大坂なおみは日本に残るだろうか /アメリカ市場と二重国籍
大坂なおみの全米オープン優勝には、心底驚かされました。私は大坂が躍進するとしたら、ハードコートで球足が速く猛暑による番狂わせが多い全豪だと思っていました。全米は全英のような運が勝敗を分ける要素を排除し、実力がそのまま出る大会です。ですから今回の優勝には、本当に驚かされました。
関連記事:日本テニス協会が変わった日 /改革の英断と次の飛躍へ
14歳でプロツアー資格を得ると、ジュニアの大会ではなくツアーの下部大会を中心に出場しています。彼女の名前が注目を集めたのは、17歳の時にサマンサ・ストーサー(元全米オープン女王)を破る番狂わせを演じた時で、日本オリンピック委員会から強化指定選手に認定されました。
2016年には四大大会にも出場するようになり、WTAアワード最優秀新人賞を受賞します。ランキングもベスト50内に入り、2017年の全米オープンでは前回覇者のアンゲリク・ケルパーに1回戦で当たると勝利します。大坂にとって初のトップ10の選手を相手にした勝利であり、前回覇者が1回戦で消えるという歴史的な番狂わせを演じました。そして年末には、セリーナ・ウイリアムズなどを育てたサーシャ・バジン(バインと表記されることも)がコーチとなりました。
2018年に入ると、BNPパリバオープンに出場し、1回戦でマリア・シャラポワを破ると世界ランク1位のシモナ・ハレプにも勝利し、WTAツアー優勝の快挙を達成しました。その勢いのまま全米オープンに出場すると、伊達公子以来四大大会日本人初のベスト4進出だけでなく、一気に優勝まで遂げる大金星を挙げました。
しかしサーシャのコーチを受けてから、より精密なテニスを行うようになり、ここぞという時にパワーを全開にしたテニスを行うようになりました。野球の投手が150km/hの速球だけを投げてはいずれ打たれてしまいますが、110km/h代のカーブと混ぜると150km/hの速球は何倍も早く感じてしまい打ちにくくなります。大坂のテニスにもメリハリが生まれ、イライラも消えていきました。
元世界ランク1位のクリス・エバートは、サーシャ就任前と後では、大坂なおみの動きは明らかに違うと語っています。
以下の選手のコーチとして有名です。
セリーナ・ウイリアムズ
4大大会でシングルス23回も優勝した女王。ダブルスも14回優勝し、21世紀の女子テニスは彼女の時代とともに始まったと言われています。
ビクトリア・アザレンカ
4大大会で2度優勝し、ベラルーシ人として初の世界ランク1位になった選手。
キャロライン・ウォズニアッキ
全豪オープンで優勝し、デンマーク人として初の世界ランク1位になった選手。
サーシャはコーチした選手3人を世界ランク1位に押し上げました。今、もっとも注目されているコーチの1人です。
大坂なおみの父がテニス選手としての登録を日本にしたのは、アメリカの選手層の厚さを考えて頭角を表しやすいからです。しかし本音ではアメリカでの活躍を望んでいるようです。さらに大坂なおみのマネジメント会社は、大坂なおみが稼いだお金から一定のパーセンテージをもらうため、市場規模の大きなアメリカで活動することを勧めています。
大坂なおみ本人は、この件に関して明確なコメントを出してはいません。しかし幼少時代から長い時間をアメリカで過ごし、日本語よりも英語が堪能な大坂なおみが、日本よりもアメリカの方が過ごしやすいのは明らかでしょう。全米オープン覇者となった今、アメリカでの知名度も獲得したので、よほどの魅力がなければ日本に残らないように思います。
日本テニス協会は、東京オリンピックに日本代表として出場を望んでいますが、プロテニスの間でオリンピックの価値が上がっているとはいえ、難しいように思います。
今後、大坂なおみ選手がアメリカに移ろうが日本に残ろうが、私は応援したいと思っています。テニス選手の選手寿命は短く、実力がピークの時に最大手市場で戦うのはプロとして当然の思いだと考えるからです。それはともかく、ますますの躍進を期待したいと思います。WTAランキングのベスト3も夢ではないと思うのですから。
にほんブログ村
関連記事:日本テニス協会が変わった日 /改革の英断と次の飛躍へ
大坂なおみの略歴
日本に長く滞在したハイチ系アメリカ人の父と、北海道出身の日本人の母親の間に大阪市で生まれました。現在、プロテニス選手の姉、大坂まりの影響で3歳からテニスを始めています。4歳でアメリカに移住すると、ニューヨークのナショナル・テニス・センターでトレーニングを続けました。※幼少期の大坂なおみと両親 |
14歳でプロツアー資格を得ると、ジュニアの大会ではなくツアーの下部大会を中心に出場しています。彼女の名前が注目を集めたのは、17歳の時にサマンサ・ストーサー(元全米オープン女王)を破る番狂わせを演じた時で、日本オリンピック委員会から強化指定選手に認定されました。
