高橋尚子バッシング /金メダリストを襲った不運

2000年のシドニー五輪で、日本陸上競技として64年ぶり、日本の女子陸上としては初の金メダルを獲得した高橋尚子は、人気の絶頂にいました。Qちゃんの愛称とともに連日のようにテレビ取材に追われ、イベントに呼ばれる毎日を送ります。国民栄誉賞を受賞すると報道はさらに過熱し、テレビで見ない日はないと言われるほどでした。そこに女性週刊誌が「高橋尚子って何様?」と批判記事を載せました。高橋尚子バッシングの始まりです。


以前書いたフィギュアスケートの安藤美姫のバッシングとは違い、大会で好成績を出している中での突然のバッシングだったことが高橋尚子バッシングの特徴でした。そしてバッシングは日に日に大きくなっていくのですが、その内容はこじつけのような話ばかりでした。

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批判を展開するメディア

週刊誌とテレビのワイドショーを中心に展開されたバッシングは、私の覚えている限りでは以下のような内容でした。

1.シドニー五輪のレース中に、スポンサーロゴが入ったサングラスを投げ捨てる不遜な態度。スポンサーに失礼。

2.人気が出たことでいい気になり、太りすぎてもう走れなくなっている。

3.全身をブランド物で固めている。

4.テレビに出るのを控えるように注意する小出監督に反発している。

他にもありましたが、こんな話が中心だったと思います。そしてこれらの批判は、事実とは全く異なるものでした。


事実は以下の通りです。

1.サングラスはスポンサーの提供ではなく私物で、小出監督からゴールの時にお客さんに顔が見えるように、途中で投げるように指示されていた。家族に拾ってもらうように事前に話しており、家族に向かって投げたが先導車に当たってしまった。

2.オフの間に好きなものを食べて太るのは、これまでにも繰り返してきたこと。ストレスを解消し、次のシーズンに向けて体を作るために、シーズン中のような節制をやめただけ。

3.そもそも社会人が、自分の給料で何を買って着るかは自由。公の場に出ることが増えたため、普段より奮発して少し高い服を着ていた。

4.加熱する取材により、高橋尚子がオフの間に十分に休めないのではないかと小出監督は心配していた。高橋がテレビに出ることよりも、どこに行ってもカメラがついてくることを懸念していた。

こういった事実関係などは御構い無しで、バッシング記事は高橋尚子を批判するために想像で書かれた内容です。しかし高橋尚子バッシングはしばらく続きました。事実などどうでも良く、まるで高橋を叩くことが目的のような執拗な人格攻撃まで始まります。

独立会見後のバッシング

アテネ五輪選考でのゴタゴタの後に、高橋尚子は小出監督の元を離れて独立することを発表します。小出監督と2人で会見し、多くの報道陣が詰めかけました。高橋は監督に恩返しをしたいと言い、小出監督がうっすらと涙を浮かべて「Qちゃんの面倒ぐらい見るって言ったんですが」と言う姿は、何度も報道されました。

一部の週刊誌を中心に独立の真相といった記事が出され、大まかに以下のようなストーリーが展開されました。

国民栄誉賞受賞後から高橋は小出監督に反発するようになり、練習よりもテレビに出たり芸能人と会うことを優先するようになった。その結果、アテネ五輪選考レースの東京国際マラソンでは失速して2位になるなど、成績が低迷するようになった。小出監督が真面目に練習するように注意したところ、高橋が反発して独立に至った。

アマチュアスポーツの現状を知る人なら、何をバカなと思うストーリーです。33歳になった高橋は年齢的に考えて次の五輪は厳しいのは明らかで、小出監督の元を去らなければなりませんでした。これまで小出監督は自宅を抵当に入れてまで、高橋の合宿費用を捻出していました。若手の選手からすれば、小出監督は高橋ばかりに手をかけているという不満もあったはずです。



次の五輪が望み薄な高橋がチームから独立することで、小出監督は次の若い選手に専念できます。だから高橋は去ることを決意し、そんな気遣いを感じた小出監督は「Qちゃんの面倒ぐらい見るよ」と、言っていたのです。出ていくことは高橋にとって恩返しであり、そんなことを弟子にさせた小出監督はチームの資金力の無さを嘆き、高橋のチームや師を思う気持ちに泣いていたのです。しかしこれを高橋が我儘で独立を決め、それを小出監督が嘆いていると勘違いした人達が記事を書いてしまいました。

なぜバッシングが起こったのか?

