怪我をしたら病院に行くべきだと、バレーボールを観ながら思う
誰しも怪我をしたら病院に行くべきです。一般の人も、ましてや体が資本のスポーツ選手ならなおさらです。しかしバレーボールでは、怪我をしても病院に行けない話をよく聞きます。
アテネオリンピックを前に、女子バレーボールのキャプテン、吉原知子は代表を外される覚悟で病院に向かいました。類稀なリーダーシップでチームをまとめてきた吉原は、深刻な怪我に苦しんでいたのです。治療を申し出た吉原に、監督の柳本晶一は、病院に行くなら代表から外すと明言し、騙し騙しやってきたものの、既に限界に達していました。だから吉原は、激しい葛藤の末に病院に向かいました。
入院した吉原は、これでオリンピック出場は消えたと治療に専念しますが、チームメイトが次々に電話してきます。全員が吉原に代表に帰ってきて欲しいと、涙ながらに訴えました。吉原さんなしでは不安で戦えないという後輩たちの声に胸を打たれた吉原は、治療を終えた後に、柳本を訪ねて代表への復帰を直訴しました。
アテネ五輪を前に、吉原はこの話を美談として語っていました。いかに女子チームが団結しているかを物語るエピソードではありますが、私は柳本監督が作り上げたチームが、いかに脆弱であるかを物語っているように思えました。
大山加奈は、187cmの長身を活かした迫力のるスパイクで、19歳にして全日本のエースとして君臨しました。しかし腰痛に苦しみ、後に腰部脊柱管狭窄症の手術を受けて長期離脱することになります。
全日本の監督、柳本晶一は大山の気持ちが全日本から離れないようにするため、腰痛を気にする大山に過酷な練習を強います。さらに練習以外では大山を無視し、常に監督である自分に意識が向くようにしました。嫌われているのかと思っていた大山は、後に柳本の真意を知ると、「監督はそんなに私を気にかけてくださっていたんですね」と、涙を流したそうです。
私には、この2つの話が美談には聞こえませんし、柳本監督に疑問も感じます。怪我をした選手に負荷をかけ続け、治療すらさせずに酷使するのが、日本を強くするとは思えないからです。どんな選手も怪我のリスクはあるので、いつ誰が脱落しても不思議ではありません。大会中に脱落する可能性だってあります。誰かが抜けたら戦えないチームを作り、その選手が怪我をしても病院に行かせないのは、あまりに脆弱なチーム作りに思えてしまいます。
サッカーの日本代表監督を務めた岡田武史は、試合前も試合中も選手が怪我やレッドカードで退場するのは、全て想定内のことだと言い切ります。「キーパーだって退場することはあり得るんだから、誰かが抜けて慌てるようなら指揮官失格」と言っていました。その岡田監督と柳本監督は、あまりに対照的に思えてしまいまうのです。サッカーと違い、バレーボールは人材が少ないという声もありますが、そんなことはありません。サッカーも常に人材は不足しています。
※2003年マリノス監督時に、優勝がかかった試合の開始15分でGKの榎本が退場になる事態も「頭にきたけど、GK退場もシミュレーションしていた」と語り、冷静な試合運びで優勝に導きます。 |
特にバレーボールは、怪我で戦線を離脱し、かつての輝きを失う選手が多いように思うのです。もっと早く治療をしていたら、選手生命が長かったのではないかと思ってしまう選手が何人もいます。
1988年に、イトーヨーカドーの斎藤真由美はソウル五輪の選考会でスターになりました。スパイクの決定率の高さと恵まれた容姿から、当時人気絶頂だったタレントの後藤久美子になぞらえて、「バレーボールのゴクミ」と呼ばれていました。
益子直美とともにアイドルのような扱いを受けた斎藤でしたが、右肩に激しい痛みを覚えるようになり、治療のために病院に行こうとしますが、止められます。次の大会が終われば病院に行かせると言われ、痛みを我慢して試合に出続けていると、大会が終わるたびに「次の大会が終わったら」と、治療は伸び伸びになっていきます。
ついに右腕を上げるだけで痛みが走るようになり、再度病院に行くことを願い出ると「スパイクは左手で打てば良い」と、病院には行かせてもらえませんでした。体のバランスが崩れ、左肩にも違和感を覚え、それでも病院には行かせてもらえず、ついに箸すら持てない状態になって、ようやく病院に行くことができました。
「バレーボールは、いつからできますか?」と質問した斎藤に、医者は「バレーボールどころか、障害が残る可能性が高い。普通の生活すらできないかもしれない」と言います。「なぜもっと早く医者に診せなかったんですか?」と言う医者に、ショックのあまり齋藤は言葉を失ったそうです。
失意のまま実家に帰った齋藤は、兄が運転する車に乗っている時に、居眠り運転の車が突っ込んできて、大事故に巻き込まれました。齋藤の選手生命は、事実上の終わりを告げます。後に凄まじいリハビリを重ね、イトーヨーカドーに復帰しますが、かつての輝きは完全に失われていました。
齋藤は人気の高さから、出場によってテレビ中継の視聴率が変わるため、欠場が許されなかったといいます。そのため治療を始めると長期離脱が必至だったので、なかなか病院に行かせてもらえなかったのです。益子直美が怪我ですぐに引退を決めたのは、齋藤の姿を見ていたからだという人もいます。
まとめ
怪我をしたら治療をするべきです。競技生活を離れてからの方が、人生は長いのです。そして早期治療が、競技のパフォーマンスを維持することもあります。スターが生まれ、怪我で消える流れは、良いものだとは思えません。選手は競技に生活の全てを賭けているので、怪我をしても試合に出ようとします。今までの努力が全て水の泡になると思うからです。
だからコーチや監督は客観的に選手の状態を判断して、医者に診せることや出場させないことを勧めるべきなのです。そのコーチや監督が、負傷を訴える選手をチームのために医者に行かせないというのは、決して良い方向に進まないと思うのですがいかがでしょうか?
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だからコーチや監督は客観的に選手の状態を判断して、医者に診せることや出場させないことを勧めるべきなのです。そのコーチや監督が、負傷を訴える選手をチームのために医者に行かせないというのは、決して良い方向に進まないと思うのですがいかがでしょうか?
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