スマホ以前のモバイル /かつてPDAというコンピューターがあった

今はスマホ全盛ですが、かつてはPDAという携帯情報端末が全盛だった時代があります。私もPDAを仕事にもプライベートにもさんざん使っていました。このPDAが進化して現在のスマホに繋がるのですが、スマホ以前のモバイルコンピュータの話です。

※各種PDA

元祖PDAのニュートン

1993年にアップル・コンピューターから発売されたニュートンが、PDAと最初に呼ばれた端末です。スケジュールや住所録、メモなどを小さなコンピューターに入れて持ち運べ、パソコンと同期できるのは画期的な機能でした。さらに手書き入力に対応し、キーボードが苦手な人でも楽に入力が可能です。

※アップルのニュートン

しかしニュートンにはいくつかの欠点がありました。まずサイズですが、レンガサイズと言われる大きさでポケットに入れるのは無理でした。さらに価格が高く、オプションをつけると10万円を超えてしまいます。そして手書き入力は学習によって精度が上がるのですが、店頭販売では不特定多数の人が勝手気ままに書くので、精度が著しく低いものが店頭に置かれることになります。

Palm社の登場

ニュートンの失敗を目の当たりにしたジェフ・ホーキンスは、92年に自身が設立した会社Palm(パーム)コンピューティングで、ニュートンより遥かにシンプルなPDAを製作します。パーム・パイロットと名付けられた製品は、ワイシャツのポケットに入るサイズであることに拘りました。

※小型でシンプルで高機能でした。

さらに「Zen of Palm」(禅・オブ・パーム)という哲学を徹底させ、シンプルで実践的な構造を実現しました。「Zen of Palm」の一例として、

Q.山をティーカップに入れるには?
A.山からダイヤを掘り出し、残りは捨てなさい。

本当に必要な機能を見極めて、それ以外の機能はつけないという考え方です。パーム・パイロットはこうした哲学の元に、究極的にシンプルなマシンとなりました。

ヒューレット・パッカードの攻勢

1994年にヒューレット・パッカードが発売したHP200LXは、高級電卓でありながらスケジュールや住所録機能を備え、マイクロソフトのGW-BASICが完全に駆動しました。なによりロータス1-2-3が動く小型コンピューターで、ユーザーたちが工夫して各種ドライバを作るだけでなく、日本語化も実現しました。

※日本語化はお祭りのような騒ぎで行われました。

9万3千円という価格設定も絶妙で、大ヒット商品になります。紀伊国屋書店新宿アドホック店はHP200LXを販売するだけでなく、さまざまなサポートでユーザーとのつながりを重視して「新宿教会」と呼ばれ、こことパソコンフォーラムを軸にHP200LXは大ヒット商品になりました。

さらにヒューレット・パッカードは、ウインドウズCEというOSを搭載したジョルナダシリーズを発売し、筆箱サイズながらワード、エクセルに加えてインターネットもできるようになります。

※筆箱サイズでタッチタイプができるのも魅力でした。

マイクロソフトの襲撃

ヒューレット・パッカードのジョルナダにとどまらず、マイクロソフトはPDA市場にも果敢に乗り込んできました。ウインドウズCEを使ったポケットPCという手帳型のPDAを売り込みますが、駆動時間の問題やフリーズなどがありPalmの後塵を拝していました。ポケットPCがようやくビジネスで使えるようになるのは、コンパックが2001年に発売したiPAQ(あいぱっく) H3600からでした。

※iPAQ H3600


ウインドウズCEを搭載したマシンは、キーボード付きのマシンの方が売れていたように思います。NECが製作しNTTドコモが発売したシグマリオンは、2000年に発売されると大ヒットになりました。

※NTTドコモのシグマリオン


PDAの栄枯盛衰

シンプルで安いPalmは、世界的な大ヒットになりました。しかし創業者のジェフ・ホーキンスは98年にPalmを退社し、ハンドスプリングというPalmOSを使った別のPDAを開発します。ジャケットと呼ばれるオプションをつけることで、通信などの機能を付加できるバイザーというモデルを主力に売り上げを伸ばしました。



日本ではソニーがPalmOSを採用したCLIE(クリエ)を発売し、エンターテーメントマシン機能を充実させます。21世紀初頭はPalmOSを搭載したPDAが世界を席巻しますが、やがてブームが去ったかのように売り上げが低迷していきます。各社の過当競争は機能拡張のレースになり、無理やり付加されたビデオ再生やインターネット接続はユーザーが満足できるレベルではなかったのです。


それら付加機能ばかりが増えて価格が高騰し、一方ではパソコンの価格が下がってきたためPDAは割高に感じられるようになりました。94年にHP200LXが9万3千円で発売された時は、多くの人が安いと興奮しました。当時はパソコンが数十万しましたが、それから10年過ぎてパソコンは10万円ちょっとで買える時代になっていたのです。

個人的な思い出

私が初めて買ったPDAはPalmOSを搭載したIBMのWorkpad c3でした。友人が以前からPalmを使うのを見て欲しくてたまらなかったのですが、当時に私には5万円もする電子手帳のようなものを買うのは大変な決断が必要だったのです。最初から日本語化されたモデルが出て、ようやく手にしました。

※白黒液晶で8MBのメモリでした。


ネットで開発者のサイトを訪問し、アプリをダウンロードさせてもらってお礼を書く「一筆啓上」という運動があり、開発者の方と多くのやり取りをさせてもらいました。リクエストすると、特別に改造したアプリを送ってくれる開発者の方もいて、さまざまな人とやり取りしながら使い方を覚えていきました。

現在のように公式ストアからしかアプリをダウンロードできないわけではなかったので、個性豊かな開発者の方々とやり取りをしつつ使い方を模索するのは、とても楽しい時間でした。

まとめ

PDAのブームは2005年ぐらいには終焉したと思います。ソニーがクリエの開発を止めたのが2004年で、その頃にはPDAは時代遅れの産物になろうとしていました。アメリカではブラックベリーがPDAに代わって大人気になり、日本ではNTTドコモが法人にしか販売していなかったので浸透しませんでした。




そして2007年に、アップルがiPhoneを発表して今日のスマホブームにつながります。現在のスマホも多機能化が進み、その多機能がユーザー体験を向上させるものではなく他社との差別化に使われているように思います。PDAの歴史を振り返ると、スマホも同じ道を辿っていないだろうか?と、そんなことを考えさせられます。

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