紳士か悪童か? /瓦礫を運ぶイベンダー・ホリフィールド

ボクシングの元統一クルーザー級王者、そして元統一ヘビー級王者のイベンダー・ホリフィールドが、台風にあった千葉県を訪れて瓦礫撤去のボランティアをしている姿が報じられました。ホリィと日本はあまり縁がない気がするのですが、以前から日本でのチャリティに関心があったようです。今回はボクシングファン以外には、あまり知られていないイベンダー・ホリフィールドの偉大さを紹介したいと思います。

※瓦礫を運ぶホリフィールド


華麗なるベルトコレクション

獲得したタイトルを列記するだけで、ホリィの偉大さが分かると思います。

84年 ロサンゼルス五輪で銅メダル獲得

86年 WBA世界クルーザー級王座
87年 IBF世界クルーザー級王座
88年 WBC世界クルーザー級王座



90年 WBA WBC IBF世界ヘビー級王座
93年 WBA IBF世界ヘビー級王座
96年 WBA世界ヘビー級王座
97年 IBF世界ヘビー級王座
00年 WBA世界ヘビー級王座

これだけのタイトルを獲得しています。ヘビー級で何度も同じタイトルを獲っているのは、負けたり引退しているからで、無冠からヘビー級王座を4度も獲得した偉業は、未だに破られていません。2階級にまたがり、6本のベルトを獲得したホリィは、90年代を代表するボクサーの1人なのです。

荒れた少年時代

アラバマ州で8人兄弟の末っ子として生まれたホリィは、家族と共にアトランタに引っ越してからは、札付きの不良として地元では知られる存在でした。生まれながらに高い身体能力を誇り、ケンカにカツアゲを繰り返して学校ではなくストリートで過ごしていました。両親は悪い仲間と縁を切り学校に行くことを臨みましたが、ホリィは親に反発してギャングを気取っていました。この頃のホリィは、ドロップアウトしてギャングとして生きていくつもりだったようです。

※ホリィの子供達


ある日、父親が目に涙を浮かべながら散弾銃をホリィに向けて言いました。「ここで脳みそをぶちまけるか、学校に行くかどっちかを選べ」ホリィは父親が本気だと感じ、その剣幕に圧倒されて学校に行くことを了承します。制約だらけで面倒な学校は退屈そのものでしたが、ここでホリィはボクシングに出会いました。後の世界王者は、父親の散弾銃がきっかけで歩み始めたのです。

多くのボクサーが、元不良だったと言われています。しかしマイク・タイソンのように、実際は恵まれた環境で育った選手は多くいます。しかしホリィは一端のギャングでした。彼が泥沼のような世界から抜け出せたのは、飛び抜けたボクシングの才能があったからです。

ロサンゼルス五輪の騒動

アマチュアではまだまだ才能を開花させておらず、負けることもありました。オリンピック候補生になっても、特に期待される選手ではありませんでした。しかし何とかオリンピックの出場権を手にすると、ロサンゼルス五輪では次々にKO価値をおさめて準決勝まで進出しました。

※ボクシング・アメリカ代表のホリィ(左端)


その準決勝もホリィのペースで進み、相手は追い込まれていました。観客の歓声が会場を包み、ラッシュをかけたホリィの耳にゴングは聞こえませんでした。そのまま相手をKOしたホリィは失格になってしまいました。観客は怒り、暴動のようになっていきますが、ホリィは抗議をしませんでした。母親から才能や成績より、リング上での態度が大事だと言われていたからです。ホリィが見せた態度は各方面から絶賛され、スポーツ選手の模範とされました。このイメージは、プロに転向してからもホリィの評価を高めました。

アマエリートらしい基本に忠実なボクシング

ライト・ヘビー級でデビューしたホリィの適正体重は、クルーザー級だったと思います。クルーザー級の頃のホリィは、ボクシングの巧さと力強さが共存し、圧倒的な強さを誇っていました。必ずパンチを3つでまとめる(ワン・ツー・スリー)、相手のパンチが届かない位置に立つなど、基本に忠実なボクシングで圧倒的な強さを誇りました。



何千回、何万回と基本練習を繰り返したと感じられる洗練された動きで速く鋭いジャブ、回転の効いたコンビネーション、力強いストレートを見せていました。クルーザー級で強さを誇ったホリィに、ライバルはいませんでした。ファイトマネーも頭打ちで、ヘビー級への転向は必然だったと思います。

ヘビー級王座の獲得

88年にヘビー級に転向しますが、ヘビー級ではマイク・タイソンが3団体の王座を統一して圧倒的な強さを誇っていました。ホリィがヘビー級に転向したのは、マイク・タイソンが切り札と呼ばれたマイケル・スピンクスをわずか91秒でKOしてしまい、対戦相手がいなくなったと言われた直後でした。そのため転向したホリィには期待が集まります。

