酷い吹き替えだった映画「ランボー」

シルベスター・スタローンの代表作「ランボー」は、1982年に公開されました。この映画は単なる暴力的なアクション映画ではありません。ベトナム戦争によって引き起こされた、悲劇を深くえぐった作品で、ベトナム戦争の帰還兵からは多くの感謝の手紙が届いたといいます。しかし日本でテレビ放送された時は、吹き替えによって全く異なる話になっていました。


映画「ランボー」のあらすじ

ベトナム戦争の帰還兵ジョン・ランボーは、戦友を訪ねるためにワシントン州の田舎町を訪れます。しかしランボーの汚い身なりを見た保安官のディーズルは高圧的な態度で町を出るように言い、従わなかったランボーを浮浪罪で逮捕します。保安官事務所で拷問のような嫌がらせを受けたランボーは、ベトナムで捕虜になった記憶がよみがえり、警察官を倒して逃走します。追いかける警察と、逃げるランボーの戦いが始まりました。

映画「ランボー」が伝えたかったもの

ジョン・ランボーはベトナム戦争で深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)になっています。ベトナム戦争では米兵が、罪のない一般人まで殺害した事件が大きく報道され、帰還兵は激しく批判されました。仕事にありつけず、周りから批判され孤独に苦しむランボーは、典型的なベトナム戦争の帰還兵です。ラストシーンのランボーの台詞は、そういった想いを吐き出しています。

「俺の戦争じゃなかった、あんたにやれって言われたんだ! 俺は勝つためにベストを尽くした。だが誰かがそれを邪魔した! 」

「シャバに戻ってみると空港に蛆虫どもがぞろぞろいて、抗議しやがるんだ!俺のことを赤ん坊殺しだとかなんとか言いたい放題だ。奴等に何が言えるんだ?奴等はなんだ、俺と同じあっちにいてあの思いをして喚いてんのか!」

「あっちじゃヘリも飛ばした 戦車にも乗れたよ!100万ドルもする武器を自由に使えた!それが国に戻ってみれば、駐車場の係員にもなれないんだ!!」


心の傷と社会的差別に苦しむベトナム帰還兵の実態と、その心の叫びを映画は伝えようとしました。

ジョン・ランボーはどんな人物か?

勲章をもらった優秀な兵士で、上官のトラウトマン大佐は最高の評価をしています。周囲の期待に応え、ベストを尽くして結果を出しました。

そしてここがポイントですが、劇中ではうつろな目をしているものの、時折インテリジェンスに満ちた言葉を使います。賢くてやり抜く意志があり、常にベストを尽くしてきたこの青年が、もし戦場ではなく大学に行っていたら、もっと違った人生があったのではないだろうか?と、思わせる人物になっています。

ベトナム戦争に抗議する運動

吹き替えではどうなっていたのか?

インテリジェンスを感じさせる台詞は削除され、好戦的な言葉に置き換えられていました。さらに洞窟の中を逃げるランボーには「ウホッ、ウホッ」とうなり声がつけられ、原始人か野蛮人のようになっていました。教養がなく、ひたすら好戦的で、戦うことしか能力がないような人物に変わっていたのです。

戦争しかできない人が一般社会に馴染めないのは、当たり前のことです。そんな特殊な人物ではなく、普通の人間であるからこそ社会的差別が浮き彫りになるのです。本作の重要なテーマがかすんでしまいました。

ちなみに、ランボーをひたすら好戦的な人物にしてしまうのは「ランボー2」の吹き替えでも同様で、「最高の武器は機械ではなく頭脳だ」という台詞が「俺なら敵を全滅させられる」に変わってしまっていました。

まとめ

吹き替えは複数のテレビ局が行ったので、私が見たのがどの局の吹き替えか覚えていませんし、もしかするといくつか見た記憶が混じっているかもしれません。また、本作の字幕が特に素晴らしかったという記憶もなく、アメリカで深刻化していたベトナム帰還兵の問題は、当時の日本では馴染みがない話だったのかもしれません。

翻訳時に起こりがちなことですが、重たいテーマが変わってしまうのは残念なことです。特に本作は、ベトナム帰還兵からたくさんの感謝の手紙が届くほど、当事者の気持ちを言い表していたようなので、実に残念でした。



コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

消えた歌姫 /小比類巻かほるの人気はなぜ急落したのか

ナイフ一本で40人の武装強盗に立ち向かった兵士 /勇猛果敢なグルカ兵

映画の中のピーコート /どんな役の人が着ているのか

私が見た最悪のボクシング2 /マンシーニVS金得九