣例を無視するような振る舞いを見せるのも、母親とは無関係ではないでしょう。

ヘンリー王子の振る舞いは、メディアとの良好な関係もあって批判されることはあってもすぐに収束していました。しかし最近では、王子がメディアを敵視するような発言を行っています。将来、ヘンリー王子は王室を揺るがすような行動をとるかもしれないという予想もあり、いま最も目が離せないロイヤルファミリーです。


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