井上尚弥は何が凄いのか改めて整理する

日に日に井上尚弥の評価が高まり、多くのメディアが井上尚弥の動向や彼にまつわる海外の動向を伝えています。しかしどうも井上尚弥の凄さが伝えられていない気がして仕方ないのです。世界王者は時に注目を集めますし、良い試合をすれば話題にもなります。しかし井上尚弥は、過去に日本が生んだ世界王者の中でも稀有な存在です。これまでの日本が生んだ世界王者と何が違うのかを整理してみたいと思われます。



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海外では無名の世界王者

90年代に行われたWBAのパーティだったと思いますが、かつての世界王者が各国から招待されて賑わいました。日本からも名だたる王者が招待されたのですが、ほとんどはパーティで声を掛けられることもなくゆったりと雰囲気を楽しんだそうです。しかしファイティング原田とガッツ石松の周囲には人垣ができ、世界王者達から握手や記念撮影を頼まれたり、彼らの話を熱心に聞いたそうです。

※ファイティング原田


ファイティング原田は、ボクシング史にその名を刻む名王者です。軽量級の歴史を語る時、原田の名前は必ず出てきます。ガッツ石松は、名だたる強豪と何度も対戦しており、その経歴は華やかです。歴史に名を残す強豪と激戦を繰り広げ、世界王者にまで上り詰めた劇的なキャリアがあります。2人は海外でも名の知られたボクサーですが、それ以外はほとんど海外では知られていないのが現状です。これは日本に限らず、どの国でも大半の世界王者は人々の記憶に刻まれることなく消えていくのです。

※ガッツ石松


ファイティング原田がフライ級の世界王者になった時、世界王者はフライ級からヘビー級までの8人しかいませんでした。それがジュニア階級(現在のスーパー○○級)の創設により17階級に増え、世界王座の認定団体は主要なものだけで4団体に増えました。さらに暫定王座、スーパー王座の乱発により、ボクシングの世界王者が100人近くいることもあります。そのため世界王者の価値はデフレ化が進み、今や世界王者になるだけでは名前を残せなくなりました。世界王者の中でも傑出した実績を残した王者だけが名前を残せるのです。井上尚弥は、これまでの日本人しか知らない世界王者ではありません。海外にも名前を知られ、井上尚弥の動向は世界各国のファンが見守っています。

防衛回数・複数階級制覇の価値

かつては防衛回数が強い王者の証明でした。ヘビー級のジョー・ルイスが12年にわたり25回防衛した記録は未だに破られておらず、ジョー・ルイスが歴代で最強のヘビー級王者と呼ばれる大きな根拠になっています。しかも当時は現在のようにWBAやWBCなど団体が乱立していません。階級もフライ級からヘビー級までの8階級だったので、ボクシングの世界チャンピオンは世界に8人しかいなかったのです。現在のようにメジャー団体だけでも4団体、スーパー階級の設立によって17階級になった状況の世界王者とは、その存在価値も重みも違います。そんな中で25回の防衛は、今後25回防衛を果たす選手が現れてもジョー・ルイスの偉大さには何の関係もないという人もいます。

※ジョー・ルイス


そもそもヘビー級を除けば、同じ階級にとどまる選手が少なくなりました。王座を獲ると階級を上げて複数階級を制覇するのがトレンドになったのです。日本では防衛回数に拘る選手やジムが多くありましたが、世界的なトレンドは複数階級制覇になっていました。団体の乱立で選手層が薄くなり、同じ階級でどれほど防衛を重ねるよりも複数階級を制覇した方が、強さの証明になったのです。シュガー・レイ・レナードが史上初の5回級制覇を達成すると、多くのボクサーがこれに続きました。

※シュガー・レイ・レナード


ところがオスカー・デ・ラ・ホーヤが初の6回級制覇を達成した頃から、複数階級制覇にも疑問符がつき始めます。デ・ラ・ホーヤは複数の団体の王者の中で、最も勝てそうな相手を選んで挑戦しました。決してリスクを冒さず勝てる試合ばかりを組む姿勢に、見る人はフラストレーションを募らせます。そこに登場したマニー・パッキャオは、ベルトも階級も関係なく最もファイトマネーが良い試合を選び、相手構わず挑戦していきました。最もファイトマネーが良い試合とは、多くのファンが見たい試合であり、多くが強豪との対戦でした。大物を次々に倒していったパッキャオは、世界で最も注目されるボクサーになります。

※マニー・パッキャオ


パッキャオ以降は、防衛回数や何階級制覇したかではなく、誰と戦って勝ったが重要になりました。もちろん誰に勝ったかは以前から重要なバロメーターでしたが、世界王座の価値が下落したことにより、誰に勝ったかが最も重要な要素になったのです。

ボクシングが嫌いになった井上尚弥

テレビ番組内で、一時期はボクシングが嫌いになったと語っていました。その理由について、日本のボクシングが「勝てる相手を選んで試合をするそれがテレビで流れちゃうっていう時代だった」と語っています。この言葉は、部分的に誤解を生んでいるように思います。

プロボクシングでは、選手に自信をつけさせるために勝てる相手を選んで試合を組むことがあります。世界挑戦の前哨戦などは、気持ちよくKOできる相手を選ぶ事は珍しくありません。勝てる相手を選ぶことを全てダメだと言い出すと、マイク・タイソンやジョージ・フォアマンのような歴史的な名王者もダメだということになります。井上尚弥もタイソンやフォアマンもダメとは言ってないでしょう。

