90年代の K-1を振り返る /第三次キックブームの到来
UFC234を見ていると、選手のトレーナーとしてサム・グレコが映っていました。オーストラリアのメルボルンで開催されたUFC234には、地元オーストラリアの選手が多く出場していて、その中の1人にグレコがついていたのです。90年代に日本のK-1に参加し、「拳獣」と呼ばれて強豪の一角を占めていたサム・グレコを見ていて、90年代のK-1の盛り上がりを思い出しました。
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空手道場の正道会館がK-1GPを開催できたのは、このキックブームと無縁ではなかったはずです。館長の石井和義は空手の面白さを伝えたいと常々言っていましたが、興行的に選んだのはヨーロッパ式のキックボクシングルールでした。リングの上で3分1ラウンドで行われ、肘打ちなしのルールは空手界でも賛否がありました。そしてフジテレビの番組の一環として、第1回K-1GPが93年に代々木第一体育館で開催されました。「10万ドル争奪トーナメント」と銘打たれ、高額の賞金で各国から選手を集めた大会でした。
ところがピーター・アーツは、1回戦でアーネスト・ホーストに判定負けします。日本では全くの無名だったホーストの勝利により、大会の目玉が消えてしまいました。さらにホーストは2回戦でモーリス・スミスをハイキック一発でKOしました。無名のホーストにより、最大の目玉だったスミスさえもいなくなったのです。このままホーストが優勝するかと思いきや、決勝ではクロアチアのブランコ・シカティックがKO勝利で優勝しました。
蓋を開けてみれば日本で無名の選手の活躍が目立ち、優勝したブランコ・シカッティックって誰??という空気の中で大会は終わりました。私はこの大会をテレビで見ていましたが、ヘビー級のスローモーで雑なキックボクシングは微妙でした。立嶋篤史や前田憲作らが繰り広げる鋭く速い攻防とは対局で、それを迫力ある試合と見るか退屈と捉えるかは好みが分かれるところだと思います。
どちらにせよ、フジテレビの思惑とはことなり有名な選手がほとんど活躍することなく、無名の選手どうしの決勝戦という盛り上がりに欠ける終わり方をしたのです。
決勝はホーストとゲッソンリットの戦いになり、ホーストがKOで優勝しました。この大会は盛り上がりを見せたものの興行的には赤字となり、この手のイベントの運営の難しさを正道会館に知らしめました。後に脱税で法人税法違反の容疑で逮捕された石井和義は、この大会を経験したことで組織に預金が必要だと痛感したと語っています。
正道会館は極真会館から移籍してきたアンディ・フグに期待をかけていましたが、キックボクシングルールに適応できないことに加えて左足の怪我が長引き、94年のK-1GPでは1回戦負け、95年はマイク・ベルナルドに1回戦負けでした。フランスから呼んだジェロム・レ・バンナは健闘していましたが、アーツを脅かすほどではありませんでした。
さらにこの大会は、これまでいいところがなかったアンディ・フグが勝ち進み、決勝でベルナルドをKOして優勝しました。下段後ろ回し蹴り(後にフグ・トルネードと呼ぶ)でKOという空手家らしい勝ち方で、96年の第4回大会は興奮に継ぐ興奮の中で大成功となりました。スポーツ新聞もアーツのKO負けやフグの優勝を大きく取り上げ、ここからK-1は一気に人気を集めるようになります。
96年10月の「K-1 スターウォーズ」は初のゴールデンタイム放送で、目玉はアーツとベルナルドの再戦でした。ここでもベルナルドは豪快にアーツをKOし、そのド迫力のKO劇は一気にK-1の人気を高めました。またこの放送ではジェロム・レ・バンナがホーストをKOしており(個人的にはレフリーのストップが遅すぎてイライラしましたが)、K-1は豪快なKOを売り物にしていきます。
さらに次々と参加する新鋭も目が離せませんでした。ミルコ・タイガー(クロコップ)、ステファン・レコ、マット・スケルトンなど、強豪が次々に出場していきます。石井和義は常に各国に目を配り、実力者へのオファーを繰り返していましたが、この時期になると1試合のファイトマネーが数百万円以上になっていたので選手からのオファーが絶えなかったようです。K-1のファイトマネーは、どの国よりも突出して高額になっていました。この時代のK-1は絶頂期にあり、多くのファンが次の大会を待ち焦がれ、誰と誰が対戦するのか胸を膨らませていました。
2002年は、前年王者のマーク・ハントがノイローゼになって試合への意欲を欠いて凡戦を重ね、GP決勝では骨折したレ・バンナが強行出場してホーストに腕を粉砕され、それを見ていたミルコ・クロコップが選手を守ろうとしない運営に激怒してK-1を離れる決意をしました。石井和義逮捕というだけでなく、この年にK-1は輝きを失ったように思います。
