スポーツ界を揺るがすキャスター・セメンヤ /男なのか女なのか

イギリス紙タイムズによると、国際陸上競技連盟は、女子800メートルのキャスター・セメンヤ選手は生物学上は男だとして、女子競技への参加を認めない方針を発表する予定だそうです。この問題は、セメンヤが男なのか女なのかという興味本位的に語られがちですが、さまざまな問題を内包しているので、少し考えてみたいと思います。


問題の発端

以前から男ではないかと噂されていたセメンヤが、世界陸上2009の800メートルで金メダルを獲得します。今期世界最高タイムの優勝で、2位に2秒以上の差をつけての文字通りぶっちぎりの勝利でした。まるで男のような体格に、低い男のような声に疑惑が集中し、国際陸上競技連盟は、医学的調査に乗り出しました。



検査で判明したのは、セメンヤには卵巣や子宮がなく精巣があり、女性器と男性器の両方を持つ両性具有だということでした。男性器は体内に引っ込んでいるため、本人も気がつかなかったようです。男性ホルモンのテストステロンは女性の3倍もあったため、一時はメダル剥奪も噂されましたが、意図的な不正ではなかったため、セメンヤの優勝は変わりませんでした。

本人は女だと思っていた

女性器があり、見た目には男性器が見えないことから両親は女だと思っていて、女として育てています。ですから本人も女だと思って育ちました。年頃になると他の女性よりも筋肉質になり、男みたいだといじめられるようになります。



そんな辛い体験を乗り越え、自分の能力を最大限に活かせる場を陸上に見つけました。いじめられていた少女は国を代表するアスリートになり、世界一の座を手にしたら公的機関から「あなたは男かもしれない」と突きつけられたのです。本人のショックは私たちには想像できないほど大きかったはずです。

プライバシー問題

急激にタイムを伸ばしたセメンヤには、薬物使用の疑いもありました。18歳になると同時に急激にタイムを伸ばしたためです。世界陸上2009で国際陸連は薬物検査を行いますが、それには性別検査が含まれることをメディアがスッパ抜き、セメンヤの性別に大きな関心が集まる結果になりました。結果は薬物にはクリーンで、性別問題が浮上します。

プライバシーが叫ばれる昨今において、両性具有だと全世界に公開されたセメンヤは、近年稀に見るプライバシーを侵された人物です。特定の人物を名指ししたうえで、体のことや性器のことをあれこれ言うのは、重大なプライバシー侵害のはずですが、世界陸上金メダリストという理由で、セメンヤは好奇の目に晒されることになりました。セメンヤは屈辱的な日々を過ごすことになります。

他の選手の反応

世界レベルの大会に出る選手は、あらゆることを犠牲にして競技に賭けて生きています。どんなに努力しても、生まれつきに体の仕組みが違う選手に勝てないという事実に悔しさを滲ませています。リオ五輪でもセメンヤは金メダルを獲得しましたが、負けた数人の選手達が抱き合って泣いている姿が注目を集めました。その中の1人、イギリスのリンジー・シャープは涙ながらに「両性具有の選手と戦うのは難しい」と発言して、批判と賛同を集めました。

※オリンピックで悲観にくれるリンジー・シャープ

スポーツマンらしくない発言ととるか、身体的な不公平を訴えているととるか、シャープの発言には多くの賛否があります。その一方で、セメンヤを擁護する声も選手の中から多く出ています。ある選手はセメンヤの事を質問されると怒りを滲ませ「あなたがたメディアは本当に酷いことをしている」と、セメンヤの性別問題をセンセーショナルに書き立てるメディアの姿勢を批判しました。

なぜ男性の方が有利なのか?

