いかすバンド天国 /深夜の怪物番組の功罪

1989年から土曜の深夜に放送が始まった「三宅裕司のいかすバンド天国」は、瞬く間に大人気番組になり、社会現象にまでなりました。イカ天はバンドブームを支え、日本の音楽業界に大きな影響を与えたのですが、その功罪について書いてみたいと思います。平成と同時に始まり、大ブームになった番組を平成の最後に振り返るのもいいかと思いました。



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番組の概要

三宅裕司と相原勇を司会に、複数のアマチュアバンドが出演して「イカ天キング」の座を争う番組です。演奏中に審査員が、もう聴きたくないと思ったら赤ランプを押し、赤ランプが2つになると演奏しているバンドは縮小されたワイプ画面になり、4つになると演奏が終了してしまいます。



翌週にはイカ天キングに挑戦するチャレンジャーが選ばれて対決し、5週勝ち抜けると「グランドイカ天キング」の称号を得ました。そのままメジャーデビューしたバンドも多く、新人発掘番組としても機能するようになっていきます。

学園祭的雑多な空気

司会が三宅裕司ということもあり、真面目な音楽番組というより、バラエティ色が強く出ていたのが特徴です。出演バンドは上手さだけでなく、インパクトの強さや面白さでも選ばれていました。出演バンドの多くは、オーディションが緩い空気で行われるため、最初からキングになるバンドは決まっていて、プロデビューの前宣伝のためのヤラセだと思っていたようです。そのため「どうせテレビに出るなら目立ってやろう」と思った人も多く、それが番組独特の奇妙なテンションを生んでいました。



番組が話題になったのは、第1回の放送のガールズバンドのヒステリックスの騒動からでした。赤ランプが3つになり、ワイプで小さくなったことに怒った女性ボーカルが「ズボン脱ぐぞ!コラァ!」と叫びながら、ズボンと下着を一気に脱いでしまった事件です。深夜とはいえ生放送番組で、スタジオは騒然となり、三宅裕司が唖然とした顔で「バカ!やめろ!」と言っていました。

ズボンに手をかけた瞬間からカメラは上半身だけを映しており、すぐにスタッフからセットの外に連れ出されたので何も映ってはいません。しかしこの女性が何をしたのかは明白で、後に審査員の口から「カメラの前でパンツを脱いだ子がいた」という言葉が出ると、大きな話題になり、番組は広く知れ渡ると同時に、何が起こるかわからない番組として話題になっていきます。

主役は審査員だった

審査員長に音楽評論家の萩原健太(単に左端に座っていただけで、審査員長の肩書きはなかった)、プロデューサーの伊藤銀次、音楽評論家の湯川れい子、ベーシストの吉田建、ドラマーの村上ポンタ秀一、オペラ歌手の中島啓江などが並びます。この面々が時に厳しく、時に緩く行う審査が人気でした。



ドラマーに対して、少年ジャンプを重ねて叩いてるだろうと指摘した村上ポンタは、ドラムを叩かない練習は練習じゃないと否定し、「そこはセンスで叩きました」というドラマーには「テクがない奴にはセンスもない」と、厳しい口調で断じたりもしました。また伊東銀次が「アレンジはいいけど、曲になってないね」と、手厳しく評価することもありました。一方で「Aメロが一本調子で退屈」と言う吉田に、伊藤や萩原が「そこはいいでしょう!」と言い出し、吉田が謝るような展開もありました。

そもそも審査員にプロレスラーのラッシャー木村がいるのですから、楽しくワイワイやろうというノリだったのは明らかです。敗れて意気消沈のガールズバンド、NORMA JEANにラッシャー木村が「耐えて燃えろ!」とエールを送って場内が爆笑になったのは、イカ天初期の空気を物語っていると思います。



和気藹々とした審査員が勝手気ままに評する姿は、実はバンド以上に重要で、審査員が総入れ替えになった2年目から視聴率が急落しています。もちろん視聴率は審査員だけの問題ではありませんが、審査員そのものが大きな影響を与えていたのも事実なのです。これはイカ天の話題性によって、新人バンド発掘が番組の目的になっていたことが大きな要因だったのではないかと思います。

印象的だったバンド

初期のイカ天を支えたのは、3代目イカ天キングにして、初代グランドイカ天キングになったFLYING KIDS。ファンクを全面的に押し出す特異性に、聴きやすいアレンジが特徴でした。後に「幸せであるように」で、メジャーデビューします。

※FLYING KIDS「幸せであるように」


1週しか勝ち抜いてないのに強烈なインパクトだったのがJITTERIN'JINNです。ロカビリー風の格好に、可愛らしい歌詞と無表情なボーカル、そして単調なビートが相まって独特の雰囲気でした。メジャーデビューして「プレゼント」などで大ヒットを飛ばしました。

