ナンシー・スパンゲン /破滅的な人生と薬物

1978年10月13日、ニューヨークのチェルシーホテルで20歳の女性が刺殺体となって発見されました。彼女の死は、多くの人に「やっぱり」「ついにか」と思わせ、ある記者は「どうでもいいニュースだが」と、その死を報じました。しかし、その死のニュースは世界中に配信され、多くの人の目に留まります。彼女の名はナンシー・スパンゲンといい、セックス・ピストルズのベーシスト、シド・ヴィシャスの恋人として知られていました。警察は殺人の容疑でシドを逮捕しました。



ピストルズと出会うまで

アメリカの中流家庭で生まれたナンシーは、金切り声で夜泣きを続ける手のかかる赤ん坊だったそうです。暴力的で周囲を脅し、学校を退学させられるなどトラブルが続き、15歳の時に精神科医から統合失調症と診断されています。

特殊児童の学校に両親は入れますが、ハサミで手首を切って自殺を図ります。知能テストでは高い数値を示し、学校の成績も良かったのですが、癇癪持ちで暴力的な性格は周囲を遠ざけていました。16歳で大学に願書を出すと、コロラド大学に受理されて通うようになります。しかしすぐにマリファナで逮捕されて、退学になりました。



17歳で家を出るとニューヨークに住みます。そこではストリッパーと売春婦として生活していました。稼ぎの大半は薬物とロックミュージックに消費される生活だったといいます。やがてロンドンに渡り、セックス・ピストルズと出会います。

シドとの出会い

ピストルズのライブを見たナンシーは、一目で気に入ってバンドに近づきます。しかし暴言と暴力が激しく虚言癖があるナンシーを、ボーカルのジョン・ライドンは嫌って彼女を遠ざけようとしました。しかしシドはナンシーを気に入り、2人は一緒に生活するようになります。シドは幼少期から母親と覚せい剤をやっていて、ナンシーはざまざまな薬物をシドに教えました。

※ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)

ピストルズが成功し、金が入るようになると2人は多くの薬物に手を出しました。売人たちは珍しい薬物が手に入ると、2人の元に売りに行きます。なんでも拒まずに試す2人は完全なジャンキーになっていきますが、それを止める人はいませんでした。相変わらずシドはベースを弾けず、ライブでは観客に喧嘩を売って血まみれでステージに立っていましたが、破滅的な2人の生活はエスカレートしていきます。



ピストルズの解散

78年のアメリカツアーで、サンフランシスコ公演後に嫌気がさしたジョン・ライドンがバンドを脱退してピストルズは解散しました。シドとナンシーはアメリカに残り、ホテル暮らしを始めます。部屋にこもって薬をやり、金がなくなるとライブをやる生活で、自堕落な生活はやがて2人の薬物の量は飛躍的に増加させました。



幻覚を見るようになった2人は、互いを壮絶な暴力で痛めつけ合うようになります。もはや2人は自分がどこにいるのかもわかっておらず、何をしているのかも怪しくなっていました。部屋に出入りするのは売人ばかりになり、売人たちは2人が倒れていようが、血まみれになっていようが気にしなくなっていました。末期的なジャンキーになっていたのです。

※搬出されるナンシーの遺体

そんな中、バスルームの床で血まみれのナンシーが発見されました。通報したのはシドでした。ナイフで腹を刺されていて、そのナイフはシドのものでした。薬物で錯乱したシドが刺したと思われ、警察に逮捕されます。検察はシドを第二級殺人(計画性のない殺人)で立件し、レコード会社が保釈金を支払ったため保釈になりました。

シドの死

保釈されたシドは、ナンシーを失ったショックから荒れていきます。殺人については無罪を主張し、知人の頭をビール瓶で殴り、自殺未遂を図りました。留置所で麻薬が抜けていたにもかかわらず、薬物を求めては拒否され、その度にケンカを起こしています。

※逮捕されたシド・ヴィシャス

薬物を買えなくなったシドは母親に懇願し、ヘロインを入手します。大量のヘロイン はシドの体を一気に浸食し、そのまま過剰摂取のため死亡しました。79年2月のことでした。ナンシー殺害の裁判は被疑者死亡で結審し、多くの謎を残したままになっています。

シドのポケットには手書きの遺書が残されていて、ナンシーとは約束したから、まだ間に合うかもしれないから自分も行かなくちゃいけないと記されていました。死んだらナンシーの隣に埋めて欲しいと書かれていましたが、ナンシーの両親にこれは拒否されています。しかしシドの母が遺灰をナンシーの墓にかけたため、ナンシーの墓はファンの聖地になりました。

誰がナンシーを殺したのか

シドの弁護士はシドの無実を信じていて、ざまざまな証拠を示していました。事件当時、シドは薬物の過剰摂取で昏睡状態にありました。医師らは摂取量から5時間は昏睡していたと証言し、シドによる殺害は困難だったとしています。またナイフは指紋が拭き取られており、薬物による混乱で刺したのなら、この行動も矛盾します。



またホテルの証言により、殺害時刻には数名が出入りしていたこともわかっており、シドの手元にあった印税の2万ドルが消えていました。これらは外部の犯行を示す状況証拠ですが、真相はわからないままです。しかしジョン・ライドンが語るように、「ヤクをやり過ぎれば、なんでも起こりえるってことだ」というのが事実だと思います。浴びるほど薬物を使い意識が混濁する中では、殺人も自殺も何が起こってもわからなくなるのでしょう。

まとめ

ナンシーは誰からも敬遠され、孤独に生きていました。しかしシドにだけは愛され、シドのために生きていたと言っても過言ではないでしょう。「私がいなかったら、シドは15回は死んでた」とナンシーは語っていますが、ナンシーがいなければ2人の破滅的な人生が加速することもなかったように思います。この破滅的な生き方を純愛と捉える人も多く、2人の人生はたびたび美化されてきました。それに対する批難もありますし、それをどうおう言うつもりはありません。

ナンシーの死は皮肉にも、薬物の恐ろしさを知らしめました。シドとナンシーはメディアの前で支離滅裂な行動や言動を繰り返し、記者たちがうんざりするほどの罵詈雑言を浴びせ、どうやって死んだのかすらわからないような死に方で人生を終えました。お行儀良い薬物禁止の資料より、リアルなシドとナンシーの方がその恐ろしさをダイレクトに伝えていると思います。



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