加熱する報道への不安 /上村愛子がメディアにキレた日
オリンピックでのメダル獲得が増え、報道が加熱しています。熱心な報道は沸き立つ日本のファンを考えると当然なのですが、ソルトレイクシティ五輪で起こった事件を思い出してしまいます。これまでメディアに協力的だった上村愛子が「こんなことがあったら、もう皆さんにご協力することはできません」と報道陣に憤りました。温和な上村が本気で怒っていました。そして上村を怒らせてしまった報道陣は慌てました。
当時高校生だった上村は、そこからメキメキと実力をつけて、ソルトレイクシティ五輪に出場します。その後、トリノ、バンクーバー、ソチと5度のオリンピック出場を果たした、女子モーグルを代表する選手です。オリンピックでは表彰台に上がることはできませんでしたが、ワールドカップ年間総合優勝も遂げた第一人者です。
天才型の里谷多英は気分屋の一面があり、人と話したくないと思うとメディアはおろかコーチや友人達も遠ざけていました。そもそも人前で話すことが苦手な里谷は、常にメディアを避けていました。しかし上村は里谷に代わって報道陣の前に現れ、自分のことだけでなく里谷のことも答えていました。
「私はいつも愛子に助けてもらってる」
里谷は上村に感謝していました。一方で上村は里谷に気を使っていました。14歳の時に里谷のモーグルを見て、その格好良さに憧れました。何とか里谷の気を引きたくて「目がきれいですね」などと、用もないのに話しかけていました。そして里谷とともに代表に選ばれるようになると姉のように頼り、いっぱい甘えたといいます。しかし、いつしか里谷を超えたい、自分も金メダリストになりたいと思うようになり、目をぎらつかせて里谷に接する自分に気づき、「多英さんにとって、私は鬱陶しいだろうな」と心配するようになりました。
報道陣は声を掛ければ嫌な顔一つせず、どんな場所でも笑顔で話してくれる上村に取材が集中させました。「皆さんもお仕事ですからね」と、優しく迎える上村のファンになる報道陣も多かったそうです。しかし上村の気配りは、報道陣が心配になるほどでした。
ソルトレイクシティの選手村で、誰か出てこないかと凍えるような寒さの夜中に取材陣が待ち構えていると、暖かいコーヒーを入れたポットを持った上村が現れました。「寒い中、お仕事大変ですね」とコーヒーを配り始めます。上村は明日の朝からレースです。報道陣は上村の体調を心配し、「私たちのことはいいから、もう寝なさい」と、帰しています。レース前日であっても周囲の人たちを気にかけ、気配りをする上村に不安を覚える記者もいたようです。
上村の滑りが始まると、一斉に報道陣は母親にカメラを向け、コメントを求めました。目の前に人の壁ができてしまった母親は焦り「娘が滑るのを見せてください」と叫びます。すると報道陣の中から「こっちだって遊びで来てるんじゃねえんだよ!」という声がして、その勢いに押された母親は愛娘のレースを見ることを諦め、報道陣の質問に答えることに終始しました。
この一件を母親や周囲の人達から聞いた上村愛子は怒り、上記の「もうご協力できません」という発言につながりました。母親に初めて五輪を体験してもらおうと思っていた上村は、報道陣の身勝手さによって台無しにされたことに怒り、悲しんでいました。いつも笑顔の上村が本気で怒る姿を始めて見た報道陣は慌て、その後に各社の代表が集まって上村に謝罪を行っています。
平昌で笑顔でインタビューや取材を受ける選手達、そして過熱気味の報道を見ながら、再び選手の集中力を乱したり迷惑がかかるような事件がなければいいなと感じています。
上村愛子は報道陣に好かれていたので、私が知る限り悪く書かれたり言われることはありませんでした。唯一、彼女のネガティブな記事はソチのレース後に、他の選手の応援もせずに新婚の旦那と終始イチャついていたと批判するもので、これは記者の嫉妬に思えて笑ってしまいました。

にほんブログ村
上村愛子とは
彼女の名前が知れ渡るのは、長野五輪でした。日本人のほとんどがモーグル・スキーを知らない時に、突如として里谷多英が金メダルを獲ったというニュースが飛び込みました。その時に、表彰台に立つ里谷の後ろで、まるで自分のことのように喜ぶ美少女が話題になりました。それが7位に入賞した上村愛子でした。![]() |
| ※長野五輪の上村愛子 |
