史上最悪のCEOと呼ばれて /カーリー・フィオリーナ

女性初のCEOとしてヒューレット・パッカード(HP)のCEOにカーリー・フィオリーナが就任したのは、1999年でした。女性が管理職に就くガラスの天井を打ち破ったとしてメディアから大きな注目を集めたカーリーは、2005年に史上最悪のCEOのレッテルを貼られてクビを宣告されました。最近では再評価の動きもあるようですが、果たして彼女は何が悪かったのか考えてみたいと思います。



生い立ち

1954年にテキサスのオースティンに生まれ、父親の仕事の都合で住む場所を転々としています。勤勉で頭が良かったカーリーはスタンフォード大学に入学すると、メリーランド大学で経営博士号を取得しています。そして1980年にAT&Tに管理職訓練生として入社しますが、当初は受付嬢もしていました。そこから昇進を重ねて副社長にまで上り詰めます。

※高校時代のカーリー

HPのCEOへ

99年にHPがカーリーをCEOに迎えると、メディアは熱狂をもって彼女を称えました。叩き上げの、しかも女性がHPのような巨大企業のCEOに就任するのはシンデレラストーリーであり、成功を体現する女性として賞賛されたのです。そして滑り出しは順調に見えました。



2002年にカーリーが主導して、コンピューターメーカーのコンパックを買収します。大型M&Aは話題になり、この難事業を成功させたカーリーは絶頂期にありました。これでHPはデルを抜いて世界最大のパソコンメーカーになり、まさに順風満帆でした。しかし業務の統合に時間がかかりすぎて売上の悪化を招き、経営不振に陥ります。

従業員の評判だけでなく株主からも不評を買ったカーリーは、2005年に全ての職を辞することになりました。今では経営者のやってはいけないことの例として、カーリーの経営手法が挙げられることも多く、典型的な失敗経営と言われています。

何が悪かったのか

効率を重視したカーリーは、企業文化を理解していなかったと言われます。当時のHPは広範囲に製品を出していて、何が専門なのかわからなくなっていました。プリンター、PDA、モニター、コンピューターなどでブランドを持ち、全商品を把握している社員がどれほどいるのか怪しいほどでした。

ブランドイメージを強固なものにするため、製品を絞る必要がありました。そこで不採算部門を次々に閉鎖していくのですが、それ自体は真っ当な方法です。しかし企業には歴史があり、不採算であっても企業の顔とも言える商品があります。ソニーにとってのウォーウマン、アップルにとってのマッキントッシュなどです。カーリーはHPにとってのそれらのものも、不採算を理由に閉鎖していきます。

例えば電卓がそうでした。カーリーはほとんど売れていない電卓に関して、2000年に製造と販売の停止を決めました。80年代にはHPの電卓は最大のヒット商品で、技術屋や金融マンは必ずHP電卓を使いました。HPの歴史において、電卓は成長を支えたHPの顔のようなものでした。



販売停止が決まると、在庫の確保を求めて愛用者達が奔走し、販売停止の撤回を求める声が起こりました。80年代からの愛用者達は、他のメーカーではなくHPの電卓を必要としていました。思わぬ市場の反発に会い、急遽販売は細々とですが継続することになりました。このような出来事がいくつもあり、カーリーは数字しか見ておらず企業そのものを見ていないのでは?という不信感が出てきました。



反論を許さない

カーリーは独裁者のように振る舞いました。自分の意見に反対する者は容赦なく切り捨て、自分と志を同じくする人しか周囲に置きませんでした。そのためカーリーに反論する人がいなくなり、カーリーの意見だけで全てが決まるようになります。つまりイエスマンばかりで周囲を固めたのです。こうした一方的な経営方針には、従業員にも不満がたまりました。

※ピーター・ドラッカー

ドラッカーは経営者に対して、自分に反論する者を最も近くに置くように説いていました。ドラッカーはGMの初代社長を例に挙げ、常に反論してくる役員が「あなたとは意見が合わない」と辞職を申し出た時に「私には君のように反論してくれる人が必要だ」と引き止めたエピソードを伝えています。役員会で全一致で決まる時には、全員が見落としている点があるかもしれないと考える思慮深い経営者は、反論する人を側に置いて自分とは異なる視点を求めるのです。

独裁者的な振る舞いが全てダメなわけではありません。サッカーの名監督アーセン・ベンゲルは監督の資質を尋ねられた時に「聡明で慈悲深い独裁者」と答えています。リーダーは全員が嫌がる決定を下さなくてはならないことがあり、独裁者のような振る舞いが必要なこともあります。カーリーには慈悲深さが欠けていたのかもしれません。

リーダーシップはパフォーマンス

保守的なHPの経営陣は目立つことを避けて、影で企業を支えてきました。しかしアップルにはスティーブ・ジョブズ、マイクロソフトにはビル・ゲイツ、サン・マイクロシステムズにはスコット・マクニーリーと、話題の企業にはスターがいます。カーリーは、HPのスターとして自分を演出しました。

※グウェイン・ステファニーとカーリー

莫大な広告費を投じ、華やかな場所に顔を出し、カーリーはスターのように振る舞いました。さらに何機ものジェット機を購入させて、世界中を飛び回り話題を振りまいていきます。「リーダーシップはパフォーマンス」という彼女の信条を体現したのですが、株主にも従業員にも不評でした。なぜならHPはコスト削減のために大規模なリストラを行なっており、従業員のクビを切って優雅な生活を送っているように見えたからです。

コンパック買収は失敗だったのか

コンパックとの統合に手間取ったのは、経営の技術的な問題に加えて、上記の企業文化への不理解があったと言われています。コンパックが大事にしてきたこと、コンパックの誇りを理解せずに自分のやり方を押し付けたため、反発とモチベーションの低下を招いたというわけです。

近年になって、コンパック買収は正しかったと再評価する声も出ています。しかしカーリーには実行力が伴わなかったので、短期的には失敗になったという考えです。コンパック買収はさまざまな評価が出ていますが、カーリー退任後も酷いCEOが続いたHPがなんとか生き残れたのは、コンパックの資産があったからという意見を完全に否定するのは難しそうです。

その後のカーリー

HPをクビになった後、サイバートラストなどの取締役に就任し、2009年には政界に進出して上院議員になります。さらに2015年には大統領選挙に出馬し、共和党の指名争いを戦います。しかし「史上最悪のCEO」の汚名は続き、ドナルド・トランプからHPを失墜させた張本人と名指しされたうえにこき下ろされ、2016年に選挙戦から撤退を表明しました。



まとめ

カーリーはキレ者で勤勉で献身的だったと言われます。しかし悪評ばかりが先行し、業績も残せませんでした。保守的な会社にスターのように現れ、周囲を置き去りにして突き進んだため、気がつけば周囲が敵だらけになっていたように思えます。女性初のCEOということで注目が集まりすぎたため、失敗が大きく拡散されてしまったのではないでしょうか。


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