ロックンロールとロックは違うのか
ロックンロールとロックは違うのか?という話題が某掲示板で行われていて、あまりにもどかしいので参戦しようかとモジモジしていました。しかし言葉をまき散らすだけの掲示板にあれこれ書くよりも、ブログにまとめた方がいいかと思い、ここに書くことにしました。まあ、ロックもロックンロールも同じものと言ってもいいのですが、似ているようでちょっとニュアンスが違うんですよね。
「おれはロールをこよなく愛してる。ロックンロールと呼ばれるには理由があるんだ。みんな口々にロックだロックだと騒ぐがロールがありゃしねぇ。それも別に構いやしないよ。でもおれにとっちゃロールが一番肝心なんだ。
ロックはヘヴィな要素でロールが軽やかな部分。ロールによってロックを空高く飛ばさなければならないのさ。曲にパワーを与えるのがロック、と同時にロールによって曲に回転をつけるわけだ。飛行機の設計と同じだよ。『ロックンロール機』は飛び立つんだ。パワーの他に優しさやスウィングも備えているからね。」
キース特有の言い回しでわかりにくいのですが、ロックンロールに憧れて音楽を始め、自分たちの音楽がロックと呼ばれるようになった貴重な世代の言葉です。私もこれに似たような感覚があって、ロールするかしないかが、この2つを分けているように思います。
身の回りの音を声や楽器で再現するのは、ちょっとした遊び心だったでしょう。雨や列車の音を楽器で奏でるのは、今日でもブルースの定番のフレーズになっています。壁やテーブルに2本の釘を打ちつけて針金をピンと張り、その針金をビール瓶で押さえながら弾いて演奏するのは、当時の多くの奴隷が行なっていたようです。これが今日のスライダギターやボトルネック奏法と言われるギターの元祖になります。
このような原始的な楽器では、基本的に演奏されるのは1コードのブルースです。この時代に、1コードでさまざまな展開の仕方が生まれたのは容易に想像がつきます。これらの黒人音楽は、日本でいう民謡のようなものです。そして奴隷解放が、劇的に変化をもたらします。解放された黒人たは教会に通うようになります。教会は娯楽として広まっていました。面白い話を聞かせてくれる神父や牧師がいて、さらに音楽がありました。多くの教会にはピアノがあったのです。
音楽好きの黒人にとって、いくつもの音を出せるピアノは魅力的な楽器でした。中には牧師に頼み込んで、ピアノを習う者も出てきました。黒人達が教会で学び、発展させていった音楽はのちにゴスペルと呼ばれるようになります。ブルースの大御所BBキングも教会でピアノを見た時から、ピアノに憧れていたそうです。しかし教会でピアノを弾けるのは1人だけで、ピアノを買うお金もなかったのでギターを弾いたといいます。20世期に入っても、教会のピアノは黒人の憧れだったようです。
黒人達が特有のリズム感を活かし、ピアノに触れたことでもう一つ新たな音楽が生まれます。彼らは西洋音階を学ぶと、自由な発想で音楽を演奏するようになりました。ニューオリンズを中心に発展したジャズは、こうして生まれました。
一方で、奴隷解放になった黒人達の多くは失業者になりました。白人の主人の言うことを聞いていれば寝るところと食べるものには困らない生活でしたが、奴隷解放で給料を払わなくてはならなくなり、多くの黒人が放り出されたのです。彼らは職を求めてミシシッピーからシカゴに向かいました。
そこに2つの画期的な発明が起こります。1つはドラムキットの誕生です。スネアドラム(小太鼓)、バスドラム(大太鼓)、シンバルの3つを1人で演奏できるドラムキットの誕生は、従来のパーカッションの1人3役も4役も可能になりました。ドラムキットがビートを強調する音楽を生み出すようになります。そして電気楽器が発明されます。マイクを内蔵したエレキギターは、より大きなホールでの演奏を可能にしました。
人々は酒場で踊るようになり、やがてダンスホールが誕生して踊ることを目的に集まるようになりました。ブルースはよりビートを強調したリズム・アンド・ブルース(R&B)になり、踊りもアップテンポになっていきます。1940年代頃からビートを強調した新しいブルースが流行るようになり、ビルボード誌の編集会議でR&Bの名前が採用されました。
