美しいベーシストの多様性 /魅力的なTOKIEの多彩さ
2000年に深夜番組で、デビュー仕立てのバンドのMVが流れた時に、ベースの格好良さに聴き惚れました。RIZEという名のバンドは、Chair(チャー)の息子のJESSE(ジェシー)がギターとボーカルを務め、ジョニー吉長の息子の金子ノブアキがドラマーを務める二世バンドでしたが、ベースはTOKIEという女性でした。デビュー曲「カミナリ」を聴いた時からTOKIEのベースに夢中になりました。
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この動画ではスラップでベースを弾いていて、この頃からかなりの腕前だったことがわかります。そしてノーマ・ジーンのメジャーデビューには参加せず、アメリカに渡っています。ニューヨークでのライブ活動を終えて帰国すると、本格的にセッションミュージシャンとして活動を開始しました。
私はこのAJICOを見逃しています。第1回目のロック・イン・ジャパンに出演していたのですが、台風が直撃してしまいザ・イエロー・モンキーの演奏中にセットの屋根の一部が飛んでしまうハプニングがあって、AJICOの公演は中止になったのです。今考えても、残念でした。そして2001年にTOKIEはRIZEを脱退します。そしてAJICOも活動が停止し、TOKIEはさまざまなミュージシャンと共に活動を開始します。
TOKIE Official site : WORKS
安室奈美恵や布袋寅泰、上戸彩や鬼束ちひろなどのメジャーどころから、さまざまなジャンルに参加しているのがわかります。
歯科助手のアルバイトをしながらミュージシャンを続けていたのも、正社員になってベースを弾く時間が減るのが嫌だったからだそうで、プロになりたいと思ったことが無かった反面、ベースを辞めるという選択もなかったのだそうです。そのためか若手ミュージシャンにアドバイスを頼まれた時も「プロになることを目標にするのではなく、いい音楽を作ることにこだわって」と言っていました。
音楽のジャンルに対するこだわりもなく、かっこいいと思った音楽に飛びついているようで、それが幅広い演奏スタイルに繋がっているようです。ノイズ系パンクからフュージョンまで、現在もさまざまなところに顔を出しています。
しなやかな指使いに独特のくねくねした動きで、豪快なサウンドから繊細な音までオールマイティに操っています。
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TOKIEとは
少し調べると、TOKIEはノーマ・ジーンというバンドのベーシストだったことがわかり、その腕前に納得しました。「三宅裕司のいかすバンド天国」(通称イカ天)でイカ天キングになったガールズバンドで、BEGINの「恋しくて」に敗れるまでキングで勝ち抜けていました。
イカ天でのノーマ・ジーンの映像
この動画ではスラップでベースを弾いていて、この頃からかなりの腕前だったことがわかります。そしてノーマ・ジーンのメジャーデビューには参加せず、アメリカに渡っています。ニューヨークでのライブ活動を終えて帰国すると、本格的にセッションミュージシャンとして活動を開始しました。
AJICOとRIZE脱退
RIZEでメジャーデビューした2000年に、元ブランキー・ジェット・シティの浅井健一とUAによって結成された、AJICOにドラマーの椎野恭一と共に参加します。アップライトも弾けるベーシストを探していた浅井がイベントでTOKIEを見かけ、声をかけたのが始まりでした。※左端がTOKIE |
私はこのAJICOを見逃しています。第1回目のロック・イン・ジャパンに出演していたのですが、台風が直撃してしまいザ・イエロー・モンキーの演奏中にセットの屋根の一部が飛んでしまうハプニングがあって、AJICOの公演は中止になったのです。今考えても、残念でした。そして2001年にTOKIEはRIZEを脱退します。そしてAJICOも活動が停止し、TOKIEはさまざまなミュージシャンと共に活動を開始します。
さまざまな遍歴
2002年に中村達也のロザリオスに参加すると、アラバキ・ロック・フェスティバルのために企画されたバンド、アンキーを結成して活動の幅を広げます。その間にも、さまざまなミュージシャンのサポートを引き受けています。その種類は多岐にわたるので、オフィシャルサイトを見た方が手っ取り早いです。TOKIE Official site : WORKS
安室奈美恵や布袋寅泰、上戸彩や鬼束ちひろなどのメジャーどころから、さまざまなジャンルに参加しているのがわかります。
※布袋寅泰、中村達也との3ショット |
とにかくベースを弾きたかった
吹奏楽部でコントラバスに触れてから、とにかくベースを弾き続けられる方法を模索して生きてきたというほど、音楽ありきのミュージシャンではなく楽器ありきです。ここはちょっと変わっているというか、こういうタイプのミュージシャンはそんなに多くないと思います。※亀田誠治との2ショット |
歯科助手のアルバイトをしながらミュージシャンを続けていたのも、正社員になってベースを弾く時間が減るのが嫌だったからだそうで、プロになりたいと思ったことが無かった反面、ベースを辞めるという選択もなかったのだそうです。そのためか若手ミュージシャンにアドバイスを頼まれた時も「プロになることを目標にするのではなく、いい音楽を作ることにこだわって」と言っていました。
音楽のジャンルに対するこだわりもなく、かっこいいと思った音楽に飛びついているようで、それが幅広い演奏スタイルに繋がっているようです。ノイズ系パンクからフュージョンまで、現在もさまざまなところに顔を出しています。
演奏スタイル
オーソドックスなツーフィンガーでもスラップでも弾けます。ウッドベースも弾けますし、様々なジャンルに対応できるマルチなベーシストです。女性のベーシストは迫力に欠ける場合がありますが、力強いサウンドも得意としています。当たり前のことですが、ベースの音が前面に出る曲でも、バンドを支えることを忘れることがありません。しかしこの当たり前のことができないベーシストが案外多くいるのも事実で、自分が目立つ番だと張り切って悪目立ちする人もいるのですが、TOKIEには無縁です。しなやかな指使いに独特のくねくねした動きで、豪快なサウンドから繊細な音までオールマイティに操っています。
※こちらはデモ演奏なので多彩なテクニックが見られます。
まとめ
ベースの女神と呼ばれ、幅広いジャンルで活躍しているベーシストがTOKIEです。あまりベーシストが注目されることは少ないですが、彼女のベースは特徴があるので聴けばすぐにわかると思います。バカバカと鳴らしまくるだけのベースでもなく、リズムを支えるだけでもなく、存在感を示してバンドを支えるTOKIEのベースに、これからも注目していきたいと思います。関連記事
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