授業中に寝ている生徒を叱ってはいけない訳

 授業中に寝ている生徒に対して先生が怒るというのは、珍しい光景ではありません。しかしこれは教師のとんでもなく横暴な行為だと指摘する人がいて、ハッとさせられました。私は授業中に寝るのは不真面目だと教えられてきましたし、それで怒られるのも仕方ないと思っていました。しかしか見方を少し変えると、それは教師の怠慢であることもわかります。そこで今回は寝ている生徒に教師が怒るというのはどういうことなのか、なぜこれが教師の横暴になってしまうのかを考えて見たいと思います。


寝ている生徒にイラッとした評論家

「寝ている生徒を見て教師が怒るのは、とんでもなく横柄な態度で、教師を続けていると人間としてダメになる」という発言は、ある評論家が自身のネットチャンネルで発言していました。大学の講師を行っていたが、寝ている生徒を見るとイラッとするようになってしまい、自身が横柄になってきていると感じて大学の仕事を減らすようにしたそうです。大学の講師を始た頃は、そんな感覚は一切なく、むしろ寝ている生徒に申し訳ないと思っていたそうですが、大学で教鞭をとることに慣れると自分が変わってきたと言っていました。

生徒が理解しやすいように講義の内容を考え、授業を工夫していた初心を忘れてしまい、授業がつまらないのを棚に上げて生徒だけに責任を押し付けるようになってしまったら、今後はセミナーなどで食べていけなくなると危機感を覚えたようです。

ビジネスとして講義をする人達

私もそうですが、世の中にはセミナーや講義をビジネスにしている人がいます。その場合、最も苦労するのは集客で、最初は誰もが人が集まらないことに苦労します。どうやって人に来てもらうか悩み、来てもらった人には少しでも役に立ってもらうかを考え抜きます。自分の話を聞いて、面白かった、役に立った、ためになったと言ってもらわなければなりません。そう言ってもらわなければ、2度と来てくれないどころか「あの人のセミナーはつまらない」と悪い評判に繋がるからです。

そのため準備は入念に行いますし、セミナーは常に全力で行います。1回のセミナーが勝負で、失敗すれば次回の集客は苦戦します。セミナーや講演をビジネスにしている人は、毎回プレッシャーを感じながら少しでも役に立つ話をしようとしているのです。そんな時に、自分の話を聞きながら寝ている人がいたらどうでしょう。残念ですし、がっかりですし、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。その人は、何かを得たくてプライベートの時間を削り、交通費を払い、受講料を支払って来ているのです。しかし寝ているということは、私の話は期待外れであり、役に立たないものであり、得るものがないと思っているのです。


寝ている人がいれば「せっかく来てくれたのに、私の話が役に立たなくて申し訳ありません」と謝罪したい気持ちになります。先の評論家も講演を行っているので、寝ている生徒を怒るような横柄な人になってしまうと、講演の集客ができなくなるだけでなく自身の悪評が立つようになると考えたのです。

教育者は聖職者か

こんな話を書くと、ビジネスで講演やセミナーを行う人と教育者は違うという意見が出るかもしれません。教育は単なる金儲けではなく崇高な使命であり、献身的に身を捧げるから聖職者とも呼ばれるのだという意見もあります。しかし教育者を聖職者と呼んだのは自民党であり、その理由は残業代にあることは意外と知られていません。

1960年代に日教組が残業代の支給を求めて、民事訴訟を立て続けに起こしていました。日教組は教師は労働者であり、労働者である以上は残業すれば残業代が支給されて当然と主張していました。日教組が相次いで勝訴する中で、政府は残業代を支払う準備を進めます。これに自民党文部部会が教師聖職論を持ち出して猛反発しました。つまり教師が聖職者だというのは、教師に残業代を払わないための詭弁でしかなく、この言葉によって教師が苦しめられることになります。教師は残業代など請求せず、黙って働けという訳です。

