山崎真行の原宿伝説

山崎氏のお店に特別な思い入れがあるわけでも、当時の原宿を知っているわけでもないのだが、この方の経歴はとても面白いうえに、いろいろな方が山崎氏との思い出を語ってくれる。何もなかった原宿を変えた立役者の一人であり、大成功した商人であり、なにかと面白い人だったようだ。そこで今回は、いろいろな人から聞いた山崎氏の話を書いてみます。



怪人二十面相の開店

高校を卒業して北海道から上京すると、さまざまなアルバイトで生計をたてながら、22歳で新宿に店を持つのだから、働き者であり商才があるのがわかる。大好きな50年代のロックンロールを扱うショップ、「怪人二十面相」を伊勢丹の隣のビルにオープンさせ、1973年に原宿に「キングコング」をオープンしている。




クリームソーダの開店

そして1976年に、原宿に「クリームソーダ」を立ち上げ、一大ブームを作り上げる。店の前にはオートバイが並び、リーゼントの人達が大量に出入りし、最高で1日の売上が1億円の日もあったというから、熱狂とか狂乱の毎日だったのではないだろうか。




山崎氏はイギリスに行くと一度に1千万円近く商品を買い付け、その大量の商品がクリームソーダに並ぶと、あっという間に売れていったという。ロックンローラーと暴走族の御用達ブランドとして、クリームソーダは原宿だけでなく全国区に名前が知られていくと、店員をメンバーにした本格的なロカビリー・バンドをプロデュースしている。

どんな人だったのか

私の知人は、当時は怖くて店に入るのに勇気を振り絞ったという。リーゼント軍団の熱気の中で商品を選ぶのは緊張し、店員も強面が多くてドキドキしたそうだ。また別の知人は、山崎氏を子供のような人だったと言う。自分の好きなことで、みんなを喜ばそうという意識が強く、あれでよく商売になるなと感心していたそうだ。

生前の山崎氏は、商売を始める人へのアドバイスを求められて、こう答えている。

失敗してマイナスになると大変だけど、ゼロになるくらいなら大丈夫。あとは、思いついたらすぐにやること。流行ってないことをやること。


残された映像を見ると、人なつっこい笑顔が印象的だ。お金に好かれるタイプの成功者もいるが、山崎氏は人に好かれるタイプだったのだろう。

当時の人達の話を聞く度に、この時代の原宿を体験したかったと思う。何もなかった街に人が吸い寄せられてさまざまな店が並びだし、新たな街と文化ができる様子は魔法のようだったそうだ。

山崎氏は、2013年に帰らぬ人となりました。



クリームソーダTシャツ

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