なぜ体罰は禁止になったのか

日野皓正さんがコンサート中にドラマーの中学生をビンタした件で、体罰の問題があちこちで語られています。その中に「私達が子供の頃は体罰が当たり前だったのに、どうして今はダメなんだ?」というのがあります。どうして体罰はダメになったのでしょうか?

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1.体罰はもともとダメだった

結論を先に書くと、もともと体罰はダメだったのです。日本が近代化した明治時代から、学校での体罰は明確に禁じられています。明治12年に施行された教育令に、学校で殴るなどの体罰を禁止して以来、現在の学校教育法まで一貫して体罰は禁止です。ですから、最近になって体罰が禁止になったのではなく、一時期だけ法律がゆるゆるになって、体罰が取り締まられなかっただけなのです。

2.戦前の学校教育

戦前の学校教育は、軍隊教育と切っても切れません。明治時代に軍隊ができた時は、農民に武士の教育をしていました。ですから体罰は御法度でした。武士に体罰を与えたら、「公衆の面前で恥をかかされた。貴殿を殺して私も死ぬ!」なんてことになりかねないからです。当然ながら軍隊でも体罰は禁止されていました。



学校においても同様で、教師が生徒をビンタしたら生徒と親が仕返しに現れたりと、武士を中心に恥の文化があった日本では、みんなが見ている前で叱責されて殴られるというのは、耐えられない屈辱だったわけです。教師が生徒のこのような屈辱を与えるならば、果たし合いをするぐらいの覚悟が必要な場合もあったわけです。

これが変化するのは、日露戦争を経て戦争が頻発する時代になってからです。ヨーロッパ式の軍隊教育が入ってきて、それが学校教育にも反映されたのです。軍隊内の厭戦ムードを一掃し、敵を前にすぐに逃げ出す兵士達の増加が、徹底的な服従をすり込むことになります。また学校でも低コストで集団の規律を作るモデルとして、軍隊教育が積極的に取り入れられます。ここに体罰が登場するようになりました。

3.体罰の問題化

戦後に体罰が問題になるのは80年代で、この頃には体罰は常態化していて教育の中で体罰を行うことは常識になっていました。少年の非行や暴走族の問題が深刻化し、学校が荒れるようになると、殴りやすい生徒を殴ってストレスを解消する教師が目に付くようになりました。学校内でタバコを吸う生徒は恐ろしいので見て見ぬふりをし、遅刻したおとなしい生徒を罵倒してビンタするような状況です。

それに加えて、体罰による生徒の怪我が報告されるようになると、法律で禁止されていることは、キチンと守ろうということになったわけです。さらに学校や先生への不信感もありました。教師の不祥事が相次ぎ、偏差値偏重の教育による落ちこぼれ生徒への教師の差別など、学校には体罰だけでなくさまざまな問題が溢れていました。信用できない教師が、自分の子供を不可解な理由で殴るなど絶対に許せないという親が出てくるのも当然でした。

※80年代の非行といえば、この作品です。

4.問題になった体罰の事件

さらに、さまざまな社会的事件が体罰の追放に拍車をかけました。

戸塚ヨットスクール事件(1983年)

愛知県で非行少年などに航海技術を教えていた戸塚ヨットスクールで、訓練生の死亡や行方不明が相次いだ事件です。訓練生に対して体罰を用いた激しい指導で、亡くなった訓練生の全身に殴打の跡があったことから、警察が傷害致死で捜査を始めました。

岐阜県中津商業高校事件(1983年)

陸上部の女子部員が、顧問教員の執拗な罵倒や体罰を苦にして自殺した事件です。国体出場経験を持つ女子生徒は、顧問教員により強化メンバーから外されたうえに、半年間にわたり竹刀や素手で殴打をうけました。強化メンバーに選ばれなかったのは勉強の成績が低いからだと言われ、必死に勉強してテストで上位の成績を取りました。しかし顧問は強化メンバーから外すことを決め、さらに女子部員を長時間立たされたまま殴打を繰り返し、罵倒しました。そしてその翌日に女子部員は自殺しました。

担当教員は自殺後に「あいつは殴り心地がよかった」と周囲に自慢し、ストレス解消のために難癖をつけて女子部員を殴っていたことを語っていました。これらが明るみに出た後、葬儀に出席した際に家族から詰め寄られると、「バカか?」「死人に口なしだろ」と開き直りました。

小松市芦城中学校事件(1986年)

遅刻と忘れ物を繰り返す生徒に対し、教師がビンタと柔道の投げ技を何度もかけて死亡させた事件です。生徒は母親が入院中のため、家事と弟の世話をしていたため遅刻が増えており、忘れ物に関しても家計が苦しいために教材の購入ができない状態でした。しかし教師は生徒の遅刻が多いことや忘れ物を繰り返すことに腹を立てて、柔道技を生徒にかけました。頭部を強打した生徒は、そのまま死亡しています。

これ以外にもさまざまな事件がありました。明らかな行き過ぎや、横暴な教師の態度が問題視されます。そもそも禁止されている体罰を教育だとか愛のムチだとか言いって周囲が黙認してきたに過ぎません。このような事件がいくつも起こるようになると、体罰を容認することが難しくなっていきました。


5.教師の質の問題

年配の教員の方と話をすると度々話題になるのですが、戦後の教員の中にはとんでもない人が混じっていたようです。戦争で大人の多くが亡くなったのに、戦後のベビーブームで公立の学校は深刻な人手不足になりました。そのため教員採用のハードルが著しく下がり、希望すれば誰でも教員になれた時代がありました.

70年代には、それまで左翼運動家だった学生が普通の企業が採用してくれないために、公務員や弁護士など資格試験でなれる仕事に就きました。公務員の中でも国家公務員や、地方公務員でも警察などは身元調査が厳しいため、教員になった元運動家が多かったようです。昨年まで暴力革命を叫び警官隊に石を投げていた人が、今年は小学校の教壇に立つということが起こっていたのです。

※角材で機動隊を襲う左翼運動家

私の高校の頃の担任は、このような経緯から一部では教師の資質以前に、人間としてオカシイ人が教師になっていたと言っていました。

6.まとめ

体罰の禁止は時代の流れというのもありますが、明治時代から禁止されていたことを考えると、日本には合わない教育方法のようにも思えます。

しかし私を含め、体罰を受けた経験がある人は、その効果も知っていますので単純に禁止するのに違和感も残ります。口で言って言うことをきかない生徒に、どうやって対処するのか?結局は指導する人との信頼関係によってくるのではないかと思います。



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