彼らは電気楽器を多用し、100人以上も収容できるホールで演奏を頻繁行います。さらに彼らの音楽は、交通やラジオの発達によって、すぐに隣の都市にも届けられるようになります。彼らの音楽が届けられるのが早くなるなら、彼らの元に他の音楽が届けられるのも早くなり、ロックンロールはジャズやゴスペルなどを急速に取り入れて、次々に新しいメロディやビートを生み出すようになりました。しかしこの頃のロックンロールは、黒人のための黒人の音楽でした。そこに突如、美貌の白人青年が現れます。エルビス・プレスリーの登場です。
ミシシッピーに生まれ、テネシー州メンフィスで育ったエルビスは、幼少期から黒人音楽を聴いて育ちました。サンレコードと契約したエルビスは、黒人女性のコーラス隊を連れてテネシー州のあちこちで歌い、一躍テネシーの有名人になります。そして最大手のレコード会社RCAと契約することになります。テレビに出演したエルビスは黒人のようなダンスを披露し、さらにはストリップ小屋でやるようなアレンジで歌い、大反響を巻き起こし激しい批判を浴びます。
宗教団体や教育委員会の激しい糾弾の中、エルビスの人気は爆発的に若者の間に広がり、危機感を覚えた白人達は「皆さんのお子さんが黒人音楽を聴くということは、お子さんを黒人並みに堕落させるということです」と演説し、エルビスのレコードを焼き払いました。そういった過激な対抗策がニュースになり、エルビスの名前は全米に広がっていきます。
エルビスの登場は、ロックンロールを黒人だけの音楽ではなく、白人のものにもした象徴的な出来事でした。しかしロックンロールに急ブレーキがかかります。エルビスは徴兵によって活動を停止し、リトル・リチャードは飛行機事故の影響で引退し、チャック・ベリーは未成年のじよ女性を州を超えて連れ回した罪で逮捕され、収監されました。ロックンロールは停滞期に入ろうとしていました。
彼らはアメリカの黒人音楽に関心が高く、50年代に流行ったアメリカのブルースマン達をイギリスにも呼び寄せます。マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどがイギリスで再評価されることになります。イギリスで育ったロックンロールは、アメリカの黒人音楽に根ざしており黒人特有のノリを生み出すことに腐心していました。
70年代にはハードロックが全盛を迎え、後のヘビーメタルに繋がります。60年代とは違い、70年代にはロックは巨大産業となり、1曲のヒットで一生食べていけるほどの巨大なお金が動くようになりました。ハードロックは主に白人に支持されていきます。その中で黒人特有なノリやリズムよりも、白人がノリやすいビートになっていきます。いわゆる縦ノリと呼ばれるビートが全盛になり、このビートをどんどん単純化していき、リズム感の悪い人でも簡単に踊れるようにしたユーロビートに繋がります。
ロックンロールは、その誕生からあらゆる音楽を飲み込んでいきました。R&Bのビートを強調し、ジャズの影響を受け、やがて白人が演奏するようになるとカントリー・アンド・ウェスタンやブルーグラスの影響も含むようになります。ロカビリーというカントリー要素を色濃く残すジャンルも誕生し、さまざまな当時の流行を飲み込んでいきました。ビル・ヘイリーと彼のコメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をヒットさせた64年とは、まるで違う音楽のようになっていきました。ロックンロールとは違う呼称になるのも、当然だったのかもしれません。
キースはロールを再現するために、長い間アプローチを続けています。70年代には不規則なリズムギターを手に入れ、80年代にはリードプレイも絡めてリズムともリードとも区別できないギターサウンドを作りました。ソロでは黒人ミュージシャンと組むことを好み、ドラムのパターンに強いこだわりを持っています。「俺にも黒人の血が流れていたらな」と冗談めかして発言していますが、彼ら特有のリズム感を求めていたからだと思います。白人が主体となってから消えた、黒人特有のノリやリズム感が、ロールの正体なのではないかと思いました。ロックンロールからロールが消えたのが、ロックなのではないでしょうか。
ここに書いたのはあくまでも私見であり、決めつけるものではありません。それぞれの解釈があっても良いことだと思います。