あらゆる競技で男性の方が女性よりも好成績を出しています。そのためテニスの混合ダブルスなどを除き、男性と女性は別々に争うことになっています。ではなぜ男性の方が有利なのかというと、これがわかっていないのです。

重量挙げは、テクニックもありますが筋力の優位性によって記録が決まります。筋力は筋肉の断面積に比例するので、男女問わず筋力トレーニングを行い、大きな筋肉を作ります。では筋肉の断面積が同じなら、男女で同じ記録になるかというとならないのです。やはり男性の方が重い重量を上げています。

そこで心理的ブレーキという話が出てきました。女性は子供を産む機能を有しているので、限界まで肉体をいじめ抜いて子供が産めない体にならないように、無意識にブレーキをかけるようになっているという説です。これが正しいなら、病気などで卵巣が機能していない女性や子宮を摘出した女性は、男性並みの記録が出るはずですが、そういった事例はないので否定されています。

そして注目されたのが男性ホルモンです。好成績を出す目的で薬物に手を出す人が後を絶ちませんが、男性ホルモンの1つであるテストステロンを投与するという手口があります。女性と男性ではテストステロンの分泌が全く異なるので、これが男女差ではないかと言われていますし、現在も主流の考え方です。

インドのデュティ・チャンドは、性別検査でテストステロンの分泌量が男性並みだったため不合格になり、大会出場を認められませんでした。チャンドはスポーツ仲介裁判所に提訴し、テストステロンが性別を決めるのが正しいかを問いました。スポーツ仲介裁判所は、チャンドの訴えを認め、国際陸連に対してテストステロンが競技に不当な影響を与えている科学的証拠を提出するように求めました。



しかしそんなものは現在無いのです。テストステロンの投与で成績が伸びる選手がいるのは事実ですが全ての選手に有効というわけではなく、そもそもテストステロンがどういう作用で競技に影響を与えているか不明なのです。この裁判により、国際陸連はテストステロンの分泌量が一定基準を超えている女子選手に対し、分泌を抑える薬を飲まなくては出場を認めないとしていた方針を撤回しました。

昨年12月には性同一性障害のため女性に性転換したオーストリアのハンナ・マウンシーが、女性としてハンドボールの世界選手権出場の切符を手にしました。189cm 99kgの巨体に加え、圧倒的なパワーで他の選手を蹴散らす様子から否定的な声も出ていますが、ハンナは1年を通じてテストステロンの分泌量が女性並みだったため出場が認められています。女性を軽く上回るパワーを見せつけるハンナの様子から、テストステロンは競技の優位性に無関係と言う人もいます。

※ハンナ・マウンシー

男女の境界線はどこか?

99パーセント以上の人は、裸を見れば男か女かわかります。男性器を持つのが男性、女性器を持つのが女性となります。しかしごくわずかながら、それでは判断がつかない人もいます。両性具有の人、精巣と卵巣を保有する人をどう判断すれば良いのでしょうか。

DNAの染色体は男女を見分ける要素になりますが、XX XYのモザイクの人もいるそうです。こうなると男女の明確な境界線はぼやけていると言えるでしょう。ごくごく一部の人は男女の境界線上にいて、それらの人が好成績を収めると議論になるのが現状です。

まとめ

男女の境界線がぼやけているうえに男性が有利という科学的証拠がなく、しかし経験上誰もが男性の方が有利と知っているので、この問題はややこしいのです。

一方で、他の選手にとっては見過ごせない問題で、不公平な戦いを強いられていると感じる選手は多くいます。競技に潜在的な不公平があるなら競技として成り立たなくなるので、女性とはっきりしない選手の参加を快く思わない人がいるのは当然でしょう。しかしそういった不満は性的マイノリティ差別と混同されることも多く、議論そのものが難しくなっています。

しかし公平性を求めるという理由で、あまりにプライバシーが軽んじられている一面もあり、軽々しく扱えない問題でもあります。インドの女子800m選手サンティ・サウンダラジャンは、性別検査の結果不合格になると「スポーツ界を欺いた」と激しい非難を浴びてうつ病になり、自殺未遂を遂げました。このような悲劇は誰も望んでいません。

男女の枠を揺るがすこれらの問題は、簡単に結論が出そうにありません。


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