しかし教師は恩師であり、敬わなくてはならない存在として居続けました。明治時代に現代の学校制度が始まった頃は教師が不足しており、また教育を受けられるというのは特別なことでもありました。昭和に入っても戦後は教師が不足しており、教師は貴重な存在でした。ですから教えてくれる教師を敬うのは当然のことであり、教師に反抗するのは極めて反道徳的な行動になりました。私も子供の頃は、教師は尊敬するものだし、絶対的に従うのが当然のように言われていました。

少子化による定員割れ

2019年11月、NHKの報道によると全国の公立高校のうち、43%余りに当たるおよそ1400校の学科などで、募集人数を下回る「定員割れ」となったそうです。公立高校の定員割れが起こるということは、私立高校にとってはもっと深刻です。私立高校は公立高校の定員不足を補うために、全国各地に設立されました。公立高校で定員割れが起こっているということは、私立高校では生徒獲得の激しい競争が起こることを意味し、今後ますます生徒の数が減るため過当競争が起こると予想されます。

これまで以上に高校や大学は選ばれる立場になるわけで、生徒が溢れていた時代のようなやり方では経営ができなくなります。学校経営はシビアなビジネスの時代に突入していて、無条件に教師が尊敬されるような時代ではなくなりつつあります。生徒や親は学校の評価をこれまで以上に意識するようになるでしょうし、廃校も増えるでしょう。

塾に勝てない学校の授業

学校の教師が塾の講師に教え方を習うという話題が、20年ほど前にニュースになったことがあります。勉強を教えるという点については塾の講師に勝てなくなっており、進学するためには塾が必須となる時代になっていました。なぜ教育のスペシャリストだったはずの教師が、塾の講師に教えを乞うようになったのかというと、主に2つの理由があったと思われます。

①塾は授業に特化している

塾の講師は授業をすることだけに特化しているのに対し、教師は部活指導など授業以外の仕事に忙殺されるようになりました。また塾の講師は生徒の進学率と生徒からの評価で給料が決まるので、常に授業をブラッシュアップしてわかりやすい授業をしなくてはなりません。大手予備校では高額の年俸を受け取る講師がいる一方で、生徒からの評判が悪くて辞めざるを得ない講師もいます。授業だけに特化し、常に評価される塾講師と授業以外の仕事で残業しなくてはならない教師では、スキルに違いが出てきても仕方ないのです。

②評価する立場と評価される立場

教師は通知表や内申書など、生徒を評価する実権を握っています。そのため生徒を評価する立場であり、これが生徒が先生に逆らってはいけないと言われる根源にもなっています。教師を評価するのは上長で、生徒や親から高い評価を得るよりも上長の評価が重要になります。一方で、塾講師は生徒に評価される立場になります。生徒から「あの先生の授業はわかりにくい」と評されれば、講師を続けられなくなります。教師と塾講師では似たような仕事をしていても、立場が全く異なるのです。

学校の役目とは

学校の役目は勉学だけではありません。集団生活を学ぶ場でもあり、これは塾では学べないものです。同じ世代の人達と共同作業などを通じて、他人に迷惑をかけないことや責任感を学んだりすることです。もっとも学校は、家内工業が中心だった時代に工場勤務ができるように訓練する場として普及しました。現代でも朝9時から始まり、一定時間を同じ場所で過ごして共同で作業するという行為は、会社勤務の訓練として機能しています。


ただそんなことを差し置いても、集団生活によって得られるものは多いので学校の役割として重要な位置を占めているのです。しかしこの集団生活の負の側面としていじめなどが問題視されていて、自殺などに発展していることはニュースで何度も報じられています。そしていじめ問題は未だ解決されず、今でもあちこちでいじめについて語られています。もちろんいじめ問題に対してはさまざまな対策が言われていますが、これまで決定打になるものがないのが現状です。

高校に行かない選択をする人達

日常的にいじめにあっている生徒は、学校に行くことで集団生活で学べること以上に肉体的、精神的なダメージを負うことになります。そのため学校には行かずに長期的に学校を休んだり退学することを選びます。以前は高校退学というのはネガティブに捉えられていましたが、今は積極的に退学を選ぶ人も出てきているようです。

