イスラエルのシャンペン・スパイ/ 実在した007のようなスパイ

以前、「スパイとしては役に立たないジェームズ・ボンド」を書いている時、社交界で華々しく名を売りながら諜報活動をしていたスパイを思い出しました。彼はシャンペンをプレゼントして人脈を築いていたため、上司からシャンペン・スパイと呼ばれていました。今回はそのスパイ、ウォルフガング・ロッツという男の話です。

少年期

1921年にドイツで、ユダヤ人の母とドイツ人の父の間に生まれました。しかし父親の血が強かったのか見た目には完全なドイツ人で、ユダヤ人らしさがまるでありませんでした。さらに両親は宗教への関心が薄かったため、割礼もしませんでした。ユダヤ人である証拠として扱われる割礼の跡がないことは、後にナチス政権下でウォルフガングの命を救うことになります。

また両親は演劇界で働いていたため、ウォルフガングも演技の練習をしていました。これが後にスパイになった時に役立つことになります。そして10歳の時に両親が離婚し、さらにヒトラーが政権をとったのを機に、身の危険を感じたロッツ母子はテルアビブ(現在のイスラエル第二の都市)に移住します。

軍人からスパイへ

第二次大戦が始まると、ネイティブなドイツ語能力を買われてイギリス軍に入隊します。ウォルフガングは諜報部隊に所属し、主に捕虜になったドイツ兵への尋問を行っています。終戦後にイスラエルに戻ると、国に武器を密輸する仕事に従事しました。イスラエル独立戦争が始まると今度はイスラエル国防軍に入り、イスラエルの独立に貢献しています。さらに第二次中東戦争となったスエズ危機でも、ウォルフガングはイスラエル軍少佐としてエジプトと戦っています。

そのまま職業軍人として過ごしていたところ、ドイツ人の風貌に流暢なドイツ語を買われてイスラエル参謀本部諜報局(アマーン)にスカウトされます。アマーンはエジプトにウォルフガングをドイツ人として潜入させることにしました。任務はエジプトのナセル大統領が進める兵器計画の全貌を探り、次のエジプトの攻撃目標を探ることでした。

エジプトでの諜報活動

元ナチス党員で、元ドイツ国防軍将校。現在は馬の調教師と貿易を行うビジネスマンとして、カイロに降り立ちます。エジプトの社交界に登場したウォルフガングは、瞬く間に話題の人になります。ユダヤ国家イスラエルと対峙するアラブ人社会では、ナチスドイツはヒーローでした。ナチ党員でもあり将校として実践経験があるとなれば、誰もが一目会いたいと思い、さらに彼はハンサムでした。エジプト上流階級に人脈を築き、さらにそこから軍上層部、そしてミサイル開発をしている科学者グループにも近づきます。

ロマンスまである

上司への報告のためにミュンヘンに向かうオリエント急行の中で、ドイツ系アメリカ人女性のウォルロード・ニューマンという女性に出会います。ウォルロードと親密な仲になったウォルフガングは、当時所属していたモサド(イスラエル諜報特務庁)に報告せずに、結婚しました。

※オリエント急行の食堂車両

ウォルフガングはまもなくして自分の本当の身分を妻に打ち明け、夫婦でさまざまなパーティに参加して諜報活動を行います。ドイツ人夫婦の仮面をつけたウォルフガングは、エジプト社交界で羨望の眼差しで見られる存在でした。

諜報活動の成果

ウォルフガングは軍上層部に絶大な信頼を受け、軍事作戦の相談に乗ったり、さまざまな軍事施設に案内してもらいました。その内容はエジプトの総戦力に加えて、ダミー戦闘機の配置まで詳細に及びました。この報告は第三次中東戦争で、イスラエルの勝利に大きく貢献しました。

アラビア語が話せるにも関わらず、全くわからないふりをして通訳を帯同させていたため、彼の前でエジプトの高官たちは機密情報に関する会話も交わしていました。時には目の前で悪口を言われる不愉快さもあったようですが、大きな成果をあげています。

※第三次中東戦争(六日間戦争)

逮捕

エジプトに潜入してから4年目の1965年に、ロッツ夫婦は逮捕されました。自宅の体重計の中に隠していた無線機が発見され、あまりの手際の良さにウォルフガングはモサド内部にスパイがいることを疑っています。

※逮捕されたロッツ夫妻

ウォルフガングはイスラエルの諜報員であることは認めましたが、ユダヤ人であることは否定します。彼は割礼をしていなかったのと、幼少の頃から鍛えた演技力で尋問を切り抜け、死刑を免れて終身刑になりました。その後、1968年にイスラエルとの捕虜交換で、ロッツ夫婦はイスラエルに帰ることができました。

隠居生活

イスラエルで執筆活動を始め、自伝の「シャンペン・スパイ」、さらにスパイのための心得を記した「スパイのためのハンドブック」を書き上げます。特に「スパイのための〜」は、ビジネス書としても広く読まれていて、企業のビジネス研修にも使われています。


ただ、これらの本はモサドになんの相談もなく書いており、さらにいくつかの暴露を含んでいたためにモサドを激怒させます。良好な関係は失われますが、彼の元には若い士官が相談に来ることもあったようです。ウオルフガングは93年にイスラエルで永眠しました。

まとめ

彼はパーティ三昧の生活を送り、社交界の花形として注目を浴びたスパイで、その活動が露見した中では大きな成果をあげたスパイです。シャンペンを片手に登場し、オリエント急行でロマンスがあり、上流階級に出入りしました。映画のような気もしますが、彼の著書にはその厳しいスパイの現実も描かれていて、とても興味深い内容になっています。現実のスパイとは、どういうものかを知る貴重な資料です。



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