マイクロソフトはどうやって危機を乗り越えたか

先日、付き合いで講演を聞きに言ったのですが、その中で「マイクロソフトは常に優れた技術を提供することで発展してきた」という言葉がありました。私はこの意見に懐疑的です。マイクロソフトの凄さは、技術的に劣るものを世界で最も売る力があったから、巨大帝国を築けたと思っています。特にウインドウズ95を発売した95年の危機で見せた見事な回避術は、マイクロソフトの企業としての底力を見た気がします。今回は、マイクロソフトの危機の話です。


マイクロソフトの歴史

1975年、ビル・ゲイツとポール・アレンによって設立しました。社名を考案したのはアレンで、設立時にゲイツはまだ学生でした。彼らの最初の成功は、IBMが作ったコンピューターのオペレーティングシステム(OS)の開発で、MS-DOSと名付けられたこのOSは、長い間IBMのコンピューターで使われることになります。


1982年、ゲイツはMS-DOS上でGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェイス  現在のアイコンをマウスでクリックしてソフトを立ち上げるようなシステムのこと)を実現している会社があることを知ると、ゲイツはマイクロソフトがGUIを実装するシステムを発売すると発表します。しかしゲイツには、その時にアイデアもノウハウもありませんでした。84年にGUIを実装したマッキントッシュがアップルから発売され、その時にマイクロソフトはマッキントッシュ用の表計算ソフトのエクセルを製作します。

さらにその後、後にアップルから盗作として訴えられるウインドウズ1.0を85年にリリースし、MS-DOS上でGUIを表現することに成功します。この時点でウインドウズは、OSではなく擬似GUIを実現するソフトウェアにすぎませんでした。ウインドウズは改良を重ね、95年にはGUIを実装したOSとしてのウインドウズ95をリリースし、世界的なマーケティングが成功して大ヒットになります。

※MS-DOS

このヒットにより、マイクロソフトは先行していたマッキントッシュに追いつき、圧倒的なシェアを誇るようになりました。その後はインターネットの波に乗り、巨大な帝国になっていきます。

インターネットは普及しない

天文学的な予算を投じて、ウインドウズ95のマーケティングが行われました。当時のCMにはローリング・ストーンズの「スタート・ミー・アップ」が使用されましたが、ミック・ジャガーはマイクロソフトに断るつもりで「30秒のCMで使うなら300万ドル(3億円)」と言ったところ、マイクロソフトが即決して驚いたと語っています。

Start Me Upを使ったWindows95のCM


しかしこの天文学的な投資は大成功し、ウインドウズ95は世界的に大ヒットして、巨万の富をマイクロソフトにもたらしました。しかしその大成功の陰で、IT業界には巨大な変革が静かに進行していました。インターネットの普及です。当初ゲイツはインターネットを軽視していました。

94年4月に設立したモザイク・コミュニケーション社(後のネットスケープ社)が、ブラウザというインターネットにアクセスするソフトを無償で配布し、爆発的な人気を得ていました。しかしゲイツはインターネットは普及しないと断言しており、以前から主張している双方向ネットワークテレビが、未来のインフラになると信じていました。

マイクロソフトの事情

あらゆるOSからアクセスできるインターネットは、ゲイツが最も嫌う存在でした。ゲイツにとって、未来のインフラはウインドウズで行われるべきであり、他のOSで実現することなど許せなかったのです。そしてマイクロソフトのNo2のネイサン・ミアボルドの存在がありました。300年先の未来を見渡すと言われた彼の未来予想に、インターネットの普及は含まれていなかったのです。

※300年先を見通すと言われたネイサン・ミアボルド

インターネットに接続して回覧するブラウザの製作を支持したのは、後にCEOになるスティーブ・バルマーだったと言われます。彼は数人の部下に「それが何か私は知らないし、知る気もない。しかし顧客が求めている」と、ブラウザ開発のための研究を始めました。しかしそれは小規模で、目立たない動きでした。ゲイツはインターネットは絶対に普及しないと断言しており、多くの人材は双方向ネットワークテレビに割かれていたからです。

方針の転換

ネットスケープ社は、彼らが開発したネットワーク・ナビゲーターの機能限定版を無料で配布し、フル機能版を販売する手法をとりました。無料版は雑誌の付録や店頭での配布により一気に広まり、株式を上場すると買いが殺到しました。インターネットが未来への扉なのは明らかで、その中でもゲイツはインターネットは普及しないと言い続けていました。しかしネットスケープが配布する無料ブラウザは加速度的に広がり、彼らは驚異的な売上を見せるようになります。インターネットが未来のインフラだということは、誰の目にも明らかでした。

※ネットスケープ

そしてついにゲイツは決断します。未来は双方向ネットワークテレビではなく、インターネットにあることを認めたのです。あらゆる開発を中止させ、全社を挙げてブラウザを開発することを命じました。これは社内で秘密裏に発表され、口外することは禁じられました。ゲイツは自分たちのブラウザが完成するまでに、少しでもインターネットの普及を抑えるべく、メデイアに出てはインターネットに未来はないと言い続けました。ゲイツは自作のブラウザをウインドウズ95に搭載して販売することを決めました。あまりに開発期間が短く付け焼刃的でしたが、大きく出遅れたマイクロソフトにとって、もはやこのタイミングしかなかったのです。