※マイク・タイソン


89年2月にタイソンが、イギリス期待の星、フランク・ブルーノをKOすると、翌月にホリィは北米大陸王座に就きました。この頃からホリィははっきりとタイソンへの挑戦を口にするようになります。「タイソンが勝つというなら、私はウィナー・テイク・オールでも構わない」と、ファイトマネーを勝者が総取りする方式での対戦も提案しました。しかしタイソンは、ホリィではなくドノバン・ラドックとの対戦を決めました。

タイソンが風邪をひいてラドック戦が延期になると、タイソンはカール・ウィリアムスとの試合を決めました。ホリィは会見を開き「私にもチャンスを」と訴えました。ウイリアムはわずか93秒でKOされ、タイソンは次の試合を日本で行うことにします。対戦相手はジェームス・ダグラスでした。

※KOされたタイソン


ホリフィールド陣営は粘り強く交渉を続け、ダグラス戦の次にホリイとタイソンの対戦がほぼ決定しました。90年6月にアメリカのどこかで行うことになったのです。しかし歴史に残る番狂わせで、東京ドームでタイソンはダグラスにKOされました。タイソンを中心に回っていたヘビー級戦線は大混乱し、ダグラスへの挑戦者は揉めに揉めてホリィに決まります。

※ダグラスをKOしたホリィ


90年10月、ホリィはようやくヘビー級タイトルマッチを実現しました。勝利の美酒が抜けきっていないダグラスは非力で、3RにあっさりKOしました。ホリィはWBA WBC IBFヘビー級王座を手に入れました。

タイソン戦の消失と上がらぬ評価

ホリィは初防衛戦に、38歳の元ヘビー級王者ジョージ・フォアマンを選びました。フォアマンは予想外の強さを見せ、ホリィは何度もグラつかされ、フォアマンが試合の主役になってしまいました。しかしこの試合の後に、ようやくマイク・タイソンとの試合が決まりました。難航した交渉は何度も壊れかかりましたが、早期に王座を取り返したいタイソンと、自身の価値を証明したいホリィの思惑が一致したのです。

※ジョージ・フォアマン戦

関連記事:神様とボクシングと中年男 /ジョージ・フォアマンの数奇な人生


メディアは世紀の一戦が決まったことを大々的に報じました。王座から陥落したタイソンは、ラドックとの二連戦になった激しい乱打戦も制し、4試合で勝利していました。強打のタイソンと技巧派のホリィの試合は、ボクシングファンだけでなく社会の関心ごとになり、話題を席巻しました。ホリィにとっては、真のヘビー級王者であることの証明する試合です。

しかしこの試合は実現しませんでした。タイソンが婦女暴行容疑で逮捕されてしまったからです。ホリィの防衛戦は、急遽用意された無名バート・クーパーという選手で、味気ないKO勝利で2度目の王座防衛になりました。

※逮捕されたタイソン


王座陥落

3度目の防衛戦は、元ヘビー級王者で43歳のラリー・ホームズでした。大差の判定で勝利しますが、タイソンはホームズを4RでKOしていたことに加え、ホームズがコンタクトレンズをつけたまま試合をしたことが発覚し、ホリィにとって評価を上げる試合にはなりませんでした。そして4度目の防衛戦で巨漢のリディック・ボウに判定で負けてしまうと、ホリィは2人のロートルと無名の若者相手に防衛を重ねただけの王者として、低い評価に甘んじることになりました。これがホリィに火をつけました。

※リディック・ボウ


翌93年にリディック・ボウと再戦し、WBAとIBFの王座を獲得します(2度目の王座獲得)。この試合ではリングにパラシュートで空から乱入する男が現れ、試合が中断する前代未聞の事件でも話題になりました。しかし翌年にマイク・モーラー相手に防衛戦を行いますが、判定負けで再び王座から陥落します。さらに心臓疾患が見つかり、治療のために引退を宣言しました。心臓病の原因として、ドーピング検査で陽性になったことはないものの、禁止薬物の副作用が疑われることになります。

タイソン戦の実現

心臓疾患の治療を続け、完治すると現役復帰を宣言しました。95年に復帰戦を勝利で飾ると、4戦目にWBA王座に返り咲いていたマイク・タイソンとの試合が実現しました。90年の対戦予定から5年が過ぎ、両者とも全盛期を過ぎていましたが、この対戦は大きな注目を集めました。

タイソン有利と言われた試合は、 終始ホリィがコントロールする展開で、11RにホリィがKOして王座に返り咲きました(3度目の王座獲得)。しかしこの結果にタイソンは不満でした。ホリィのパンチは全く効いておらず、全てのダメージはバッティング(頭突き)によるもので、レフリーが見逃したのが敗因だと主張したのです。



また世間では、単にタイソンの調子が悪かっただけと考える人も多くいました。そこで再戦の要望が高まり、8ヶ月後の97年6月に再戦が行われました。それぞれ50億円を超える報酬が約束された再戦は、誰もが予想しない展開で決着しました。3Rに両者が揉み合う中、突如ホリィが飛び上がり、耳を抑えてタイソンから離れました。タイソンは何かを口から吐き出し、レフリーがホリィの頭部を確認すると耳が噛み切られていました。タイソンが口から吐き出したのは、耳の一部だったのです。ホリィの反則勝ちで試合は終わりました。

