子供のための歴史講座18:黒船来航

いや〜乱世乱世。時は1853年7月8日。江戸時代の末期だ。神奈川県の浦賀に突然黒い煙を吐く真っ黒な4隻の船が現れた。世に言う黒船来航だ。彼らは独立記念の祝砲として、空砲をぶっ放して浦賀沖に停泊した。


娘「ビックリしたろうね」

ところがそうでもない。空砲を花火のように楽しみ、見物人が押し寄せた。小舟で乗り出して挨拶しようとする人まで出てきて、現場は大混乱だった。

※押しかけた見物人と黒船
娘「なんか呑気だなぁ」

しかし攻めてきたかもしれないという噂も広まり、次第に不安が高まっていった。そこで幕府は7月9日に浦賀奉行所の役人を黒船に送り込んだ。そしてこの船の責任者はペリーという名前で、将軍に親書を渡すのが目的だとわかる。

娘「お手紙を届けに来たの?大砲を持った郵便屋さん?」

そんなに優しくはない。親書を託せる偉い奴を連れて来い。さもなくばこのまま兵を率いて北上し、直接将軍に親書を渡すぞと脅したんだ。

娘「将軍はどうするの?」

寝てた。

娘「ん?」

12代将軍の徳川家慶は、病気で倒れてたんだ。そこで浦賀の偉い人が親書を受け取って、将軍が病気だから返事は1年待ってくれとお願いした。ペリーは「1年後にまた来る」と言って帰っていった。

※徳川家慶
娘「どんなお手紙だったの?」

開国を迫る内容だった。そしてペリーが帰った10日後に徳川家慶が亡くなってしまう。幕府は慌てて動揺し、全国の大名や旗本、庶民にまで「何か名案はないか?」と質問する。江戸幕府始まって以来、こんなことは初めてだった。

娘「んー、テンパってますなー」

とりあえず軍備増強だ!そうだ薩摩にジョン万次郎とかいうアメリカ帰りがいたな。すぐに呼べ!と、大騒ぎしているうちに半年が過ぎた。そしたらペリーがやって来た。

娘「え!?1年の約束じゃなかった?」

そこをあえて半年で来たから、幕府は大慌てになった。日本の混乱を突いて交渉を有利に運ぼうというペリーの策略だね。そして浦賀は再び見物人が溢れて、小舟で挨拶に行く輩がいて大混乱になる。

娘「何やってんだか・・・」

ペリーは日本人は鯛が好きだと知っていて、たくさん釣って来ていた。そして鯛でフランス料理を作って、日本の使者に振る舞ったんだ。珍しい料理に大喜びした日本の役人達は、何だかんだ用事を作って黒船に行ってはフランス料理を楽しんでいた。

娘「ダメだこりゃ。でもフランス料理は箸で食べてたの?」

ナイフとフォークだよ。役人達は先に行った人たちの話を聞いて、十手をナイフに、孫の手をフォークに見立ててテーブルマナーを練習した。

娘「マジかぁ!」

ナイフとフォークとスプーンは、同じ頃に日本に紹介されたけど、スプーンだけが定着して匙(さじ)と呼ばれてた。ナイフとフォークの使い方を江戸時代の人は、ほとんど知らなかったんだ。


娘「それから、どうなったの?」

日米和親条約を結ぶのだ。幕府は揺れたが、最終的にはアメリカの意を飲むしかないと判断したんだね。

娘「ふーん、じゃあ江戸時代はアメリカの人がたくさんやって来てたんだ」

ところが、そうでもない。アメリカは南北戦争に突入して、外交どころじゃなくなるんだ。その間にイギリス、フランス、ロシアなどが接触してきて、そっちとの仲が深まるんだね。

日本もこの後、桜田門外の変があったりして幕府は揺れて明治維新が始まる。歴史が動いた時代だね。ここら辺りの話は、また別にしよう。

娘「私も孫の手でフォークの練習するぞ!」


関連記事

コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命