子供のための歴史講座07:アラビアのロレンス

注)この記事は以前のブログの転載記事です。

いや~乱世乱世。時は1916年、第一次世界大戦の真っ只中。イギリスの外務省に所属していたトーマス・エドワード・ロレンス大尉はアラビア半島に降り立った。休暇中の旅行ということだが、戦争中に敵地でバカンスを楽しむ人はいない。つまりロレンスはイギリスのスパイだな。



娘「イギリスはどこと戦争しているの?」

あっちこっちと戦争しているけど、ここではオスマン帝国と戦争をしていることが大事だ。ちなみにオスマン帝国は、ここのピンクの部分ね。



娘「でか!」

この巨大な帝国と戦うため、イギリスはオスマン帝国内部で反乱を起こしそうな人達をまとめる必要があった。そこでロレンスがその役を任されたんだ。ロレンスはオスマン帝国に不満があるアラブ人達と、一緒に内部からオスマン帝国と戦うことになる。

娘「そんなに簡単に協力してくれるの?」

もちろん簡単じゃない。しかしイギリスとアラブ人の間で、こっそり約束を結んでいた。オスマン帝国を倒すのに協力してくれたら、アラブ人の独立を認めるし、聖地があるパレスチナに住んでもいいよ、とイギリスが約束したんだ。これをフセイン=マクマホン協定という。

娘「ん?それは魅力的な約束なの?」

アラブ人はオスマン帝国に支配されていたから、独立できるのは魅力的だよ。それにパレスチナにあるエルサレムはイスラム教の聖地だから、彼らはオスマン帝国から取り戻したいと思ってたんだ。

娘「ふーん。で、ロレンスさんと戦うんだ」

戦うといってもゲリラ戦だ。ロレンスはラクダにまたがり、アラブ人を率いて鉄道を襲撃した。


※ラクダとロレンスさん
娘「ラクダ!?」

砂漠だから馬よりもラクダだ。そして鉄道を攻撃すれば、オスマン帝国軍は鉄道の警備に目が向いて、イギリス軍が上陸しやすくなるんだ。ロレンスはアラブ人を率いて、次々に主要な駅がある街を占領して、イギリスの英雄になった。そしてイギリスはオスマン帝国に勝ったのだ。

娘「おお!アラブ人も大喜びだね」

ところが、そうならないんだ。イギリスはフランスとロシアの三ヶ国で、戦争に勝ったらオスマン帝国を三ヶ国で分けましょうねと約束していた。これをサイクス・ピコ協定という。

娘「え!?アラブ人はどうなるの?」

さらにイギリスはオスマン帝国との戦争の資金を出してくれたら、パレスチナにユダヤ人が住んでいいですよ、とユダヤ人と約束していた。これをバルフォア宣言という。

娘「イギリス最低すぎる!」

イギリスに代わって弁解すると、当時は正確な地図はなかったし、国境なんて曖昧だったんだ。それにパレスチナといっても当時はシリアと呼ばれていて、これも曖昧な地名だったんだ。だからそれぞれの約束に書かれている内容で、正確に線を引いたら、それぞれの取り分は重なってはいなかったらしい。

娘「でもパレスチナくれるって言ったじゃん!」

そう、アラブ人は自分達が思っているパレスチナ全部を求めるし、ユダヤ人も自分達が思っているパレスチナ全部を求める。だからアラブ人とユダヤ人で戦争になるんだ。これが中東戦争だね。

娘「ロレンスさんはどうしたの?」

ん?ロレンスさんは、バイク事故で死んじゃった。飛び出してきた自転車を避けようとして、転倒したんだ。

娘「戦争で死ななかったのに、バイク事故?」

そういう人って、結構いるんだ。ちなみにロレンスさんの活躍は「アラビアのロレンス」って映画になってるから、興味があれば見るといいよ。

娘「んー、アニメになったら見るね」

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