宮沢りえの「サンタフェ」/カメラマニアが受けた衝撃
1991年、宮沢りえのヌード写真集「サンタフェ」の広告が新聞各紙に掲載されると、世間は文字通り蜂の巣を突いたような大騒ぎになりました。人気絶頂の美少女女優がヌード写真集を出すというのが衝撃的でしたし、事前に何の情報もなかったので世間は広告を見て写真集が出るというのを知りました。発売当時は書店に長い行列ができ、ワイドショーが連日連夜この話題を持ち出すのはもちろん、一般紙や報道番組でも取り上げられました。購入した人たちの興奮ぶりも話題でしたが、私の周囲のカメラマニアたちは違った視点でこの写真集に衝撃を受けていました。彼らは「宮沢りえの肌は人間の肌じゃない」と、言っていたのです。
わずか24mm×36mmのネガを引き延ばして写真にすると、当然ながら粒子が荒れていきます。そこでもっと大きなネガで撮影しておけば、引き延ばしても粒子が荒れません。ネガが大きな中盤カメラや、さらに大きい大判カメラはプロのカメラマンなどに重宝されていました。風景などは中判カメラの方が明らかに美しく撮影できるのです。
フィルムのサイズは645と呼ばれる6cm×4.5cmから、ブローニー判と呼ばれる6cm×9cmなど、さまざまな種類があります。
細かく描写できるということは、吹き出物の跡や肌荒れも写し出すことになり、必ずしも良いとは言えないのです。現在ならフォトショップで加工ができますが、当時はそんなものはありません(あったけど一般的ではなかったし、パソコンでフォトショップを使うには自動車1台買うのと変わらないくらいの費用が必要でした)。中判カメラは人物を撮るには適しているとは言えず、主に風景を撮るカメラという認識が一般的でした。プロカメラマンは中判カメラで人物を撮っていましたが、かなり高度なテクニックを要していました。
「宮沢りえの肌はどうなってるんだ?」
「全身にファンデーションを塗ってるんだろう?」
「汗をかいただけでダメになるのに、屋外撮影でそんなことするか?」
「ファンデーションを塗ってるなら、境目を探そう」
「髪の毛の生え際か!」
「顔は普通に化粧してるからダメだろ。体で探すんだ」
というわけで、全員がルーペを片手に陰毛の生え際を穴が開くほど見つめる奇妙なことになりました。
「わかんねぇ!何か塗ってるとは思えねぇ!」
「どうなってるんだよ。この肌は陶器かなにかでできてるのか?」
「こんなきめ細かい肌をした人間がいるはずがない!」
「シミひとつないどころか、どこを見てもきめ細かいぞ」
「一番擦れて荒れる尻の部分でも、このきめ細かさかよ!」
「人間の肌じゃねぇよ!」
カメラマニア達の議論
彼らは撮影者の篠山紀信が使ったカメラの種類を議論していました。撮影はニューメキシコ州のサンタフェで行われていて、美しい景色に宮沢りえの裸体が写し出されています。この景色の細部や写真集の画像の粒子から、撮影は中判カメラで撮影されていると彼らは結論付けました。普通のカメラでは、ここまで細かな粒子を再現できないというわけです。彼らの議論は、どのサイズの中判カメラを使ったのか?ということでした。![]() |
※篠山紀信 |
中判カメラとは
何が中版なのか定義はよくわかりませんが、普通のカメラよりもフィルムが大きいのが特徴です。今ではあまり見なくなりましたが、一般家庭に最も普及していたのが135フィルムというもので、フィルムの縦寸法が35mmになっています(そのため35mmフィルムとも呼びます)。このフィルムは実際に写真が写る部分は24mm×36mmで、小型で汎用性があるため世間的な標準サイズになっていました。というか、一般の人が買うカメラは、全てこのサイズでした。わずか24mm×36mmのネガを引き延ばして写真にすると、当然ながら粒子が荒れていきます。そこでもっと大きなネガで撮影しておけば、引き延ばしても粒子が荒れません。ネガが大きな中盤カメラや、さらに大きい大判カメラはプロのカメラマンなどに重宝されていました。風景などは中判カメラの方が明らかに美しく撮影できるのです。
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※中判カメラ |
フィルムのサイズは645と呼ばれる6cm×4.5cmから、ブローニー判と呼ばれる6cm×9cmなど、さまざまな種類があります。
中判カメラの悩み
私はペンタックス645という中判カメラを借りて、いろいろと撮影したことがあります。35mmフィルムと撮影の仕方がいろいろと違うのですが、上手くいくと風景のきめ細やかさは抜群です。しかしポートレート(人物写真)は、かなり問題があります。35mmフィルムより肌の細部まで写し出すので、決してきれいとは言えない写真になりがちです。化粧をしている女性の顔ならなんとかなることもありますが、素肌の男性などは35mmフィルムよりも汚い顔に見えることが多くありました。細かく描写できるということは、吹き出物の跡や肌荒れも写し出すことになり、必ずしも良いとは言えないのです。現在ならフォトショップで加工ができますが、当時はそんなものはありません(あったけど一般的ではなかったし、パソコンでフォトショップを使うには自動車1台買うのと変わらないくらいの費用が必要でした)。中判カメラは人物を撮るには適しているとは言えず、主に風景を撮るカメラという認識が一般的でした。プロカメラマンは中判カメラで人物を撮っていましたが、かなり高度なテクニックを要していました。
「サンタフェ」で使用されたカメラ
私の周囲のカメラマニアたちは、6cm×9cmのブローニー判ではないかと想像していましたが、篠山紀信の口から大判カメラの8×10だと説明されました。8×10はインチサイズで、20.3cm×25.4cmです。とんでもなく大きなサイズのフィルムが使われていたのです。サンタフェの美しい景色を撮るにはいいでしょうが、人物を撮るには肌の質感が出すぎてしまいます。ましてやヌード写真ですから、顔だけ化粧をしても全身の肌の荒れが見えてしまうのです。「宮沢りえの肌はどうなってるんだ?」
「全身にファンデーションを塗ってるんだろう?」
「汗をかいただけでダメになるのに、屋外撮影でそんなことするか?」
「ファンデーションを塗ってるなら、境目を探そう」
「髪の毛の生え際か!」
「顔は普通に化粧してるからダメだろ。体で探すんだ」
というわけで、全員がルーペを片手に陰毛の生え際を穴が開くほど見つめる奇妙なことになりました。
「わかんねぇ!何か塗ってるとは思えねぇ!」
「どうなってるんだよ。この肌は陶器かなにかでできてるのか?」
「こんなきめ細かい肌をした人間がいるはずがない!」
「シミひとつないどころか、どこを見てもきめ細かいぞ」
「一番擦れて荒れる尻の部分でも、このきめ細かさかよ!」
「人間の肌じゃねぇよ!」
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