当時高校生だった上村は、そこからメキメキと実力をつけて、ソルトレイクシティ五輪に出場します。その後、トリノ、バンクーバー、ソチと5度のオリンピック出場を果たした、女子モーグルを代表する選手です。オリンピックでは表彰台に上がることはできませんでしたが、ワールドカップ年間総合優勝も遂げた第一人者です。
気配りと気遣いと
上村は気を使いすぎると言われていました。優しすぎるところ、気を使いすぎるところが彼女の弱点と言われ、同時にそれが周囲から愛された理由でもありました。上村と親しいモーグル関係者だけでなく、長く上村の取材を続けているメディア関係者も気を使いすぎる上村を心配していました。![]() |
| ※長野で金メダルを獲得した里谷多英 |
天才型の里谷多英は気分屋の一面があり、人と話したくないと思うとメディアはおろかコーチや友人達も遠ざけていました。そもそも人前で話すことが苦手な里谷は、常にメディアを避けていました。しかし上村は里谷に代わって報道陣の前に現れ、自分のことだけでなく里谷のことも答えていました。
「私はいつも愛子に助けてもらってる」
里谷は上村に感謝していました。一方で上村は里谷に気を使っていました。14歳の時に里谷のモーグルを見て、その格好良さに憧れました。何とか里谷の気を引きたくて「目がきれいですね」などと、用もないのに話しかけていました。そして里谷とともに代表に選ばれるようになると姉のように頼り、いっぱい甘えたといいます。しかし、いつしか里谷を超えたい、自分も金メダリストになりたいと思うようになり、目をぎらつかせて里谷に接する自分に気づき、「多英さんにとって、私は鬱陶しいだろうな」と心配するようになりました。
報道陣は声を掛ければ嫌な顔一つせず、どんな場所でも笑顔で話してくれる上村に取材が集中させました。「皆さんもお仕事ですからね」と、優しく迎える上村のファンになる報道陣も多かったそうです。しかし上村の気配りは、報道陣が心配になるほどでした。
ソルトレイクシティの選手村で、誰か出てこないかと凍えるような寒さの夜中に取材陣が待ち構えていると、暖かいコーヒーを入れたポットを持った上村が現れました。「寒い中、お仕事大変ですね」とコーヒーを配り始めます。上村は明日の朝からレースです。報道陣は上村の体調を心配し、「私たちのことはいいから、もう寝なさい」と、帰しています。レース前日であっても周囲の人たちを気にかけ、気配りをする上村に不安を覚える記者もいたようです。
キレた上村愛子
ソルトレイクシティには、上村愛子の母親も来ていました。上村がオリンピックでの自分を見て欲しいと、強い希望で呼んでいたのです。生まれつき病気を抱えて産まれてきた自分を、女手一つで育ててくれた母親への感謝の印だったかもしれません。そんな母親にも取材が集まり、娘への期待を述べていました。![]() |
| ※上村愛子と母親(左) |
上村の滑りが始まると、一斉に報道陣は母親にカメラを向け、コメントを求めました。目の前に人の壁ができてしまった母親は焦り「娘が滑るのを見せてください」と叫びます。すると報道陣の中から「こっちだって遊びで来てるんじゃねえんだよ!」という声がして、その勢いに押された母親は愛娘のレースを見ることを諦め、報道陣の質問に答えることに終始しました。
この一件を母親や周囲の人達から聞いた上村愛子は怒り、上記の「もうご協力できません」という発言につながりました。母親に初めて五輪を体験してもらおうと思っていた上村は、報道陣の身勝手さによって台無しにされたことに怒り、悲しんでいました。いつも笑顔の上村が本気で怒る姿を始めて見た報道陣は慌て、その後に各社の代表が集まって上村に謝罪を行っています。
まとめ
報道陣にしても、絶対に母親のコメントを取ってこいというデスクからの激しいプレッシャーがあり、無理な取材でも笑顔で応えてくれる上村に慣れてしまった面があるでしょう。この騒動の顛末を書いたのは文藝春秋の記者だったと思いますが、反省と自戒の念がこもった文章でした。平昌で笑顔でインタビューや取材を受ける選手達、そして過熱気味の報道を見ながら、再び選手の集中力を乱したり迷惑がかかるような事件がなければいいなと感じています。
![]() |
| ※ご主人の皆川賢太郎と |
上村愛子は報道陣に好かれていたので、私が知る限り悪く書かれたり言われることはありませんでした。唯一、彼女のネガティブな記事はソチのレース後に、他の選手の応援もせずに新婚の旦那と終始イチャついていたと批判するもので、これは記者の嫉妬に思えて笑ってしまいました。
にほんブログ村






コメント
コメントを投稿