※17歳の大坂なおみ |
2016年には四大大会にも出場するようになり、WTAアワード最優秀新人賞を受賞します。ランキングもベスト50内に入り、2017年の全米オープンでは前回覇者のアンゲリク・ケルパーに1回戦で当たると勝利します。大坂にとって初のトップ10の選手を相手にした勝利であり、前回覇者が1回戦で消えるという歴史的な番狂わせを演じました。そして年末には、セリーナ・ウイリアムズなどを育てたサーシャ・バジン(バインと表記されることも)がコーチとなりました。
※ケルパーに勝利した瞬間 |
2018年に入ると、BNPパリバオープンに出場し、1回戦でマリア・シャラポワを破ると世界ランク1位のシモナ・ハレプにも勝利し、WTAツアー優勝の快挙を達成しました。その勢いのまま全米オープンに出場すると、伊達公子以来四大大会日本人初のベスト4進出だけでなく、一気に優勝まで遂げる大金星を挙げました。
サーシャ・バジン(バイン)による変化
私が最初に大坂なおみを見た時、問題視されていたイライラを抑えられない性格以上に、パワーテニスで勝ち続けるスタイルに問題があるように思いました。恵まれた体格を活かしたパワーテニスは大坂に合っていますが、パワーでは大坂より遥かに上を行く選手は多く、力のゴリ押しでは限界がすぐに来るように思いました。しかしサーシャのコーチを受けてから、より精密なテニスを行うようになり、ここぞという時にパワーを全開にしたテニスを行うようになりました。野球の投手が150km/hの速球だけを投げてはいずれ打たれてしまいますが、110km/h代のカーブと混ぜると150km/hの速球は何倍も早く感じてしまい打ちにくくなります。大坂のテニスにもメリハリが生まれ、イライラも消えていきました。
※大坂なおみにアドバイスを送るサーシャ |
元世界ランク1位のクリス・エバートは、サーシャ就任前と後では、大坂なおみの動きは明らかに違うと語っています。
サーシャ・バジン(バイン)とは
このコーチは何者かというと、セルビア系ドイツ人で3歳からテニスを始め、15歳の時に父親が交通事故で亡くなったのをきっかけに選手生活を終えています。その後アメリカの大学に進み、卒業後にドイツに帰国してテニスコーチになりました。以下の選手のコーチとして有名です。
セリーナ・ウイリアムズ
4大大会でシングルス23回も優勝した女王。ダブルスも14回優勝し、21世紀の女子テニスは彼女の時代とともに始まったと言われています。
ビクトリア・アザレンカ
4大大会で2度優勝し、ベラルーシ人として初の世界ランク1位になった選手。
キャロライン・ウォズニアッキ
全豪オープンで優勝し、デンマーク人として初の世界ランク1位になった選手。
サーシャはコーチした選手3人を世界ランク1位に押し上げました。今、もっとも注目されているコーチの1人です。
大坂なおみの国籍はどうなる?
テニス選手としての国籍は日本を選びましたが、戸籍上の国籍は日本とアメリカの二重国籍です。そのため現在20歳の大坂なおみは、22歳までに国籍を選択する必要があります。※幼少期の大坂なおみ |
大坂なおみの父がテニス選手としての登録を日本にしたのは、アメリカの選手層の厚さを考えて頭角を表しやすいからです。しかし本音ではアメリカでの活躍を望んでいるようです。さらに大坂なおみのマネジメント会社は、大坂なおみが稼いだお金から一定のパーセンテージをもらうため、市場規模の大きなアメリカで活動することを勧めています。
大坂なおみ本人は、この件に関して明確なコメントを出してはいません。しかし幼少時代から長い時間をアメリカで過ごし、日本語よりも英語が堪能な大坂なおみが、日本よりもアメリカの方が過ごしやすいのは明らかでしょう。全米オープン覇者となった今、アメリカでの知名度も獲得したので、よほどの魅力がなければ日本に残らないように思います。
※大坂なおみの家族 |
日本テニス協会は、東京オリンピックに日本代表として出場を望んでいますが、プロテニスの間でオリンピックの価値が上がっているとはいえ、難しいように思います。
まとめ
大坂なおみの全米オープン優勝は快挙です。日本の選手が優勝する場面を見られるとは、今まで思ってもいませんでした。決勝の相手がセリーナ・ウイリアムズだったことも加えて、こんなことが起こるのかと驚いています。今後、大坂なおみ選手がアメリカに移ろうが日本に残ろうが、私は応援したいと思っています。テニス選手の選手寿命は短く、実力がピークの時に最大手市場で戦うのはプロとして当然の思いだと考えるからです。それはともかく、ますますの躍進を期待したいと思います。WTAランキングのベスト3も夢ではないと思うのですから。
にほんブログ村
コメント
コメントを投稿