90年代にK-1は一気に成長し、その成長が急激すぎたために弊害を生みました。それを乗り越える力が、足りなかったのだと思います。2001年のレ・バンナ対ベルナルド戦は、観客の声にかき消されてゴングが聞こえないためにトラブルになりました。これほど観客を興奮させた試合は、その後はありませんでした。時代の大きなうねりを作ったイベントが、失速していくのは悲しいものでした。その一方で、中量級に新たなうねりを作るのですが、その話は別の機会に書きたいと思います。
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K-1GPの開催(93年)
93年といえば、第2次キックボクシングブームが起こっていて、全日本キックボクシング連盟を中心に興行が盛り上がっていました。立嶋篤史の試合にはには男性ファンが押しかけ、前田憲作の試合には女性ファンが列を作り、松任谷由実も前田憲作のファンを公言するなど、70年代に全盛期を迎えたキックボクシングの再ブームになっていました。空手道場の正道会館がK-1GPを開催できたのは、このキックブームと無縁ではなかったはずです。館長の石井和義は空手の面白さを伝えたいと常々言っていましたが、興行的に選んだのはヨーロッパ式のキックボクシングルールでした。リングの上で3分1ラウンドで行われ、肘打ちなしのルールは空手界でも賛否がありました。そしてフジテレビの番組の一環として、第1回K-1GPが93年に代々木第一体育館で開催されました。「10万ドル争奪トーナメント」と銘打たれ、高額の賞金で各国から選手を集めた大会でした。
第1回K-1GPのとほほ感
この大会の最大の目玉は、アメリカのモーリス・スミスでした。WKA王者として8年間も無敗を誇ったスミスの試合を日本で見られるというのが、大会前に大きく宣伝されていました。そして8年間無敗だったスミスの連勝を止めた、オランダのピーター・アーツも呼ばれました。順当に行けば2回戦で二人の再戦が実現します。この再戦がK-1最大の見所でした。※モーリス・スミス |
ところがピーター・アーツは、1回戦でアーネスト・ホーストに判定負けします。日本では全くの無名だったホーストの勝利により、大会の目玉が消えてしまいました。さらにホーストは2回戦でモーリス・スミスをハイキック一発でKOしました。無名のホーストにより、最大の目玉だったスミスさえもいなくなったのです。このままホーストが優勝するかと思いきや、決勝ではクロアチアのブランコ・シカティックがKO勝利で優勝しました。
蓋を開けてみれば日本で無名の選手の活躍が目立ち、優勝したブランコ・シカッティックって誰??という空気の中で大会は終わりました。私はこの大会をテレビで見ていましたが、ヘビー級のスローモーで雑なキックボクシングは微妙でした。立嶋篤史や前田憲作らが繰り広げる鋭く速い攻防とは対局で、それを迫力ある試合と見るか退屈と捉えるかは好みが分かれるところだと思います。
※ブランコ・シカティック |
どちらにせよ、フジテレビの思惑とはことなり有名な選手がほとんど活躍することなく、無名の選手どうしの決勝戦という盛り上がりに欠ける終わり方をしたのです。
K-2GPの興行的失敗
同じく93年の終わりに、正道会館はライト・ヘビー級の選手を集めてK-2GPを開催しました。キックの帝王と呼ばれたオランダのロブ・カーマンを呼び寄せ、K-1に出場したアーネスト・ホーストやチャンプア・ゲッソンリットらが顔を並べました。カーマンを主役にして集客が行われていましたが、そのカーマンは1回戦で敗退します。決勝はホーストとゲッソンリットの戦いになり、ホーストがKOで優勝しました。この大会は盛り上がりを見せたものの興行的には赤字となり、この手のイベントの運営の難しさを正道会館に知らしめました。後に脱税で法人税法違反の容疑で逮捕された石井和義は、この大会を経験したことで組織に預金が必要だと痛感したと語っています。
94年からの暗黒期
第2回大会はピーター・アーツが圧倒的な強さで優勝すると、95年の第3回でも優勝します。アーツは当時のことを「練習しなくても勝てた」「二日酔いで試合をしたこともある」と語っており、頭一つ抜けた強さを見せつけていました。正直言って、この頃のK-1は面白くなかったです。アーツばかりが強くライバルもいない状況で、トーナメントにも興味の湧きようがなかったのです。※ピーター・アーツ |
正道会館は極真会館から移籍してきたアンディ・フグに期待をかけていましたが、キックボクシングルールに適応できないことに加えて左足の怪我が長引き、94年のK-1GPでは1回戦負け、95年はマイク・ベルナルドに1回戦負けでした。フランスから呼んだジェロム・レ・バンナは健闘していましたが、アーツを脅かすほどではありませんでした。