※マイク・タイソン


恐らく井上尚弥が言っているのは、防衛記録を更新するために強豪を徹底的に避けることや、複数階級制覇のために強豪を避けてベルトを集める選手のことを指していると思います。名前は挙げませんが、日本人ボクサーで何度も防衛したボクサーの中にも、よくこれだけ強豪を避けて防衛を重ねられるなと、ジムのマネジメント能力に感心した選手もいます。何度目の防衛とか、日本記録を更新するかなどとテレビで華々しく宣伝されるたびに、シラけた気持ちになるファンは以前からいました。

また空位になった世界王座の王座決定戦で、日本人ボクサーの相手が聞いたこともないような無名のボクサーで、そもそもその階級で試合をしたことがあるのかもわからないような選手だったこともあります。そのような無名の選手を相手にしても、メディアでは最強の挑戦者との対戦と騒がれていて、ボクシングファンをしらけさせる事がよくありました。恐らく井上尚弥は、こういった試合のことを言っているのだと思います。

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アメリカから呼ばれた選手

これまで海外で試合を行った日本人の世界王者は、自らアメリカの市場に売り込みをかけて試合を実現しました。しかし井上尚弥は、アメリカから呼ばれて試合を行っています。井上尚弥の試合は早い時期からYouTubeにアップされていて、アメリカやヨーロッパのボクシングファンの間で話題になっていたのです。

多くの選手がアメリカを目指すのは、アメリカで認知されるとファイトマネーが飛躍的に上昇するからです。そのため世界中のボクサーがアメリカでの試合を実現するために、売り込みをかけています。その中で、井上尚弥はアメリカから招待される形で試合を行いました。招待したのはHBOというスポーツ専門チャンネルで、ボクシングのスーパーファイトを数多く放送してきた名門です。



2017年9月に井上尚弥はアメリカデビューを果たしました。当時スーパーフライ級王者の井上尚弥が迎え撃ったのは世界ランク9位のアントニオ・ニエベスですが、防戦というより逃げることに終始したニエベスに手を焼き、6ラウンドにKOしました。消化不良の内容でしたが、世界ランカーが逃げ回る事態に衝撃を与えました。その後のバンタム級での王座獲得とWBSSの制覇で人気が急上昇し、アメリカ大手のプロモート会社トップランク社との契約が結ばれました。

バンタム級の中心にいる井上尚弥

現在のバンタム級は井上尚弥を中心に動いています。WBAとIBFの2つのタイトルを持っているだけでWBCとWBOの世界王者が別にいますが、人気実力ともに井上尚弥が一歩抜きん出ていているのです。

現在のバンタム級は、井上尚弥に挑戦するのは誰か?という視点で各国のメディアが報じていますし、バンタム級の他の2人の王者も井上尚弥への挑戦を表明しています。WBC王者のノルディ・ウーバーリは井上尚弥の弟、井上拓真を下していますし、WBO王者のゾラニ・テテは執拗に挑発を繰り返しています。2人が井上尚弥との対戦を熱望するのは、現在最も注目度が高く、ファイトマネーも高額になるからです。

※ゾラニ・テテ


またスーパーフライ級世界王者のファン・フランシスコ・エストラーダとの対戦を希望する声もあります。エストラーダはリング誌が選ぶパウンド・フォー・パウンドの8位に認定されている王者で、PFPランカー同士の対戦になります。こちらも実現すれば、大きな注目を集める試合になるでしょう。現在のバンタム級は井上尚弥の動向を中心に動いています。

※ファン・フランシスコ・エストラーダ


歴史と比較される

かつてマイク・タイソンは、モハメドの・アリやロッキー・マルシアノらと比較され、どちらが強いか検証されました。フロイド・メイウェザー・Jr.はシュガー・レイ・ロビンソンと比較されていました。圧倒的な強さを誇るようになると、同世代のボクサーではなく歴史と比較されるようになるのです。井上尚弥もメキシコの新聞に、ウィルフレド・ゴメスやカルロス・サラテなどかつてのスーパースターと比較した記事が掲載されたようです。

ウィルフレド・ゴメスは、バズーカと呼ばれる強力な右ストレートを武器に、スーパーバンタム級からフェザー級までの3回級を制覇した伝説の王者です。芸術的なカウンターで、日本のロイヤル小林を一撃で屠った試合は日本のファンの間でも語り草になっています。

※ウィルフレド・ゴメス


カルロス・サラテは元バンタム級の世界王者で、バンタム級では考えられないほどKOの山を築いた名王者です。その残酷なほと強烈なKO劇はバンタム級での対戦相手に困るほどで、軽量級屈指のスーパーハードヒッターとして刻まれています。

※カルロス・サラテ


現在の井上尚弥は、現役の選手だけでなく過去の名王者と比較されるようになるほど、他を圧倒した存在になっているのです。

まとめ

世界王者というと世界的に名前が知られているように錯覚しますが、ボクシングの世界王者を名乗れる人が100人近くいて、それが毎月のように入れ替わるのですから、よほど強烈な実績がなければ名前を記憶されることはありません。何度王座を防衛しようが、何階級を制覇しようが、世界的に名の知れたボクサーとの対戦がなければ評価されないどころか、名前さえ覚えてもらえないのです。

井上尚弥は、すでに多くの人の記憶に残る試合を行い、パウンド・フォー・パウンドの上位に名前を連ねています。5階級を制覇したローマン・ゴンザレスとの対戦が流れてしまい、モチベーションの低下が心配されましたが、そんなことはお構いなしに戦績を積み重ねていきました。これほどまで海外に名前を知られた日本人ボクサーは、ほとんど記憶にありません。井上尚弥は日本ボクシング史上、特別な世界王者だと思います。


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