テレビのままだった鮎川誠 /家に誘われた話

90年代の半ば、ミュージシャンの鮎川誠さんと少しだけ話をする機会がありました。福岡県出身の音楽ファンの私としては、鮎川誠さんは恐ろしくもあり憧れでもありましたが、実際に会ってみるとテレビのままのイメージで驚かされました。今回は鮎川誠さんについて書いてみたいと思います。



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鮎川誠登場

下北沢の知り合いの店(雑貨屋)にいると「最近、鮎川誠さんが来るんだ」という話になり、鮎川さんのバンド、シーナ&ロケッツの話をしていました。すると店の前にママチャリに乗り、サンダル履きの鮎川さんが現れたのです。あまりにも普通に現れたので、最初は誰だかわかりませんでした。しかし細身の高身長に、あの独特の喋り方は鮎川誠その人でした。知人が「こちらも九州出身なんですよ。ギターも弾いたりして、鮎川さんのファンなんです」と私を紹介すると、

「おお!あんたも九州ね!九州のどこね?福岡ね。よかねー!福岡ね」

と、上機嫌で話しかけてくれました。私はテンションの高さに戸惑いましたが、鮎川さんはお構いなしです。「やっぱ福岡のロッカーはライダースば着んとね」と私のジャケットを触りながら言いますが、この日はバイクで着ていたのでライダースを着ていただけでした。しかしそれも関係なく「やっぱライダースはよかね」と上機嫌です。それから若干の音楽談義があり、鮎川さんが突然こんなことを言い出しました。

「いつでもウチに遊びに来んね。福岡のロッカーならシーナも喜ぶけん」

さすがに戸惑い「え!あのシーナさんですか?」と言うと、「そりゃウチやもん。シーナもおるさ」と笑われてしまいました。「来るときはギターも持ってこなね。ロッカーは弦で語り合う方がよかろ」と言って、ママチャリで去っていきました。しかし私は鮎川さんに自宅の住所を教えてもらっていません。リップサービスだったのかな?と知人に言うと、「たぶん違うと思う。自宅に呼ぶには住所を教えないといけないってことに、気が回らない人なんだと思う」と言われました。

鮎川誠とは

1948年、福岡県久留米市にアメリカ人の父と日本人の母の間に鮎川誠は生まれます。中学生の頃にリトル・リチャードやローリング・ストーンズに夢中になり、高校時代からバンド活動を始めました。九州大学に進学すると音楽活動を本格化させ、福岡市中州のダンスホールで演奏する日々を送りました。



バンドメンバーを探していた篠山哲雄に誘われ、そこに柴山俊之(後の菊)らが加わり、サンハウスというバンドが結成されます。「めんたいロック」と呼ばれることになる福岡発のロックミュージックの先駆けで、サンハウスはアルバム「有頂天」でメジャーデビューすると一時代を築きました。サンハウスは、福岡のロックシーンを語るうえで伝説のバンドになっています。その後に数枚のアルバムを製作し、同棲していたシーナの妊娠を機に結婚しました。

※シーナ&ザ・ロケッツ

サンハウスの解散後は、シーナをヴォーカルに迎えたシーナ&ザ・ロケッツを結成します。シーナの歌いたいという声に応え、シーナが歌うためにバンドを結成したわけです。エルビス・コステロのオープニングアクトやYMOへの参加、ウィルコ・ジョンソンとの共演など、幅広い活動を繰り広げていきました。また福岡ではテレビCMにも多く出演していて、中でも福岡の人でも訛りがきつくて何を言っているのかよくわからない「とっぱちからくさやんつきラーメン」のCMは話題になりました。


長女の鮎川陽子はモデルで次女と三女は音楽をやっており、福岡では家族全員で企業広告やCMに出演することもありました。岩田屋のCMは家族が揃って出演したこともあり、福岡では話題になっていました。

鮎川誠のギターサウンド

ネットを中心に「鮎川誠のギターは下手」という声が少なからずあります。これにはいくつかの理由があります。

1.日本ではメロディアスなソロに速弾きを混ぜて演奏する人ばかりが評価されやすい。

2.リズムギターの上手い下手は、バンドをやらない人には理解しづらい。

3.鮎川誠本人が、上手い下手を重視していない。

4.40年以上使い続けているレスポール・カスタムがボロボロすぎて、チューニングが安定していない。

大まかに言って、これらの理由が「鮎川誠は下手」と言われる所以だと思われます。1は恐らく60年代のテケテケブームの頃からで、今でもメロウなソロが弾けるだけで一般の人からは「上手い!」と評価されがちです。2は仕方ないと言えばそれまでですが、1と合わせてソロを弾かないリズムギターリストの評価は、一般の方の間では不当に低くなることがあります。リズムギターは曲の印象に大きな影響を与えるので重要なポジションなのですが、派手なギターソロばかりが注目されがちで、バンドをやらない人からは評価されにくいのです。



3に関しては鮎川誠本人が「上手い下手だけで、ギターリストの好き嫌いを決めるような人は、そもそもロックなんて聴かん方がいい」とも発言しています。ロックではグルーヴやノリと言われる一体感による勢いみたいなものが重視されますし、熱く何かを伝えたいエモーションがなければただのやかましい音楽になります。伝えたい気持ちが先にあり、それを伝える手段としてテクニックが必要で、鮎川誠の場合のテクニックは流暢なソロではなく、ジャーンとコードを一発鳴らして相手を痺れさせることです。



キース・リチャーズのソロ曲「999」を聴いて、「最初にゴギンゴゴギーンってギターが鳴ろうが。かっこよかねぇ。痺れるもんね」とはしゃぐ姿からも、一撃のコードでいかに聴かせるかを重視しているかが伝わります。ウィルコ・ジョンソンに傾倒し、鋭利な刃物でザクザクと切り裂くようなコードカッティングこそ、鮎川誠が追い求めているテクニックなのでしょう。そしてその稀有な姿勢は、日本の一般的な音楽ファンからは評価されにくいスタイルなのです。

まとめ

あの時、鮎川さんに住所を聞いて押しかければよかったと、後に何度も後悔しました。去っていく鮎川さんの後ろ姿を見ながら、遊びに来いというのはリップサービスだよなと思ったのですが、鮎川さんと面識のある人にこの話をすると「そんなリップサービスするような人じゃない」と言われました。しばらくこの件は忘れていましたが、シーナさんの訃報を聞いた時に思い出しました。

鮎川誠は福岡が誇るギターリストであり、そのスタイルは稀有な存在です。多くのミュージシャンが時代の波に乗って登場して消えていく中で、流行や時代の波に流されず、独自のスタイルを貫きながら生き延びているという事実だけでも、鮎川誠が本物だという証明だと思います。自宅に行きたかったなぁ。



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