イギリスのモッズとは何かを知っている範囲で整理してみる /モッズパーカーってなんだ?

後輩から「よくファッションサイトに出てくるモッズコートってなんですか?」と質問され、どう答えるべきか悩んでしまいました。「モッズが着ていたコート」というだけでは不親切ですし、「一般的に米軍のM-51フィールドパーカーが、そう呼ばれている」と言えば良いのかと思いつつも、そもそもモッズが何かを説明しないと、何のことだかサッパリですし



しかしモッズとは何かを説明することは難しいのです。そんなことがあったので、今回はモッズについて書いてみたいと思います。

そもそもモッズってなんだ?

これが最大の難関です。日本語の書籍で、モッズの正確な歴史を書いたものがほとんどありません。英語の書籍でもそんなにあるわけではなく、モッズの歴史は誤解と混乱に満ちています。



なぜそんなややこしいことになったかというと、当初のモッズは一部のお洒落な若者に注目されていただけの存在で、イギリス全土で有名になった頃と、その後のリバイバルブームでは、モッズと一括りにするのは乱暴に思えるほど違った存在だからです。

元祖モッズの始まり

モッズの起源はイタリアにあります。イタリアで休暇を過ごしたセシル・ジーは、そこで見たイタリアの若者のスタイルに注目し、56年のコレクションでイタリアンスタイルを発表します。光沢のあるモヘア素材の丈の短いジャケットにピッチリしたストレートパンツ、襟の細いシャツに先のとがった靴は、映画「年上の女」(59年)などで確認できます。


※映画「年上の女」の一場面


これに呼応するようにピエール・カルダンが60年のコレクションで、襟なしで体にピッタリしたスーツをコンチネンタルルックとして発表します。これらはロンドン郊外に住むファッションに敏感な中流家庭の子供達(ユダヤ系が多かったとされる)に支持されました。近くに縫製工場がありファッションが身近にあった彼らは、徹底的にこのモダンなファッションを楽しむと同時にアメリカのモダン・ジャズを好んで聴いていました。

そしてこの頃から急速にロンドンで普及したカフェ・バーやクラブに、彼らはモダンなファッションに身を包んで遊びに出かけるようになります。ロンドンのウエストエンドのこれらの店はたまり場になり、ダンスとナンパをしながら1日を過ごすファッショナブルな若者が増えていきました。いつしか彼らはモッズと呼ばれるようになりました。


※カフェに集まるモッズ

モッズのスタイルは先鋭的ファッションセンスの持ち主により、次々に新しいスタイルが生まれていき、これがモッズと言える定番スタイルは存在しません。しかし彼らのモダンなスタイルは多くの若者に支持されていき、多くのフォロワーを生み出しました。そしてこの頃は、ファッションに憧れる若者達に熱狂的に注目されたものの、世間一般には知られていないムーブメントだったために、ほとんど写真も残されていません。

ビートルズのデビュー

1962年にデビューしたビートルズは、音楽だけでなくファッションにも決定的な影響を与えました。当初は革ジャンにリーゼントのロッカーズスタイルでしたが、マネージャーになったブライアン・エプスタインの説得により、コンチネンタルルックに衣装替えしました。彼はメンバーに対して、音楽性には口を出さない代わりにファッションの変更とステージでの振る舞いの改善を要求し、言うとおりにするならロンドンに連れて行くと約束しました。こうしてベージュの襟なしのモヘアスーツ、チェルシーブーツなど、当時のモッズファッションでビートルズをデビューさせます。



1964年の映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」では、リンゴ・スターが「あなたたちはモッズなのかロッカーズなのか?」と質問され、自分たちは「モッカーズだ」と答えています。ビートルズはどちらにも分類されないオリジナルの存在だということを象徴するように使われる言葉ですが、モッズスタイルが押し着せだったことから産まれた言葉だともとれます。

モッズの語源

モダン・ボーイズやモダーンズの略だと書かれているのを多く見かけます。もちろん、これらの意味もあってのモッズでしょう。しかし私は彼らが好んで聴いたモダン・ジャズの略だという気がします。

