子供のための歴史講座08:ワーテルローの戦い

注)この記事は以前のブログの転載記事です。

いや~乱世乱世。時は1815年。日本は江戸時代で、伊能忠敬が日本地図作りに精をだしている頃だ。ナポレオンさんはエルバ島の刑務所にいました。ヨーロッパの各国は、ウイーンに集まって会議をやっています。



娘「何の会議?」

ナポレオンさんが大暴れした後のヨーロッパを、どうやってまとめていくかの会議だ。だけどみんなが言いたいことを言って、ダラダラ何も決まらず1年が過ぎた。ところがそこに、ナポレオンさんが出獄してパリに向かっていると連絡が入った。


※何も決まらない会議なので「会議は踊る、されど進まず」と評された。

娘「んん?なんで牢屋から出られるの?」

ナポレオンさんを大好きな軍人さんたちがやって来て、勝手に牢屋を開けたんだ。その軍人さんを率いて、パリに向かった。ウイーンはナポレオンさんが復活したと大騒ぎになって、1年かけても決まらなかったことが、あっという間に決まってしまった。

娘「なんじゃ、そりゃ」

この残念な会議で決まったのが、ウイーン体制という。これ、5年後ぐらいにテストに出るぞ。そしてナポレオンさんは、パリに帰ってきて皇帝になった。ウイーン体制の皆さんは「なに勝手に皇帝になってんだ」と怒って、ナポレオンさんを退治することにした。

先にナポレオンさんが軍を動かし、オランダだけど今はベルギーと呼ばれる所に行く。場所はワーテルローの近くで、まずはプロイセン軍と勝負だ。で、すぐに圧倒してプロイセン軍は退散していった。無敵のナポレオンの復活だ!しかし、この後はナポレオンさんの曖昧で意味不明な命令が、混乱を巻き起こす。

娘「ナポレオンさんは、ボケたの?」

もともと、曖昧で意味不明な命令を連発する人だったんだ。だけど副官のベルティエさんが、普通の人にもわかる言葉に翻訳して伝えていた。だけどベルティエさんは死んじゃってて、新しく副官に着いた人は意味不明の命令を意味不明なまま伝えていたんだ。



娘「ベルティエさんがすごい人だったんだ」

ワーテルローにイギリス・オランダ連合軍を迎えたナポレオンさんは、一時期は優勢に見えたけど、次第に押されるようになる。ナポレオンさんは天才軍人として天候や地形を利用して、ヒラメキと大胆な戦術を採用していたけど、この時のナポレオンさんは、あまりにも皇帝らしく振舞い、横綱相撲をとってしまうんだ。

娘「なんで?」

なんでだろう? エルバ島に島流しされていたのを昔の部下達が助けてくれて、皇帝として迎えてくれたからかな。だから皇帝として勝って、みんなの期待に応えたかったのかもしれない。もしかしたら、戦後の自分の影響力を強くしたいと思っていたからかもしれない。それはともかく、結果的にナポレオンは負けたんだよ。

こうしてナポレオンさんは、再び刑務所に入れられて生涯を終えるんだ。これをナポレオンの百日天下という。これも5年後ぐらいにテストに出るから覚えとくんだぞ。

娘「5年たったらまた聞くから、今は忘れることにしよう」



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