神様とボクシングと中年男 /ジョージ・フォアマンの数奇な人生

1991年4月、世界ヘビー級タイトルマッチの7R開始のゴングが鳴ると同時に、42歳のフォアマンは左ジャブを突き出します。これが出会い頭のカウンターとなって28歳の世界王者ホリフィールドの顔面を捉えました。まるで右ストレートのような破壊力のフォアマンのジャブに、ホリィはグラつきました。観客は総立ちになってフォアマンへの声援を送り、この腹の突き出た中年男が奇跡を起こす可能性に身を震わせました。42歳の腹の出た中年男が奇跡を起こすかもしれない可能性に、観客は熱狂的な応援を行います。



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人生の前半はありがちな成功物語

1949年にテキサス州で7人兄弟の5番目に生まれたジョージは、貧困とともに育ちました。働かない父とコックとして働く母の仲は良好ではなく、お決まりの不良少年コースに乗ります。ある日学校をサボって家で弁当を食べようとして帰ると、姉に見つかってしまいました。慌てて隠れようとするジョージに、姉は冷たく言いました。

「隠れなくてもいいのよ。学校に行っても行かなくても、あんたの人生は大して変わらないから」



この言葉にショックを受けたジョージは、その後に警官と警察犬に追われて軒下を這いずりまわって逃げている時に、なんとかしないとこのままでは野垂れ死ぬと思ったそうです。そんな時にジョンソン大統領が貧困撲滅計画を立ち上げ、「キミにもセカンドチャンスがある」のキャッチコピーに惹かれたジョージは、16歳で家を出て職業訓練部隊に入隊します。そこでボクシングに出会いました。

19歳でメキシコ五輪に出場するまでになったジョージは、見事に金メダルを獲得します。路上で強盗をするしかなかった日々から解放され、今や多くの人が自分に声援を送ってくれることにジョージは喜び、そしてセカンドチャンスをくれたアメリカに感謝しました。だからリングで星条旗を持ち、笑顔で四方にお辞儀をして感謝の意を伝えました。ジョンソン大統領のおかげで、路上で野垂れ死するかもしれなかった自分が声援を受けている。ジョージは素直な気持ちで観客とアメリカに感謝を伝えたのです。



ところが当時は黒人解放運動の真っ只中で、ジョージはこの行為によって白人に媚びる黒人として黒人から激しい批判を受けます。ジョージは思ってもみなかった批判に戸惑い、その悔しさを胸にプロデビューします。圧倒的なパンチ力を武器に連戦連勝を続け、あのモハメド・アリに勝った名王者のジョー・フレイジャーを2Rで6度もダウンを奪って世界王者になりました。フレイジャーがリングで吹き飛ばされる姿は衝撃的で、しばらくは王座は動かないと誰もが思いました。その破壊力から象をも倒すパンチと言われ、対戦相手から恐れられることになります。

※フォアマン(右)と王者フレイジャー(左)

ここまでは貧困から抜け出して成功を収めるという、アメリカに多くあるサクセスストーリーですね。しかし頂点に立ったジョージに思わぬ落とし穴が待っていました。

悲劇的な転落

アリの顎を砕いたケン・ノートンをあっさりKOすると、その破壊力に多くのボクサーが恐れ慄き、リングで不幸な事故が起こるのを心配する声が出るほどでした。そこにモハメド・アリが挑戦することになりました。衰えたアリを心配する声が上がり、ジョージの元には「アリを殺すなよ」と本気で心配したファンがやってくるほどでした。アリはジョー・フレイジャーにダウンを奪われ判定負け、さらにケン・ノートンには顎を割られて判定負けしました。ジョージはその2人を2ラウンドで簡単にKOしていたのです。

アフリカのキンシャサで行われた両者の対戦は、ジョージが圧倒的に攻め立てながらも8Rにアリのパンチが決まり、アリの劇的な逆転勝利で幕を閉じました。ちなみにこの時観客が叫んでいたリンガラ語の「アリ、ブンマイヤ!(アリ、やっちまえ)」という大合唱をテレビで見ていたアントニオ猪木は「猪木ボンバイエ」というレコードを出しています。

※モハメド・アリ(右)とフォアマンの試合

絶対に勝てると言われた試合に負けた失意のジョージは復帰戦を行いますが、再び無名の選手にも負けてしまいます。かつての剛腕は影を潜めていき、突如ジョージは引退を決意します。

数奇な人生の始まり

無名の選手に負けたロッカールームで、シャワーを浴びていたジョージは、はっきりと神の声を聞いたと言います。恵まれない人生だったお前は新しい人生を手に入れたのだから、今度はお前が子供達にセカンドチャンスを与える番だと神に言われたそうです。その声を聞いたジョージは、ハレルヤを歌いながらシャワー室を飛び出して、故郷に帰ると牧師になってしまいました。

自宅の近くに教会と身寄りのない子供達を引き取るユースセンターを建設し、ファイトマネーをつぎ込んで布教と子供達の面倒を見ます。多くのファンは失望し、ジョージは逃げたと批判されます。しかし信念を曲げることなく、牧師として「神はあなたを愛しています」と説き続けました。

さらに人生は奇妙な方向へ

10年もするとジョージ・フォアマンの名声も色あせ、寄付も思うように集まらなくなりました。ユースセンターを続けるには資金不足で、ジョージは金策に悩みます。そんなある日、神が枕元に現れたと言います。