※JITTERIN'JINNの「プレゼント」


そして89年夏から90年にかけて番組の人気が急上昇する中で、個性的なバンドが怒涛の勢いで出演します。宮尾すすむと日本の社長は、情けない歌詞や気だるさを伴った歌詞で大人気で、宮尾すすむ本人に名前の借用を謝罪しに行くコーナーまで放送されました。

※宮尾すすむと日本の社長「二枚でどうだ」


その宮尾すすむと日本の社長からキングの座を奪ったのが、ガールズバンドのNORMA JEANで、当時大人気だったプリンセス・プリンセスから激励のファックスが届いたりもしていました。今や売れっ子ベーシストのTOKIEが、在籍していたことでも知られています。

関連記事: 美しいベーシストの多様性 /魅力的なTOKIEの多彩さ

※NORMA JEAN 「No Pains No Gains」


そのNORMA JEANを圧倒的な差で破ってキングの座に就いたのがBEGINで、見た目でいじられていたのが「恋しくて」を演奏すると、審査員全員から手放しの大絶賛を受けました。ブルースの曲調に、少ない言葉で気持ちを表現したBEGINは、そのまま他を寄せ付けずにグランドイカ天キングになり、メジャーデビューと同時に日産自動車のCMソングに採用される大躍進を遂げました。

※BEGIN「恋しくて」

その後に出てきたのがたまで、イロモノバンドが番組に増えてきて危惧される中、完全なるイロモノの風体で出てきた時には拒否反応を示す審査員もいました。しかし演奏すると評価は混乱とともに絶賛に変わります。グーフィー森の「こういうのをわかるって言っちゃいけないけどいい」という発言は、たまを象徴していたと思います。「さよなら人類」は番組内でも絶賛され、グランドイカ天キングになるとメジャーデビューを果たします。

※たま「さよなら人類」


そのたまに挑戦し、敗れたものの審査員から高い評価を得て、特例的に翌週にも出てきたのがマルコシアス・バンプです。グラムロックという特殊なジャンルで、Tレックスからの影響を隠すことなくメロディアスな曲を奏で、5週勝ち抜けでグランドイカ天キングになりました。

※マルコシアス・バンプ「バラが好き」


ここまでがイカ天の全盛期だったの思います。審査員が変わり番組の空気が変わり、それまでの勢いがなくなってしまいました。特筆すべきは、低迷期の番組にブランキー・ジェット・シティが出演していることです。イカ天キングになると5週勝ち抜いて、グランドイカ天キングになっています。メジャーデビューすると、一気にスターダムにのし上がりました。

イカ天の功罪

ライブハウスは以前から存在しましたが、アングラな雰囲気で初心者が入るには敷居が高い場所でした。そのライブハウスのノリをテレビに持ち込み、何が出てくるかわからない緊張感で番組は盛り上がりました。番組の影響の特徴として、イカ天を見てライブハウスに行こうといより、自分でもバンドをやってみようと思う人が多かったことです。バンドはブームになり、多くの中高生が楽器を手にして練習を始めました。



BEGINのように優れた演奏と歌で聴かせるバンドを輩出した反面、演奏力や歌唱力がなくとも歌詞の面白さやパフォーマンスで盛り上げるバンドも多く登場したため、楽器初心者でもバンドができることを示したのも特徴です。その一方で審査員の萩原健太は、そういうバンドの存在はいいんだけど、とエクスキューズを入れながらも当時の音楽業界自体が演奏は荒削りでもいいとなって、業界が浮き足立ってしまったと指摘しています。

イカ天はバンドを始めるハードルを下げたので、多くのバンドが登場することになります。それは同時に稚拙な演奏に目立ちたいだけのパフォーマンスを乗せたバンドを大量に産むことにもなり、本来は亜種だったそれらのバンドがメインストリームになってしまいました。参入障壁の低さは、裾野を広げるメリットと質を下げるデメリットの諸刃だったと思います。異常な盛り上がりを見せつつも、わずか2年で番組が終了したのは、ここら辺りに原因があったのだと思います。

まとめ

イカ天は大きなブームを巻き起こしただけでなく、音楽業界そのものに影響を与えていきました。第2次バンドブームの象徴的な番組ではありますが、イカ天前と後ではバンドの質が変わりました。それはイカ天前では音楽やバンドに興味や関心がある層がバンドを結成していたのに対し、イカ天後は音楽そのものに興味がなくとも「テレビに出たい」「人気者になりたい」ためのツールとしてバンドを選ぶ人が急増したことです。このことは、また改めて書きたいと思います。


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