キース・リチャーズの言葉
ローリングストーンズのギターリスト、キース・リチャーズはロックとロックンロールの違いについて、以下のように語っています。「おれはロールをこよなく愛してる。ロックンロールと呼ばれるには理由があるんだ。みんな口々にロックだロックだと騒ぐがロールがありゃしねぇ。それも別に構いやしないよ。でもおれにとっちゃロールが一番肝心なんだ。
ロックはヘヴィな要素でロールが軽やかな部分。ロールによってロックを空高く飛ばさなければならないのさ。曲にパワーを与えるのがロック、と同時にロールによって曲に回転をつけるわけだ。飛行機の設計と同じだよ。『ロックンロール機』は飛び立つんだ。パワーの他に優しさやスウィングも備えているからね。」
キース特有の言い回しでわかりにくいのですが、ロックンロールに憧れて音楽を始め、自分たちの音楽がロックと呼ばれるようになった貴重な世代の言葉です。私もこれに似たような感覚があって、ロールするかしないかが、この2つを分けているように思います。
ロックンロールの誕生1 ブルースの時代
アメリカの黒人音楽の原点はブルースになります。奴隷としてアメリカに渡った彼らは、ミシシッピー・デルタで綿花を摘みながら鼻歌を歌っていました。誰に聴かせるでもない歌はボソボソと独り言のような歌い方を発展させ、遠くにいる仲間に声を掛けるために張り上げた声は、シャウトになります。身の回りの音を声や楽器で再現するのは、ちょっとした遊び心だったでしょう。雨や列車の音を楽器で奏でるのは、今日でもブルースの定番のフレーズになっています。壁やテーブルに2本の釘を打ちつけて針金をピンと張り、その針金をビール瓶で押さえながら弾いて演奏するのは、当時の多くの奴隷が行なっていたようです。これが今日のスライダギターやボトルネック奏法と言われるギターの元祖になります。
※ブラインド・レモン・ジェファーソン(1893〜1929) |
このような原始的な楽器では、基本的に演奏されるのは1コードのブルースです。この時代に、1コードでさまざまな展開の仕方が生まれたのは容易に想像がつきます。これらの黒人音楽は、日本でいう民謡のようなものです。そして奴隷解放が、劇的に変化をもたらします。解放された黒人たは教会に通うようになります。教会は娯楽として広まっていました。面白い話を聞かせてくれる神父や牧師がいて、さらに音楽がありました。多くの教会にはピアノがあったのです。
音楽好きの黒人にとって、いくつもの音を出せるピアノは魅力的な楽器でした。中には牧師に頼み込んで、ピアノを習う者も出てきました。黒人達が教会で学び、発展させていった音楽はのちにゴスペルと呼ばれるようになります。ブルースの大御所BBキングも教会でピアノを見た時から、ピアノに憧れていたそうです。しかし教会でピアノを弾けるのは1人だけで、ピアノを買うお金もなかったのでギターを弾いたといいます。20世期に入っても、教会のピアノは黒人の憧れだったようです。
※リロイ・カー(1905〜1935) |
黒人達が特有のリズム感を活かし、ピアノに触れたことでもう一つ新たな音楽が生まれます。彼らは西洋音階を学ぶと、自由な発想で音楽を演奏するようになりました。ニューオリンズを中心に発展したジャズは、こうして生まれました。
一方で、奴隷解放になった黒人達の多くは失業者になりました。白人の主人の言うことを聞いていれば寝るところと食べるものには困らない生活でしたが、奴隷解放で給料を払わなくてはならなくなり、多くの黒人が放り出されたのです。彼らは職を求めてミシシッピーからシカゴに向かいました。
ロックンロールの誕生2 R&Bの時代
シカゴは巨大な街で、多くの人が溢れていました。ミシシッピーから来た黒人も多く、ブルースは故郷を懐かしむ音楽でもあり人気がありました。大人数を収容できる店では、大勢が音楽を聴けるようにマイクが設置され、ミュージシャンははマイクの前で演奏していました。そこに2つの画期的な発明が起こります。1つはドラムキットの誕生です。スネアドラム(小太鼓)、バスドラム(大太鼓)、シンバルの3つを1人で演奏できるドラムキットの誕生は、従来のパーカッションの1人3役も4役も可能になりました。ドラムキットがビートを強調する音楽を生み出すようになります。そして電気楽器が発明されます。マイクを内蔵したエレキギターは、より大きなホールでの演奏を可能にしました。