※当時人気が高かったモダン・ジャズ・カルテット

戦後のイギリスのファッションは、音楽と同義語であることが多いからです。モッズと同時期に台頭したロッカーズは、アメリカのロックを好んで聴くことから名付けられました。パンク、グラムなどは、音楽とファッションは完全な同義語です。

もちろんテディ・ボーイズ(テッズ)やスキンヘッズなど音楽のジャンルとイコールの名前ではないファッションもありますが、元祖モッズがモダン・ジャズのジャケットをファッションの参考にしていたことから、モッズはモダン・ジャズから来ていると思えるのです。

元祖モッズのモッズ離れ

元祖モッズのフォロワー達も自らをモッズを名乗り、お決まりのファッションを作り上げていきます。モッズの定番化が始まり、それと同時に薬物の乱用が目立つようになりました。彼らは音楽もアメリカのモダン・ジャズではなく、イギリスのロックバンドのスモール・フェイセズやザ・フーを好みました。元祖モッズはこれらのポップな音楽を嫌い、さらにマイナーな音楽のスカなどを聴くようになっていきます。

こうしたモッズブームに、元祖モッズ達は嫌気がさしていました。さらに1964年にブライトンピーチで、ロッカーズ(エースカフェに集まる、革ジャンにオートバイ、ロックミュージックを好む若者達)と対立した暴力事件が起きると、ほとほと嫌気がさした元祖モッズ達は、モッズから離れていきました。

※ブライトンビーチでのモッズとロッカーズの暴動

モッズの名前が全国区へ

ブライトンピーチでの暴動はセンセーショナルに報じられ、モッズの名を全国的に有名にしました。一部の例外を除いて、多くのモッズの写真はこの暴動事件以降のもので、ファッションセンスに欠けるモッズのフォロワー達が、モッズファッションを定番化させていった以降のものです。

パーカーコート(これが今日で言うモッズコート)にマドラスチェックのジャケット、フレッドペリーのシャツにスエードのブーツ(クラークスのデザートブーツが人気だった)を履いてベスパ(スクーター)に乗れば、誰でもモッズになれるようになりました。彼らはアンフェタミン(覚醒剤)やマリファナを愛好し、集団でナンパをして暴力事件を起こします。そして元祖モッズと違って、中流階級だけでなく労働者階級も含まれていました。

これらモッズの全盛期は、66年に起こった経済危機によって華やいだ空気は消えてしまいモッズは終焉を迎えます。ドラッグと暴力を好んだモッズ達は、スキンヘッズに移行していきました。元祖モッズはイギリスの初期ヒッピーに変化していったという指摘がありますが、イギリスのヒッピーはこれもややこしいので、ここでは割愛します。

リバイバルブーム

ザ・フーのピート・タウンゼントは、苦悩する若者を題材にしたロックオペラ「四重人格」を73年に発表します。この物語の主人公は典型的なモッズの少年でした。その後、パンクムーブメントの絶頂期にザ・ジャムがデビューすると、彼らはモッズ・ファッションを踏襲してネオ・モッズとして人気を得ます。そして79年には、ザ・フーの「四重人格」が映画化されて大きな話題になります。日本でのタイトルは「さらば青春の光」でした。

※ネオ・モッズはザ・ジャムの影響を強く受けていました。

※映画「さらば青春の光」の一場面

これらモッズのリバイバルは、ファッションにも及びました。モッズ・ファッションは80年頃に再び注目を集め、大きなムーブメントになります。しかしリバイバルでは、ブライトンピーチで暴動を起こしたモッズのフォロワー達のファッションをアレンジしたもので、元祖モッズとも60年代のモッズフォロワーとも異なるファッションでした。彼らは元祖モッズのフォロワーのフォロワーとも言えます。

日本でのモッズブーム

モッズのリバイバルを受けて、日本でも80年頃にモッズファッションのブームが起こります。こちらは東京独自のモッズファッションとして流行し、イギリスのモッズとは異なるスタイルでした。

もちろん「さらば青春の光」は大いに参考にされますが、映画のイメージから離れられないか、離れる場合は日本独自の解釈がなされました。80年からモッズのイベント、MODS MAYDAYが行われていて、こちらで日本独自のモッズを見ることができます。中には暴走族文化と混じっているグループもいて、バラエティに富んでいます。

