ジョホールバルの歓喜の裏側で
サッカー日本代表が、初めてワールドカップ出場を決めたイラン戦、ジョホールバルの歓喜と呼ばれる試合から20年が経ちました。この試合を現地観戦したという方から話を聞くことができ、当時のことを思い出していました。この方のお話の中で驚いたのは、試合終了後すぐにイラン代表はグランドで練習を始め、そこに日本人サポーターが混じっていたということです。
フランスワールドカップのアジア最終予選で、日本は文字通り首の皮一枚でイラン戦までこぎ着けました。何度も出場を諦めかける敗戦があり、監督の更迭があり、波乱に満ちた最終予選でした。自力でグループ2位も不可能になり、UAEが最下位のウズベキスタンに引き分けるという波乱があって、なんとか2位に滑り込みました。こうしてイランとの最終決戦を迎えたのでした。
舞台はマレーシアのジョホールバルで、日本からも多くのサポーターが駆けつけています。日本では日曜日の夜10時からテレビ放送が始まり、終わったのは12時半を過ぎていましたが、視聴率は48%という驚異的な数字を叩きだしました。
現地では異様な熱気がスタジアムを包み、ほとんど日本のホームになっていたそうで、試合前の練習からイランに圧力をかけていたそうです。イランには、アリ・ダエイとホダドド・アジジという強烈なストライカーコンビがいて、彼らはブンデス・リーガで活躍していました。さらにマハダビキアという同じくブンデス・リーガ所属の、突破力の高いミッドフィルダーがいました。攻撃力は、明らかに日本より上でした。
日本のサポーターは高揚し、何かと笑いが起こり、お祭り騒ぎの中で試合が始まるのですが、激しいシーソーゲームになると、全く余裕はなくなってしまいます。声が枯れ、膝が震え、延長戦に入る頃には応援する体力も尽きるくらい、緊張のしっぱなしだったそうです。
※延長戦の一コマ。中田は「あと少しだけ頑張ってくれ。なんとかあと1点とってくれ」と語りかけますが、城は意識を半分なくしていました。
私が話を聞いた方は、延長戦で岡野がシュートを外した頃から記憶があやふやで、ダエイがシュートを外した所から記憶が飛んでいるそうです。次に覚えているのは岡野の決勝ゴールで、その前の中田のシュートなどは帰国してテレビで見てわかったそうです。
日本の勝利が決まった瞬間、歓声は地鳴りのようだったそうで、人の声とは思えないほど深いところからグゥオーという感じでスタジアムを震わせたそうです。周囲の知らない人達と抱き合い、歓声を上げ、いろんな人がもみくちゃになって泣いたそうで、あれほど大勢の泣き声を聞くことはないだろうと言っていました。
サポーターはなかなかスタジアムを後にせず、しばらく歓声を上げてお祭り騒ぎで、その後に出口に人が殺到したので、込んで人が減るのを待っていたそうです。イランはオーストラリアとのプレイオフがあるためピッチで軽めの練習をはじめ、そこに日本人サポーターが入っていき、イランの選手とパス交換などをしていたそうです。イランの選手達も笑顔で相手をしていたそうで、ちょっとした美しい光景だったといいます。
20年前のあの日、私はテレビの前で何度も声をあげ、なども頭を抱え、いても立ってもいられない気分で2時間を過ごし、試合終了後にくたくたになりました。ワールドカップ初出場を決めた試合というだけでなく、日本がリードしてから逆転され、土壇場で追いつくという劇的な展開。三浦知良が外されるという、これまでになかった展開。そしてサドンデスという心臓に悪い延長戦で、再三のチャンスを日本が逃し、決定的なピンチを迎えた後に決勝ゴールが決まるという劇的すぎる展開は、二度と見られないスペクタクルでした。
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