※世界初のエレキギター「フライングパン」 |
人々は酒場で踊るようになり、やがてダンスホールが誕生して踊ることを目的に集まるようになりました。ブルースはよりビートを強調したリズム・アンド・ブルース(R&B)になり、踊りもアップテンポになっていきます。1940年代頃からビートを強調した新しいブルースが流行るようになり、ビルボード誌の編集会議でR&Bの名前が採用されました。
ロックンロールの誕生3 草創期
ビートを強調したR&Bが人気になると、さらにビートを強調した音楽を演奏する人が現れるようになります。有名なところでは、64年にビル・ヘイリーと彼のコメッツが大ヒットさせた「ロック・アラウンド・ザ・クロック」で、それに続いてチャック・ベリー、リトル・リチャードなどがビートを強調した音楽をヒットさせていきます。この新しい音楽をラジオDJのアラン・フリードが、ロックンロールと名付けました。※チャック・ベリー(1926〜2017) |
彼らは電気楽器を多用し、100人以上も収容できるホールで演奏を頻繁行います。さらに彼らの音楽は、交通やラジオの発達によって、すぐに隣の都市にも届けられるようになります。彼らの音楽が届けられるのが早くなるなら、彼らの元に他の音楽が届けられるのも早くなり、ロックンロールはジャズやゴスペルなどを急速に取り入れて、次々に新しいメロディやビートを生み出すようになりました。しかしこの頃のロックンロールは、黒人のための黒人の音楽でした。そこに突如、美貌の白人青年が現れます。エルビス・プレスリーの登場です。
ロックンロールの誕生4 エルビスの登場
黒人音楽だったロックンロールに目をつけたプロデューサー達は、白人歌手にR&Bやロックンロールをカバーさせていました。白人歌手が歌う際には若干のアレンジが行われ、カントリー・アンド・ウェスタンのジャンルでヒットを飛ばします。そんな中、白人でありながら黒人のように歌うエルビスの登場は、音楽業界にとってショッキングな出来事でした。ミシシッピーに生まれ、テネシー州メンフィスで育ったエルビスは、幼少期から黒人音楽を聴いて育ちました。サンレコードと契約したエルビスは、黒人女性のコーラス隊を連れてテネシー州のあちこちで歌い、一躍テネシーの有名人になります。そして最大手のレコード会社RCAと契約することになります。テレビに出演したエルビスは黒人のようなダンスを披露し、さらにはストリップ小屋でやるようなアレンジで歌い、大反響を巻き起こし激しい批判を浴びます。
宗教団体や教育委員会の激しい糾弾の中、エルビスの人気は爆発的に若者の間に広がり、危機感を覚えた白人達は「皆さんのお子さんが黒人音楽を聴くということは、お子さんを黒人並みに堕落させるということです」と演説し、エルビスのレコードを焼き払いました。そういった過激な対抗策がニュースになり、エルビスの名前は全米に広がっていきます。
エルビスの登場は、ロックンロールを黒人だけの音楽ではなく、白人のものにもした象徴的な出来事でした。しかしロックンロールに急ブレーキがかかります。エルビスは徴兵によって活動を停止し、リトル・リチャードは飛行機事故の影響で引退し、チャック・ベリーは未成年のじよ女性を州を超えて連れ回した罪で逮捕され、収監されました。ロックンロールは停滞期に入ろうとしていました。
イギリスのロックンロール
アメリカで停滞期に入ろうとしていたロックンロールは、イギリスでも大人気でした。やがてバンドを始めた少年たちがステージに立つようになり、イギリスのロックバンドが生まれていきます。62年にビートルズがデビューして成功を収めると、ローリング・ストーンズが続き、すぐにザ・フーやキンクス、ヤードバーズなどが人気を得ました。彼らはアメリカの黒人音楽に関心が高く、50年代に流行ったアメリカのブルースマン達をイギリスにも呼び寄せます。マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどがイギリスで再評価されることになります。イギリスで育ったロックンロールは、アメリカの黒人音楽に根ざしており黒人特有のノリを生み出すことに腐心していました。
