小説の編集者が指摘しなくなった? /体言止めという面倒さ

私が20代の頃、某出版社の編集者の知り合いがいました。その人は若手の小説家に対して、「体言止めはミスだとして書き直してもらう」と言っていました。そして体言止めを使用しないのは、小説の世界では常識だと言っていたのですが、最近の小説を読むと体言止めを連発しているものもあり、以前とは変わったのかな?と思います。



体言止めとは

俳句では、よく使われる手法です。体言とは名詞や代名詞、数詞など活用がない言葉の総称になります。その体言で文章が終わることを体言止めと呼んでいます。説明するとややこしいので、例を見てみましょう。

古池や 蛙飛び込む 水の音

有名なこの俳句は、文章の最後が「音」という名詞で終わっています。これが体言止めですね。また俳句だけでなく、新聞の見出しは体言止めが使われることが多くあります。

トランプ氏 北と再会談を示唆

某新聞の見出しですが、こちらも「示唆」で終わっていて体言止めです。「示唆した」でも「示唆しました」でもなく「示唆」です。

体言止めの効果

新聞で体言止めが多用されるのは、文章を短くできるからです。文章を短くまとめて、なるべく多くの情報を伝えたい新聞では、とても効果的な方法だと思います。小説でも体言止めを上手く使うと、文章にリズムが生まれます。「〜ました」「〜でした」の繰り返しでは文章が単調になり、読んでいて飽きてきます。体言止めは変化を生み、小気味よいリズムを作るのに向いているのです。

そして何より文章に余韻を残すことができます。俳句は、この余韻を最大限に利用した世界最小の文学だと思います。

一方で、体言止めは投げやりな印象を与えます。後は勝手に感じてくれとでも言わんばかりの調子になりやすく、当時に文章が軽くなりやすいという問題があります。

体言止めが嫌われる理由

読んでいて、書き手が偉そうに感じることもあります。例えば「私が一番好きな場所は、広島の厳島神社です」という文章を体言止めで書いてみます。



私が一番好きな場所。それは広島の厳島神社。

ちょっと偉そうで、突き放したような印象があると思います。かつて私が話した編集者は、それに加えて「書き手が上手い文章を書いたような気になる」と言っていました。そのため新人の小説家の中には、体言止めだらけという人も珍しくなかったようです。いわば「誤魔化し」に使われることが多いのも体言止めの特徴だと言うのです。

では体言止めを上手く使えば

小説家には上手く使える人も多く、効果的な体言止めを見ることも多くあります。有名なのは北方謙三で、純文学で鍛え上げられ娯楽小説でデビューすると、効果的な体言止めをクサビのように打ち込んで、印象的な文章を残しています(これをクサイ文章と嫌う人もいますけどね)。



体言止めを効果的に使えるようになると、北方謙三に似てきてしまう人が多いのも特徴です。

まとめ

体言止めは、印象的な文章を作るために効果的な手法です。しかし気をつけないと独りよがりの文章になったり、文章そのものが軽くなってしまいがちです。体言止めそのものは決して悪くはないのですが、文章が未熟な間は使わない方が無難なので、知人の編集者は新人小説家には使わせないようにしていたのだと思います。体言止めは、上手い文章を書いたような気分になりやすいので、気をつけて使いたいですね。



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