出されたお茶を飲む飲まないのマナー議論の本質

少し前にネットで議論が巻き起こり話題になった「出されたお茶を飲むか?」についてです。訪問先で出されたお茶を飲むのは、ビジネスマナーに反しているという意見があり、飲むか飲まないかで議論になりました。私が少し前に出席したビジネス系の座談会で、このことが話題になりました。本質的なことが抜け落ちてるから、こんなことが話題になるということで、全員の一致をみました。


議論の内容

訪問した会社でお茶を出された時、そのお茶を飲むべきかというのが議論の1つです。

・出されたお茶に手をつけないのは失礼
・お茶を飲む行為はお客様意識の現れ
・先方から「どうぞ」と言われるまで手をつけるべきではない
・飲み残しは捨てるだけなので飲んだ方が良い
・飲まないのは昔からの常識

など、さまざまな意見が飛び交っていました。そしてもう1つ、出されたお茶をを全て飲み干すのは失礼だという議論もありました。

・◯分の一程度残すのが良い。
・片付けが面倒だから全部飲んで欲しい。
・全部飲むとお代わりを要求しているように見えてしまう。
・一口だけ飲むのは、暗に「美味しくない」と言ってるように見えるのでダメ。

このようにさまざまな意見が飛び交っていました。

マナーの観点から見てみる

上記のようにさまざまな意見が多くありましたが、マナーの点から考えると相手のことを考えていない意見が多いですよね。「飲むのがマナー」「飲まないのがマナー」と言いつつ、相手のことを考えていないのはどうかと思います。「昔からの常識だから飲むべきではない」みたいな意見は思考停止で、相手の気持ちはだけでなく自分の事情も無視した考えで息苦しいだけだと思います。


お茶を出して、相手が一口も飲まなかったら「奥ゆかしい」と思うでしょうか。「お茶は嫌いなのかな?」と思うでしょうか。それとも全く気にならないでしょうか。ハッキリ言ってしまうと、マナーにこうすれば良いという唯一無二の考えはないのです。時や状況や相手によって変わるのは当然で、マナーとはどうするのが正解かを考える場ではありません。唯一のやり方を決めるのはルールやプロトコルの方です。

見え隠れする「お客様は神様」思考

この議論の中で割と多く出ていた意見の中に、お茶を飲まない理由の中に「商談で行っているので、お客様として行っているわけではないから」とか「就活の面接では、自分はお客様ではないから」といったお客様思考が多く見られました。

商談なら自分の会社の製品を買って欲しくて、会社を訪問することもあるでしょう。そんな時は相手がお客様なのだから、お客様から出されたお茶を飲むのは失礼だという考えです。お客様から出されたお茶を飲むのが失礼というのは、なんとも奇妙な理屈に思えますが、案外この手の意見が多くありました。そもそもお客様が上位で売る側が下位にいるというのは、変な理屈なのです。



ルート営業だろうがコンビニだろうが、商品の価格を提示して、相手が気に入ったら買うわけです。質の割に高いと思わなけれ買わないですし、質が良く価格が安いと思っても不要なら買いません。顧客にはいつでも断る権利があり、同時に買うことも可能です。売る側にもリスクのある顧客なら売らないことができますし、基本的に価格は売る側が自由に決められます。つまり売る側と買う側は対等な関係なのが基本です。

日本では謙譲の美徳が大事されているので、売る側は「買っていただいた」と言い「売ってやった」とは言いません。ところが近年では買う側に謙譲の美徳が希薄になってしまっています。「良いものを売っていただいた」とは言わず常に「買ってやった」と考える人が増えたのです。「買っていただいた」と思う売主と、「買ってやった」と思う買主の間に上下関係が出来上がるのは必然で、だからサービスが悪いと言って店員を土下座させてその動画をネットにアップするような行為が増えたのだと思います。

売主と買主は対等な関係で、双方が「買っていただいた」「売っていただいた」という謙譲の美徳があれば、あのような問題は発生しないと思います。同様にお茶を飲むか飲まないかの議論で、お客様意識の表れがどうのという意見も出てこないと思います。

お茶を飲もうが遅刻しようが気にならない人もいた

私の体験ですが、某大手不動産会社に勤務している時に、某大手シンクタンクの人がよく来ていました。30代の女性研究員で、彼女は常にビジネスモデルを検討しては参加企業を募っていたので、私の元に営業しにきていたのです。忙しい人でいつも大荷物を抱えて走っていました。約束の時間の30分ぐらい前に「15分遅れます」みたいな電話がかかって来るのはしょっちゅうで、20分以上遅れてやってくると、謝罪しつつ汗を拭きながら、私が出したお茶を一気飲みしてから商談を始めていました。