カムバックしろ。お前ならマイク・タイソンをノックアウトできる。

神の声に従い、朝一番にかつてのトレーナーだったアーチー・ムーアに電話をします。「カムバックするから手伝ってくれ」と言うジョージに、ムーアはジョークだと思ったそうです。さらにジョージと再会したムーアは、チーズバーガーを食べ続けて見事に膨らんだ腹を見て、カムバックさせてはいけないと思いました。しかしジョージの熱心さに負けて、ムーアが危険だと判断したらすぐに試合を止めることを条件に引き受けます。



こうして37歳のジョージはリングに帰ってきました。腹をゆすりながらのっしのっしと歩くジョージは、観客の格好の笑いのネタになりましたが本人は真剣でした。地方の数十人しか観客がいないリングで、ジョージは確実に勝利を重ねていきます。プロモーターのボブ・アラムはジョージの体型と精彩を欠く動きを見て契約を断りますが、ジョージの熱心さに押されて一度でも負けたら契約を解除することを条件に契約しました。

戦う宣教師の快進撃

無名のボクサーに勝利を重ねるジョージは「戦う宣教師」と呼ばれるようになり、やがて名のあるボクサーとの対戦も出てきました。元Lヘビー級王者のドワイト・ムハマド・カウイに勝利すると、ジョージの強さは本物なのか?という声も出てきました。

そして北米王者にもなったアデイルソン・ロドリゲスに何もさせずにKO勝利すると、無敵のマイク・タイソンとの対戦を希望する声も上がるようになりました。丸太のような両腕でガードしつつ、たぷたぷと突き出た腹を揺らしながらパンチを振るう中年男のジョージは、全米が注目するボクサーになったのです。世界王者に返り咲けるかは不明ですが、その強さは本物だと多くの人が認め始めました。

中年男の世界戦

1991年、42歳のジョージは28歳の世界王者イベンダー・ホリフィールドに挑戦することが決まりました。ジョージにとってカムバックから4年目で、24連勝しての挑戦です。批評家は冷淡で「ジョージがホリィとまともな試合ができるなら、ゾウだって空を飛べる」と言う人もいました。確かにジョージはカムバック以来強豪を倒してきましたが、世界王座に届くとは思えなかったのです。

中年男が息子のような若さの王者と対戦するのはハレー彗星を見るより希少な出来事だとまくし立てるジョージに冷ややかな反応が集まり、ホリィは「お年寄りをイジメちゃダメだと母に言われたが、私は子供を叱りつける親のようにジョージを殴るだろう」と、余裕あるコメントを出していました。この頃、ホリィはマイク・タイソンとの試合の実現に関心があり、ジョージとの対戦は調整試合と思われていました。精密機械のような近代的なボクシングをするホリィに対し、十字ブロックで前へ前へと出る古典的なファイトをするジョージでは、ジョージに勝ち目がないと思われるのも仕方のないことでした。

※フォアマン(左)と王者ホリフィールド(右)、中央はドナルド・トランプ

しかし試合はシーソーゲームになり、ホリィが連打で畳み掛けると、ジョージも豪腕でホリィを何度もグラつかせます。1万6000人の観客は「ビッグ・ジョージ」と声を合わせて大声援を送り、最終ラウンドは総立ちで見守りました。試合は判定に持ち込まれますが、試合終了と同時にホリィと互角に打ち合ったジョージ祝福が集まります。判定はホリィの勝利でしたが、誰もそんなことを気にしていません。12Rを戦い抜いた奇跡に興奮していました。

ジョージはインタビュアーの質問を遮り「歳をとることは恥ではない」「中年よ、大志を抱け!」とまくし立て、観客は熱狂で応えました。どちらが勝者がわからなくなるほどジョージは讃えられ、莫大なファイトマネーを手にしてユースセンターの再建が可能になりました。



その後もジョージはリングに上がり続けます。大金を稼いだジョージはユースセンターの立て直しができており、ここからは神様も関係なく自分の名誉のために戦いたいと言っていました。そして45歳の時にホリィを倒したマイケル・モーラーに挑戦して、ノックアウトで世界王者になりました。ヘビー級王者の最高齢記録です。

ジョージ・フォアマン・グリルの大ヒット

引退後もジョージはメディアに頻繁に出演し、少年の非行問題などを熱く語っています。そんな中、チーズバーガー好きが高じて家電メーカーと契約し、ジョージ・フォアマン・グリルを販売しました。箱にはデカデカとジョージの写真が印刷され、深夜の通販番組には本人が出演して、口八丁手八丁で製品の素晴らしさをアピールしました。



即売会ではジョージが目の前でハンバーグを焼くなど熱心なアピールのおかげか、このグリルは大ヒットして5500万台も売れてしまいました。これでジョージは200万ドルを手にしたと言われ、ジョージのユースセンターの運営資金はさらに増加しました。

まとめ

貧乏から脱出するためにボクサーになって成功した話はアメリカにはたくさんありますし、成功したボクサーが転落する話もたくさんあります。しかしジョージ・フォアマンは信仰によって他にはない数奇な人生を送ることになりました。「神はあなたを愛しています」と言いながら相手を殴るのはどんな気持ちかと問われ、「これはビジネス」とボクシングに対して割り切った姿勢を見せ、カムバック後は牧師が本業でボクサーは副業だと語っていました。



ジョージ・フォアマンの人柄を示すのに、記者とのこんなやり取りがありました。

「アリに負けた時にロープが緩かったのが敗因だと語っていたよね」
「よしてくれ、人生には言い訳も必要さ。特に深く傷ついた時にはね。あの時は靴がでかすぎたでもなんでもよかったんだ」

マッチョさを誇りたがるボクサーの中で、過去の発言を言い訳だと認める人は多くいません。ジョージ・フォアマンは今でも非行少年たちをユースセンターに招き入れ、更生の手助けをしています。


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