96年の波乱から人気爆発
ピーター・アーツの3連覇で終わる退屈なトーナメントだと誰もが思っていましたが、なんとそのアーツがKO負けという波乱が起こりました。倒したのは南アフリカのマイク・ベルナルドで、左フックでアーツが後頭部からキャンバスに叩きつけられる姿は衝撃的でした。「沈まぬ太陽が沈んだ」と会場は大興奮となり、この1戦でベルナルドはスター選手になりました。※マイク・ベルナルド |
さらにこの大会は、これまでいいところがなかったアンディ・フグが勝ち進み、決勝でベルナルドをKOして優勝しました。下段後ろ回し蹴り(後にフグ・トルネードと呼ぶ)でKOという空手家らしい勝ち方で、96年の第4回大会は興奮に継ぐ興奮の中で大成功となりました。スポーツ新聞もアーツのKO負けやフグの優勝を大きく取り上げ、ここからK-1は一気に人気を集めるようになります。
※ベルナルドに勝利したアンディ・フグ |
96年10月の「K-1 スターウォーズ」は初のゴールデンタイム放送で、目玉はアーツとベルナルドの再戦でした。ここでもベルナルドは豪快にアーツをKOし、そのド迫力のKO劇は一気にK-1の人気を高めました。またこの放送ではジェロム・レ・バンナがホーストをKOしており(個人的にはレフリーのストップが遅すぎてイライラしましたが)、K-1は豪快なKOを売り物にしていきます。
ドームツアーの開始
97年には東京、大阪、名古屋の三大ドームで開催し、GPはアーネスト・ホーストが優勝しました。これによりアーツ、ホースト、ベルナルド、フグの4強が注目されるようになり、それに迫るレ・バンナ、グレコ、レイ・セフォーらがそれを追う第2グループと勢力図が出来上がりました。しかし誰が誰に勝っても不思議ではないほど拮抗した実力で、特に運が作用するトーナメントでは、何か起こるかわかりませんでした。※アーネスト・ホースト |
さらに次々と参加する新鋭も目が離せませんでした。ミルコ・タイガー(クロコップ)、ステファン・レコ、マット・スケルトンなど、強豪が次々に出場していきます。石井和義は常に各国に目を配り、実力者へのオファーを繰り返していましたが、この時期になると1試合のファイトマネーが数百万円以上になっていたので選手からのオファーが絶えなかったようです。K-1のファイトマネーは、どの国よりも突出して高額になっていました。この時代のK-1は絶頂期にあり、多くのファンが次の大会を待ち焦がれ、誰と誰が対戦するのか胸を膨らませていました。
石井和義逮捕
2002年に脱税で石井和義らが逮捕され有罪が確定すると、株式会社ケイ・ワンからFEGに運営が移ります。これによってあらゆる面が変わっていきました。競技よりエンターテーメント色が強くなり、巨漢で有名人なら左ジャブすら打てなくてもリングに上がるようになりました。酒場のケンカのような試合がメインイベントになり、試合の質が下がる反面、ファイトマネーは高騰していきます。※石井和義 |
2002年は、前年王者のマーク・ハントがノイローゼになって試合への意欲を欠いて凡戦を重ね、GP決勝では骨折したレ・バンナが強行出場してホーストに腕を粉砕され、それを見ていたミルコ・クロコップが選手を守ろうとしない運営に激怒してK-1を離れる決意をしました。石井和義逮捕というだけでなく、この年にK-1は輝きを失ったように思います。
まとめ
「石井館長が逮捕されなければK-1は続いていた」という人もいますが、必ずしもそうとは言えないと思います。この時期にはさまざまな問題を抱えていて、その問題が一気に噴出したのが2002年頃だったのだと思います。人気選手が負けていてもなかなか止めないレフリーや、エンターテイメント性を重視するためにストップが遅いことなど、問題を指摘する声は多くありました。90年代にK-1は一気に成長し、その成長が急激すぎたために弊害を生みました。それを乗り越える力が、足りなかったのだと思います。2001年のレ・バンナ対ベルナルド戦は、観客の声にかき消されてゴングが聞こえないためにトラブルになりました。これほど観客を興奮させた試合は、その後はありませんでした。時代の大きなうねりを作ったイベントが、失速していくのは悲しいものでした。その一方で、中量級に新たなうねりを作るのですが、その話は別の機会に書きたいと思います。
関連記事
アリスター・オーフレイム /薬物疑惑を超えて
なぜミルコ・クロコップはアメリカで勝てなかったのか
マーク・ハント /愉快で勇敢なサモアン
超合筋 /武田幸三の栄光
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