人気がある人を叩くのは、メディアの常套手段ですから珍しいことではありません。ネットでは逆張りと言われるやり方で、他社と違う論調を載せることで目立とうとするのです。そもそも人気者を叩くのは、メディアの定石でした。人気が出れば出るほど叩かれるようになります。特にタブロイド紙や女性週刊誌は、大手メディアには敵わないのでこのような手法をとってきた経緯があります。しかしこの時は、芸能事務所の意図があったという声もありました。



シドニー五輪以降、芸能ニュースの中心に高橋尚子はいました。芸能人の新作映画の舞台挨拶をしたというニュースなどは押しやられ、高橋尚子が今日は何をしていたといったニュースが先行しました。芸能事務所にとって過熱する高橋尚子人気は邪魔だったというわけです。そのため、一部の芸能事務所が女性週刊誌と組んでバッシングを起こしたという説があります。本当かどうかは知りませんが、ある日突然沸き起こったバッシングに不可解な印象があったのも事実です。

上記のようにバッシングの理由は事実誤認や主観的な思い込みが中心で、「サングラスを投げたからバッシングされた」「太ったからバッシングされた」などというのはちょっと違うと思います。バッシングすることが目的で、理由は後付けだったような印象が残るこじつけのバッシングでした。

高橋尚子の実績

学生時代はトップクラスの長距離ランナーでしたが、優勝に恵まれていなかったため目立つ存在ではありませんでした。しかしリクルートの合宿に参加した際に、小出義男監督に素質を認められてリクルートに入社します。アテネ五輪には5000mで出場しますが、決勝は13位でした。この後、本格的にマラソンに転向します。

98年の名古屋国際女子マラソンで優勝すると、IAAFグランプリ大阪大会では5000mで優勝して長距離界のトップランナーになりました。IAAF(国際陸上競技連盟)が主催する国際大会での優勝は、日本女子陸上界初の快挙でした。さらにこの年はバンコクアジア大会のマラソンでも優勝し、マラソンのアジア最高記録を更新しました。99年は怪我などで思うシーズンを送れませんでしたが、2000年は名古屋国際女子マラソンで優勝してオリンピック出場を決めると、シドニー五輪で優勝し金メダルを獲得します。



日本女子陸上界初の金メダル獲得で、男女合わせても64年ぶりの陸上の金メダルを獲得し、さらにタイムは五輪最高記録となる好成績で、国民栄誉賞を受賞して前記の通りに大人気になります。そして翌年はベルリンマラソンに出場すると、世界記録を更新しました。当然ながら世界記録更新は日本女子陸上界では初の快挙で、名実ともに世界一のマラソンランナーになりました。

アテネでの落選

アテネ五輪の選考会を兼ねた2003年の東京国際女子マラソンに出場し、スタートからほぼ独走状態に入りました。しかし30km過ぎから急激にペースダウンし、エチオピアのアレムに抜かれて2位に終わりました。テレビで解説していた小出監督は「大福でも1つ食べてれば」と、エネルギーが空になったことを悔しがりました。このレースから数年後に、高橋自身がホテルで焼いてもらった餅が固くて食べられず、まあいいかと思ってそのままレースに出たのが失敗だったと語っています。

※東京国際で失速した高橋


その後、最後の選考会になる名古屋国際女子マラソンに出場するかが注目されましたが、欠場を決めました。五輪本番を目標に調整していた高橋にとって、名古屋国際で勝つには調整のスケジュールを変更する必要がありました。そうすると五輪本番にピークを持っていくことが難しくなるので、アテネ五輪で勝つための欠場です。しかし陸連は高橋の落選を決め、五輪連覇の夢が潰えました。

高橋の持つ世界最高タイムを更新したイギリスのポーラ・ラドクリフが、メディアで「ナオコ、アテネで会いましょう」と宣戦布告をしていたので、高橋の落選に驚きを隠しませんでした。代表選手の選考には各国のやり方と事情があるとしながらも、世界最高のランナーである高橋が選出されないことが不可解だとコメントしています。しかしアテネ五輪では野口みずきが完璧なレース展開で金メダルを獲得し、高橋の不在を忘れさせる活躍を見せました。

引退

2004年の高橋は怪我が続き、不本意なシーズンを送ります。2005年に小出監督の元を離れて独立しますが、その後も怪我で本調子とはかけ離れた状態が続きました。それでも東京国際女子マラソンでは満身創痍の状態で優勝して存在をアピールすると、北京五輪に向けて本格始動します。2008年の五輪代表選考レースとなった名古屋国際女子マラソンに出場しますが、途中から失速して27位に沈みました。前年には左膝半月板の除去手術を受けていて、万全な状態ではありませんでした。そしてこの年の10月に、現役引退を発表しました。

まとめ

高橋尚子は日本女子初の五輪金メダル、世界記録更新と次々に快挙を成し遂げた世界トップクラスのマラソンランナーでした。しかし突然のバッシングが起こり、さらに不運なレースで2度目のオリンピック出場を逃がしました。バッシングは根拠のないものばかりで、少しでも事情を知っていれば誤解だとわかるものばかりでしたが、女性週刊誌を中心に執拗なバッシングが続き本人も戸惑ったと言います。人気者ゆえの代償なのでしょうか。なんとも不快で違和感のあるバッシングでした。



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