 ウインドウズ95発売

インターネットエクスプローラー1.0は、ウインドウズ95に搭載されて販売されました。不安定ながらようやくGUIを実装したウインドウズ95を、未来を変えるOSだとマイクロソフトは宣伝しました。実際にはUNIXベースのOSに比べて恐ろしく不安定で、アップル社のマッキントッシュに比べると貧弱なGUIでしたが、湯水のごとく資金を投入したマーケティングで話題をつくり、ウインドウズ95の発売前には徹夜でショップに並ぶ人もいました。

※Windows95の発表

インターネットエクスプローラー1.0は、バンドルされていたにも関わらず、全く話題になりませんでした。表組みすら実装されておらず、ただ文書を表示するだけのもので、写真の表示にも恐ろしく時間がかかりました。ネットスケープナビゲーターとは比べものにならないほど貧弱で、とても使い物にならないレベルでした。専門家はマイクロソフトがインターネット分野で決定的に出遅れたと分析し、消費者はウインドウズ95にネットスケープナビゲーターをインストールしてインターネットを楽しみました。

格付け会社は、これまで一貫してマイクロソフト株を「買い」と評価してきました。しかしインターネット分野であまりに遅れていることを知り「ステイ」に評価を落としました。急上昇していたマイクロソフトの株価にブレーキがかかりました。

ブラウザ戦争

ゲイツは喫緊の課題として、表現力に乏しく動作が遅いインターネットエクスプローラーを、どうにか使い物になるようにすることに注力しました。そしてこれまでインターネットは普及しないという前言をなかったことにし、インターネットの未来を語ります。ゲイツはマイクロソフトだけがインターネットの未来の鍵を持っていることを強調しました。

※インターネットエクスプローラー1.0

マイクロソフトはインターネットエクスプローラーの改良に取り組むと同時に、ネットスケープ社の悪評を宣伝することにも注力しました。これはかつてMS-DOSを売り込む際に、ライバルのDR-DOSの悪評を広めたのと同じ手法でした。次々にインターネットの改良版をリリースし徐々に精度を上げていくと、ネットスケープも反撃に出ました。ウインドウズにインターネットエクスプローラーをバンドルして販売することは、独占禁止法に抵触すると訴えたのです。

マイクロソフトは法廷闘争を続けながら、開発の手を緩めませんでした。彼らはネットスケープよりも多くの人員と資金を持っています。法廷闘争が長引き、裁判が混乱すればするほど、人と金を多く持つマイクロソフトに有利になるのです。マイクロソフトにとって、裁判はネットスケープの開発を遅らせる格好の手段になりました。

ユーザーの混乱

マイクロソフトは、インターネットの記述言語であるHTMLの規格から外れた機能をインターネットエクスプローラーに積極的に搭載していきます。こうすることで、インターネットエクスプローラーでは表示されるのにネットスケープナビゲーターでは表示されない現象をつくり、いかにネットスケープが劣っているかを宣伝しようとしたのです。

これに対抗してネットスケープも独自規格を取り入れ、互いに独自規格の幅をどんどん広げていったため、ユーザーは混乱するようになりました。ネットスケープで表示が崩れるサイト、インターネットエクスプローラーで表示が崩れるサイトが増え、ユーザーは何を使ってインターネットに接続すれば良いのかわからなくなりました。またwebサイトを作る人にとっては、複数のブラウザで表示されるかを確認する必要があり、利便性がどんどん損なわれていきました。

ブラウザ戦争の勝利

裁判とマーケティングで戦い続けたマイクロソフトは、ネットスケープに勝利しました。資金力にものを言わせてなりふり構わず戦うマイクロソフトに、ネットスケープの資金力はあまりに貧弱でした。ネットスケープは倒産し、インターネットエクスプローラーがブラウザの主役になりました。

※ブラウザのシェア

ネットスケープは記述言語の記述ミス補正を積極的に行わなかったとか、CSS処理の遅れを指摘する声がありましたが、マイクロソフトの大規模な攻勢により、途中から開発どころではない状態に追い込まれていました。2000年頃にはインターネットエクスプローラーが9割以上のシェアを握り、ブラウザ戦争は終結しました。

ユーザーにとって悲惨だったのは、ブラウザ戦争に勝利したマイクロソフトが、インターネットエクスプローラー6.0から開発を止めてしまい、セキュリティ上の問題も放置したため、多くのウイルスの脅威に晒されてしまうのですが、この話はまた別の機会にしたいと思います。

まとめ

95年のウインドウズ95発売の際に、マイクロソフトはインターネットに大きく出遅れてしまいました。それは経営者ビル・ゲイツの大きな失態で、マイクロソフトの独占にこだわり続けた故の失敗でした。しかしゲイツの一声で全社の方針を180度転換させ、短期間でお粗末ながらブラウザを完成させる底力を見せ、その後数年間にわたって恥も外部もなくネットスケープを叩き続ける継続力によって、マイクロソフトは生き長らえました。

これがマイクロソフトが巨大帝国を築けた理由だと思いますし、マイクロソフトが嫌味嫌われる理由でもあります。そしてこの10年後にマイクロソフトは再び重大な危機を迎えるのですが、2018年に再び時価総額世界一に返り咲きます。この手法は資金にものを言わせる力づくの方法ではなく、鮮やかな手法でした。これも機会があれば書いてみたいと思います。



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