ハードロックの時代
ビートルズやジミ・ヘンドリックスなどにより、大音量によって歪ませたギターサウンドが表現手法に加わります。68年にジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンがデビューすると、大音量で歪ませたギターサウンドを前面に押し出し、バックビートにアクセントをつけた激しくラウドな音楽を展開しました。ディープ・パープルもこの路線に変更し、70年にはブラック・サバスがデビューします。ハードロックと呼ばれるこれらの音楽は、バックビートにアクセントをつけるなどの特徴がありますが、とにかく激しさを追求していきました。※レッド・ツェッペリン |
70年代にはハードロックが全盛を迎え、後のヘビーメタルに繋がります。60年代とは違い、70年代にはロックは巨大産業となり、1曲のヒットで一生食べていけるほどの巨大なお金が動くようになりました。ハードロックは主に白人に支持されていきます。その中で黒人特有なノリやリズムよりも、白人がノリやすいビートになっていきます。いわゆる縦ノリと呼ばれるビートが全盛になり、このビートをどんどん単純化していき、リズム感の悪い人でも簡単に踊れるようにしたユーロビートに繋がります。
ロックという呼称
ロックという呼称は、60年代後半から70年代にかけて定着しました。従来の黒人を中心にしたロックンロールから、白人主体になっていくなかでロックという呼び名も定着していきます。それは旧来のロックンロールとは区別するための意味もあったでしょうし、黒人特有の横ノリから縦ノリに変わってきたことも無縁ではないと思います。70年代にはハードロックほど激しくないロックンロールも存在し、それらをまとめてロックと言っていたように思います。またハードロックもロックのカテゴリーに含まれる音楽でもありました。※スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ |
ロックンロールは、その誕生からあらゆる音楽を飲み込んでいきました。R&Bのビートを強調し、ジャズの影響を受け、やがて白人が演奏するようになるとカントリー・アンド・ウェスタンやブルーグラスの影響も含むようになります。ロカビリーというカントリー要素を色濃く残すジャンルも誕生し、さまざまな当時の流行を飲み込んでいきました。ビル・ヘイリーと彼のコメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」をヒットさせた64年とは、まるで違う音楽のようになっていきました。ロックンロールとは違う呼称になるのも、当然だったのかもしれません。
ロールはどこにいった?
ロックンロールは黒人特有のノリがあり、それは現在では横ノリと言われるものです。縦ノリ、横ノリはドラムのパターンで語られることが多いのですが、ピアノやギターにも存在します。またボ・ディドリーのジャングルビートやジョン・リー・フッカーのブギービートなどは、不規則で揺れるリズムを作っています。ローリング・ストーンズやヤードバーズは、彼らのビートを再現できずに単純化して演奏していました。この揺れこそがロックンロールのロールだとすれば、最初のキース・リチャーズの言葉も理解しやすくなります。※ボ・ディドリー |
キースはロールを再現するために、長い間アプローチを続けています。70年代には不規則なリズムギターを手に入れ、80年代にはリードプレイも絡めてリズムともリードとも区別できないギターサウンドを作りました。ソロでは黒人ミュージシャンと組むことを好み、ドラムのパターンに強いこだわりを持っています。「俺にも黒人の血が流れていたらな」と冗談めかして発言していますが、彼ら特有のリズム感を求めていたからだと思います。白人が主体となってから消えた、黒人特有のノリやリズム感が、ロールの正体なのではないかと思いました。ロックンロールからロールが消えたのが、ロックなのではないでしょうか。
ここに書いたのはあくまでも私見であり、決めつけるものではありません。それぞれの解釈があっても良いことだと思います。
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