子供のための歴史講座14:ミスター5%

注)この記事は以前のブログの転載記事です。

いや〜乱世乱世。時は1869年、場所はオスマン帝国のコンスタンティノープル。今で言うならトルコのイスタンブールだ。石油商人の家にカルースト・サルキス・グルベンキアンは生まれた。彼はのちに「ミスター5%」と呼ばれ、世界の歴史に大きな影響を与えた。



娘「誰それ?」

今回は有名な歴史の偉人じゃなく、歴史の影の部分だ。だから名前を知らなくて当然だよ。グルベンキアンはロンドンに留学して、そのまま市民権を獲得する。そしてオランダの石油会社のロイヤル・ダッチ社と、イギリスのシェル石油の合併に協力する。そして合併したロイヤル・ダッチ・シェル社の株式の5%を手にした。


娘「その会社は今もあるの?」

今は世界第2位の石油会社で、超巨大企業だよ。そしてグルベンキアンは、第一次世界大戦の最中にオスマン帝国に設立するトルコ石油会社に5%出資することにした。オスマン帝国が負けると、イギリスと交渉してトルコ石油会社の石油採掘を認めさせた。

娘「ラクダに乗ったロレンスさんと同じ頃?」

その通り!そしてこの時もオスマン帝国の国境が曖昧で、それぞれの石油会社の取り分で揉めるんだ。なかなか結論が出ない中、グルベンキアンは「私はオスマン帝国で生まれたから、国境を知っている」と言って、地図に赤ペンで国境を書いたんだ。これを赤線協定という。

※赤線協定
娘「みんな納得したの?」

納得するように線を引いたんだよ。そしてグルベンキアンは、赤線協定内の5%の利益を得ることに成功した。この赤線協定によって、中東の利益は欧米がスムーズに独占できるようになり、アラブ各国は独立したけど利益を吸い取られる仕組みができたんだ。

娘「なんでも5%の人なんだ」

これはグルベンキアンの哲学だね。彼は独占は争いを招いて、最終的に損をすると考えていたんだ。

「小さなパイの大きな一切れより、大きなパイの小さな一切れの方が良い」

と言ってる。

娘「どういう意味?」

小さな市場を独占するんじゃなくて、利権を他国の大企業に渡して市場を大きくするんだ。そして大きくなった市場の取り引きに、何でもかんでも「5%ちょうだい」と言っていた。その方が、トラブルもないし大儲けできたんだ。

娘「ふーん。じゃあグルベンキアンさんは、良い人だ」

それは見方によるなぁ。中東の人からすると、いびつな国境を押し付けた張本人だしね。そもそも歴史に良いも悪いもないし、人の行いは見る人によって評価が変わるからね。

娘「なんかよくわからん」

今は分からなくていいんだよ。歴史を知るうちに、だんだん分かってくるよ。



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