※ModsMaydayの一コマ。「探偵物語」が入っている人もいます。

モッズの分かりにくさ

このように、元祖モッズの写真はほとんど残っておらず、彼らにはモッズの定番など存在しなかったため、本来の姿が分かりにくくなっています。クラシカルなモッズスタイルは、ファッションセンスに劣るフォロワー達が、モッズをアイコン化するために作り出した定番になります。

さらに現在まで数回繰り返されたリバイバルブームと、日本独自のブームによってモッズのスタイルは混同されて、より分かりにくいものになりました。

・元祖モッズ
・元祖モッズのフォロワーのモッズ
・ネオ・モッズ
・日本独自のモッズ

これらのモッズがごちゃまぜに語られてしまうので、モッズとは何かがわかりにくくなってしまうのです。

モッズコートとは一体なんなのか?

一般的には、朝鮮戦後に市中に放出された米軍のM-51フィールドパーカーを指します。オートバイ(ベスパ)に乗るときにスーツを汚さないように羽織ったコートであり、何しろ安いので人気でした。元祖モッズは中流家庭の子供が中心であり、お金持ちの子供も含まれていました。しかし元祖モッズのフォロワー達は、お金がない若者が多かったので、このように安く手に入るコートに人気が集まりました。特にM-51は大量に出回ったので、最も多く使われたのです。

※モッズコートの代表格、M51パーカー

しかし60年代の写真を見ると、特にM-51フィールドパーカーにこだわりはなく、様々な軍用の払下げコートが見られます。彼らにとって大事なのはスーツであり、コートは汚れや寒さをしのげれば、特に重要なアイテムではなかったようです。モッズブームで米軍払い下げのM-51は人気が高く、現在では市場にほとんど残っていません。そこで複数のメーカーがM51を新規で作っています。

※ベスパに乗るときに、このコートは便利だったようです
ヒューストン
埼玉県さいたま市で米軍の払い下げ衣料をリペア販売していたユニオントレーディング(株)が始めたブランドで、現在M51といえばヒューストンが定番です。ドラマ「踊る大捜査線」で主人公の青島刑事が着ていたのもヒューストン製M51(放送開始当初は中田商店製で、後にヒューストンに変更)で、モッズとは無関係にスーツの上にM51を着るのが流行りました。





バズリクソンズ
アメリカの衣料をマニアックなまでに復刻する東洋エンタープライズのミリタリーブランドです。価格はヒューストンより高いですが、当時のディテールを細かく再現していて本格的な一着になっています。

関連記事:東洋エンタープライズ /日本が誇る執念の服飾ブランド 


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ショット
アメリカの大手衣料メーカーショットもM51を販売しています。フードがボア付きなのが特徴で、M51最大の特徴であるフィッシュテールではなくなっています。M51風のパーカーコートといった感じです。




ロスコ
ミリタリーウェアを民間用に販売しているアメリカのメーカー、ロスコもM51を販売しています。生産数が多いので、他のメーカーよりも少し安くなっています。




まとめ

モッズコートとは、モッズがスクーターに乗るときに来ていた軍用コートのことで、米軍のM-51フィールドパーカーが最も多く使われました。しかし当時の写真を見ると、さまざまなコートが使用されています。

モッズの歴史は複雑で、特に元祖モッズに関する資料はほとんどありません。有名なリチャード・バーンズの写真集「Mods!」も63年から64年にかけての写真で構成され、そのほとんどが元祖モッズのフォロワーで占められています。

モッズが語られるとき、ほとんどがファッション面からの考察ですが、音楽面からの考察がもっと必要だと思います。モッズの音楽はザ・フーやスモール・フェイセズばかりで、ジャマイカ音楽やニュー・ソウルへの傾倒はほとんど語られていません。イギリスのストリート・ファッションは音楽と切り離せないほど密接な関係なので、音楽面からの検証がもっと必要だと思います。


※追記
記載内容に間違いや新しい情報があれば、ぜひとも教えてください。


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