遅刻する、汗だくでやってくる、お茶を一気飲みする、時には(恥ずかしそうにではあるが)おかわりを要求するなど、ビジネスマナー講師がみたら悲鳴をあげそうな人でした。しかし私は彼女から連絡が来ると、他の用事をキャンセルしてでも時間を作っていました。他社の人もそうだったようで、だからこそ彼女は人気者で、あちこちに呼ばれるので毎日忙しそうに動き回っていたのです。

なぜそんな人のために時間を作っていたかというと、彼女が持ち込む話の多くはとても興味深いものだったからです。彼女と会うと競合他社の動きが見えますし、さまざまな業界の動向にも詳しく、さらに同級生が中央省庁にいるらしいのでそういった情報も入ります。彼女は私が興味を持ちそうな情報を織り交ぜて商談を行うので、私は彼女に会うのが楽しみでした。だから汗だくで来ようが化粧が崩れていようが、30分ぐらい遅れて来ようが気になりませんでした。

「あの法改正は新聞が先走って報道しただけで、本格的には動いていないそうですよ」
「それは〇〇省の人から聞いたのかな?」
「・・・・(ただじっと私の顔を見る)」
「そうか、じゃあ心配しなくてもよさそうだね」

こんな会話ができる人だから、多くの人が彼女のために時間をとっていたわけです。

ビジネス的側面からお茶問題を考える

上記の彼女の例でもそうですが、自分に必要な情報を与えてくれる人、ピンチを救ってくれる人、役に立つ人ならば些細なことは気にならなくなります。融資が受けられなくて倒産しそうな会社に銀行員がやってきて、出されてきたお茶を一気飲みした後に「当行が融資します」と言ったとしたら、「マナーが悪いから断ろう」と考えるでしょうか。「ありがとう」と言って大喜びするでしょう。



営業の場合も同じです。自分にとって有益な情報を与えてくれる人なら、お茶を飲むとか飲まないとかはどうでもよい話で、会って話したくなるものです。ではなぜお茶問題のような些細なことが問題になるのでしょうか。それは営業ではなく御用聞きをやっているにすぎないからです。相手が会いたくもないのに会いに行き、何も相手に与えずに「買ってください」「仕事をください」とだけ言うことをしていれば、「あの人は会いたくもない自分に時間を作ってくれている」という後ろめたさがあるので、「さらにお茶まで出してもらって、それを飲むわけにはいかない」と考えるのだと思います。

営業ではなく役に立たない御用聞きが何社も訪れるようになると、比較するものがないので細かな所作が比較対象になってしまいます。近年の細かいマナーで目くじらをたてる風潮は、こういうところから来ているように思います。問題なのは、お茶を飲むか飲まないかを気にする程度の営業活動しか、していないことではないでしょうか。

就活も営業も変わらない

冒頭に触れたビジネス座談会で、「就職活動では雇って欲しい学生からすると、気後れするのは仕方ない」という意見もありましたが、私は違うと思います。就活生も同じ格好でやって来て、同じマニュアルに沿って話し、同じような受け答えしかできないから容姿や細かな所作でふるいにかけられるのです。



某大手電機メーカーの女性社員で、就活で有名になった人がいます。最終面接で「最後になにか言いたいことはありますか?」と聞かれて、

「私、どうしても御社で照明の設計がやりたいんです。しんどいとかきついとか絶対に言いません。体力しか自信がないですけど、絶対にお役にたつ社員になります。いつか設計に行けるなら、どんな仕事もします。何時間でも使こうてください。休まんでもええです。だから私を採用してください」

いろんな人の話をまとめると、こんなことを言ったそうで、途中から方言が出て最後は涙目になって訴えていたので面接官も圧倒されたそうです。彼女にはいろいろな事情で強い思い入れがあったようで、当時のことを聞くと「その話は、聞かんといてください!」と照れていましたが、面接官に売り込むものがない彼女は情熱を売り込んだのです。

就職活動は、人材が欲しい企業と自分を売り込みたい人のやり取りです。雇う側が偉いわけでも、雇われる側が下にいるわけでもありません。どちらにも拒否する権利があり、対等の関係です。会社のことを調べ上げ、会社が求めるポイントを探して自分を売り込むことが最も大事で、座り方やノックの仕方は二の次なのです。しかし売り込むものがなく、売り込みもできない学生を何人も相手にすると、ノックを2回したとかお辞儀の角度が浅いとかしか比較するところがなくなるのです。

まとめ

お茶を飲むか飲まないかというには、本質から離れた些細な問題にすぎません。本来の営業や面接ができていたら、こだわる部分ではないはずです。しかしこれらの些細なことが議論になるということは、相手を感動させる営業や面接ができていないということだと思います。

このようなマナーを考えるよりも、相手を感動させる仕事をすることを考える方が有意義だと思いました。



コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

消えた歌姫 /小比類巻かほるの人気はなぜ急落したのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

ナイフ一本で40人の武装強盗に立ち向かった兵士 /勇猛果敢なグルカ兵

懐中電灯は逆手に持つ方が良いという話