※ホリィの耳に噛みつくタイソン


3ヶ月後にはIBF王者のマイク・モーラーと統一戦を行い勝利し、WBA IBFの統一王者になりました。98年は統一王座の防衛戦に勝利し、99年にWBC王者のレノックス・ルイスと統一戦を行います。引き分けに終わったため、半年後の11月に再戦が行われ、そこでホリィは負けてしまいました。引退が囁かれましたが、翌年には空位になったWBA王座決定戦でジョン・ルイスと戦い、勝利して王座に返り咲きました(4度目の獲得)。その後、ホリィは2011年まで現役を続行し引退しました。

関連記事:マイク・タイソンに見る教育の重要性

対戦相手からの悪評

ジョージ・フォアマンは、ホリィについて「ホリフィールドほどダーティなボクシングをする選手はいない。いろんな奴と試合をしてきたが、重量級の中じゃあいつが最悪さ」と評していました。またタイソンはホリィの耳に噛みついた理由として、繰り返しバッティングを受けたことへの報復だったと語っています。例えばタイソン戦を落ち着いて見返すと、ホリィはホールドしてから頭、肘、肩を使ってバッティングを繰り返し、ローブロー(金的攻撃)などを執拗に繰り返しています。明かな反則行為にタイソンは激しく苛立ち、何度もレフリーにアピールしている姿が確認できます。

※ホリィに何度も頭をぶつけられたハシーム・ラクマン


この反則行為はクルーザー級の頃には見られず、ヘビー級に転向してから顕著になりました。188cmと長身ながら細身のホリィは体格差に苦しみ、パワー負けするヘビー級で反則行為を繰り返すようになったと考えられます。良いパンチをもらうとすぐにホールドし、頭をぶつけて相手の体力を削っていきました。また相手の頭が来るところに先に自分の頭を動かし、カウンターで頭突きを浴びせることもありました。第2戦でもタイソンは何度もアピールしていますが、レフリーはホリィの反則をとりませんでした。タイソンのフラストレーションがピークになり、耳に噛みつく暴挙に出てしまいました。

ホリィは卓越したテクニシャンで、反則もレフリーの目を盗んだり、反則をとられにくいように行っていました。反則も技術のうちという意見もありますが、対戦相手からはすこぶる不評でした。しかしロサンゼルス五輪での謙虚なイメージから、ホリィはクリーンなボクサーのイメージが強く浸透していました。

禁止薬物の使用

ドーピング検査で陽性反応が出たことはありませんが、偽名を使いヒト成長ホルモンを購入した履歴も見つかっているので、ホリィが禁止薬物を使用していたことは、ほぼ間違いないとされています。購入先はアラバマ州やフロリダ州など複数の州にまたがり、違法に販売していた薬局が摘発された際に顧客リストが押収されました。。リストによると名前が違うものの誕生日がホリィと同じ日の人物が購入しており、連絡先の電話番号に電話したところ、ホリィ本人が出たのです。



ホリィが禁止薬物を使い始めたのは、やはりヘビー級に転向してからのようです。上記の反則行為を駆使したのと同じ理由で、体を大きくするために使用していたと思われます。リデック・ボウと対戦した際に、体が筋肉でパンパンに膨らんでいたこともあり、禁止薬物の使用が囁かれました。もっとも体が大きくなり過ぎてスピードが犠牲になり、苦戦することもありました。クルーザー級からヘビー級への転向が、どれほど難しいかを物語っているとも言えるでしょう。ホリィは疑いが濃厚というだけで、禁止薬物を使っていた証拠はありません。あくまでも状況証拠しかないことは、忘れてはならない事実です。

まとめ

タイソンとの対戦を熱望し、何度も機会を逃し続けたホリィでしたが、最後は耳を噛みきられるという予想外の展開で終わりました。後に2人は和解し、笑顔でツーショット写真を撮影しています。反則や薬物疑惑がつきまとう中、真摯でクリーンなイメージを保ったのはリング外での言動や態度によることものが大きかったでしょう。今回の千葉県でのボランティアも、彼の人柄を表していると思います。

90年代は名王者が多く誕生したので、ホリィの名はその中に埋もれがちですが、ヘビー級王座を4度も獲得した不屈の精神は賞賛されるべきですし、クルーザー級時代の試合を見ると卓越したテクニックを持つ優れたボクサーだと再認識できます。間違いなく90年代を代表するボクサーの1人ですし、ヘビー級の歴史に名を刻んだ選手でもあります。ホリィの時代からレノックス・ルイスの時代、そしてクリチコ兄弟の時代を経て、今後はどのようなヘビー級戦線が繰り広げられるのでしょうか。楽しみです。



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