家庭教師の派遣会社の人に聞いたのですが、ここ1年くらいで家庭教師の派遣が急増していて、その多くは高卒認定試験を受験するために家庭教師をお願いしているのだそうです。つまり高校を退学して家庭教師をつけて勉強し、高卒の資格をとって大学を受験するのです。

特に最近は中高エスカレーター式の高校生で、退学して高卒認定試験を受ける生徒が多いそうです。コロナ禍で学校に行く日が少ないので友達ができにくいのに加え、中学校からエスカレーター式で高校に来た生徒同士は仲が良いので固まっているので高校で浮いてしまうのです。授業日程が減り、たまに学校に行くと駆け足で授業が行われる中で友達もできないとなると、高校に通う意味がわからなくなったのです。そこで高い授業料を高校に払うなら、家庭教師をつけて高卒認定試験を受ける方が良いと考えているのだそうです。

高校の存在価値が変わる可能性

勉強は塾で教わる方が高度な授業が受けられ、集団生活もいじめの被害を受けている生徒は、高校に通う必要性を感じないでしょう。高卒認定試験に合格すれば大学に行けるのですから、無理して高校に通う必要はありません。安全な自宅で勉強して、友達作りは大学に入ってからでもできるからです。

少子化によってただでさえ学生の獲得が困難になりつつある中で、高校に行く必要がないと判断する生徒が増えれば、学校経営はさらに困難になっていくでしょう。これまで私立高校は、デザイナーを登用した高級な制服などをアピールしたり、豪華な修学旅行を宣伝したりしていました。これは応募学生が多い時代には、より高所得の親を持つ生徒を選別するには良い方法でした。お金持ちの親が多いと、寄付も期待できるからです。しかし少子化の現在は、これまでのような方法では生徒の獲得が難しくなるかもしれません。

変わった校長先生

娘の高校選びの際に、オープンキャンパスを娘と一緒に行きました。武蔵野大学附属高校に行くと、子供は教師や先生達と授業に参加し、保護者は校長先生の話を聞くように言われ、講堂に集められました。30分も校長先生の話を聞くことにうんざりしたのですが、仕方ないので黙って話を聞くことにしました。しかし登壇した日野田直彦校長は、他とは違う異質の校長先生でした。

パワーポイントのスライドを使って30分間、日野田校長はどんな学校を目指しているのか、そしてどんな生徒を育てたいのかを話しました。「勘違いした生徒を育てる」「私は生徒に勘違いさせたい」という耳に残る言葉を使い、決して雄弁ではありませんが、学校をアピールする巧みなプレゼンでした。十分に準備され、言葉を厳選していて、あっという間の30分で、もっと聞きたいと思わされる内容でした。感銘を受けた保護者も多かったようで、講堂を出た後も校長の話をしている保護者が大勢いました。校長先生の話というと、何を言いたいのかわからない上に長いというイメージがありますが、今後は自校を巧みにアピールできる校長が求められるような気がしました。

学校が顧客満足度を意識する時代

学校の評判の多くは、昔から口コミが大きな部分を占めます。その口コミの中で最も影響力が大きいのは、卒業生自身とその親です。ネットの時代になっても、卒業生の感想は大きなウエイトを占めています。ネットで卒業生の評判を見ると、いじめの有無や教員の質に関して言及されているものが多く見られます。

学校が選ばれる時代に突入したということは、学生とその親の満足度が学校の評価に大きな影響を与えるようになるでしょう。偏差値は一つの指標ですが、学校の顧客満足度は今後重要になっていくと思います。

まとめ

授業中に寝ていると教師に怒られるというのは、当たり前のことのように思っていました。しかし自分の仕事を通じてセミナーなどに当てはめて考えてみると、寝てるからと怒るのは確かに身勝手な気がしてきました。少子化が進むこれからは、生徒が眠くなるような授業が多い学校は選ばれなくなるでしょう。生徒が溢れていた時代は、教師というだけで偉い存在だったでしょう。しかしこれからは、学校や教師が選ばれる時代になります。授業で寝るなと叱るより、眠くなるような授業をする教師が問われるようになると思います。



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