今そこにある絶望 /ジョナ・ロムーという史上最強のラガーマン

世界最強のラグビーチーム、ニュージーランド代表のオールブラックスは、精鋭だけが名を連ねています。その精鋭揃いのオールブラックスの中でも強力な輝きを持ち、他国から恐れられていたのがジョナ・ロムーです。ロムーがボールを持つことは仲間にとって希望であり、敵チームにとっては脅威ではなく絶望でした。誰もロムーを止められず、誰もロムーを前に立ってはいられませんでした。今回はラグビー史上、最も強烈なインパクトを残したジョナ・ロムーの話です。



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生い立ち

1975年にニュージーランドのオークランドの貧困街に生まれます。弟が生まれると同時に姉夫婦に預けられ、トンガのハアパイ島で育てられることになりました。6年をトンガで過ごすとニュージーランドに戻りますが治安が悪く、叔父はギャングに射殺され、父親からは日常的に暴力を振るわれる生活でした。荒んだ少年期を過ごして警察にもマークされましたが、15歳の時に全寮制のウェズレイ・カレッジに入ったことから人生が変わります。



学校でラグビーを始めると瞬く間に頭角を現し、空飛ぶ巨象と呼ばれて敵チームに恐れられるようになります。その評判を聞いたラグビー選手のエリック・ラッシュは、ロムーと14歳の頃にタッチゲームをしていた経験から、ロムーをシンガポールでの高校代表の試合に呼びます。ロムーは19歳以下の代表チームに召集され、さらに21歳以下の代表チームにも召集されました。1994年に香港で行われた国際大会で、ロムーは国際的な注目を集めます。そして19歳という最年少の若さで、オールブラックスに召集されました。

ロムーのポジション

ラグビーのポジションは大きく分けてフォワードとバックスの2つに分けられます。フォワードはスクラムを組むメンバーで、大型でパワフルな選手が揃います。そのスクラムから出たボールをパスで繋ぎ、トライを狙うのがバックスになります。バックスは俊足の選手が揃います。

バックスの中でもウイングは最もサイド側に位置し、パスの最終地点でトライをする役目を担います。そのため小柄であっても最速の選手が配置されていました。ロムーは195cm、115kgという巨体ながらウイングにいました。100mを10秒台で走る脅威的なスピードを誇り、速さと破壊力で敵を圧倒したのです。



大外から弾丸のような速さで迫るロムーの巨体は、敵にとってはまさに絶望でした。ロムーにタックルを仕掛けた選手は、トラックにはねられたように吹き飛ばされ、追いかける選手は度々振り切られていました。タックルに来る選手を片手で弾くハンドオフも上手く、ヘビー級ボクサーのような強烈なハンドオフで、ねじ伏せていました。



ロムーを1人で止めることは不可能で、2人3人がかりでなければ歯が立ちませんでした。3人にしがみつかれながら、そのまま強引にトライに持ち込んだこともあります。走り出したらレーシングカーのように速く、捕まったら戦車のような馬力でトライを量産していきました。

※現在ではウイングに大型の選手を置くことが増えました。捕まっても、そこからラックを作って新たな展開に持ち込むためですが、ロムーがいた頃は大型選手がウイングにいるのは極めて珍しいことでした。

2011年南アフリカ大会

1995年のラグビーワールドカップは、アパルトヘイト(人種隔離政策)のため国際試合を禁じられていた強豪の南アフリカが国際舞台に復帰し、南アフリカで開催されました。南アフリカは噂通りの強豪なのか?という話題と並んで、史上最年少でオールブラックス入りを果たしたロムーは今大会の注目の的になっていました。

アイルランドとの初戦で2トライを挙げますが、そのパワーとスピードに観客は圧倒されました。タックルをかわすのでもなく堪えるのでもなく跳ね飛ばし、まるで何もなかったかのように突進を続けるロムーは、これまで誰も見たことがない強烈な選手でした。

さらに準決勝のイングランド戦では、イングランドの15番マイク・キャットをねじ伏せると、カーペットの上を歩くようにキャットの上を走り抜け、観客の度肝を抜きました。規格外の強さを見せつけたイングランド主将のウィル・カーリングは「彼はフリーク(突然変異)だ」と、驚きをもって評しました。ロムーはもはや人外の者だったのです。



決勝戦は南アフリカとの対戦になりますが、ロムーに恐れをなして南アフリカの選手がタックルを躊躇するのではないかと心配する声もありました。そこで南アフリカの富豪が、南アフリカの選手が1タックルするごとに賞金を出すと宣言します。しかし初めての国際舞台で自国開催に燃える南アフリカ代表には、無用の心配でした。

南アフリカは2人がかり、3人がかりで何度弾き飛ばされてもロムーにタックルし、ロムーを封じることに成功しました。ニュージーランドは敗北し、ロムーは自分の経験不足を認めることになります。しかし今大会でのロムーの衝撃は強烈で、今後はロムーの時代になると誰もが感じていました。

その後のキャリア

怪我とネフローゼ症候群に悩まされ、一時期は不振に陥ります。しかし99年のワールドカップに再び参加すると、8トライを挙げてトライ王になりました。2大会連続のトライ王で、その爆発的な破壊力とスピードは健在でしたが、チームは準決勝で負けてしまいます。その後、アメリカのNFLにスカウトされますが、ニュージーランドに残ることを選択しています。

2003年には腎不全になり人工透析を開始しますが、症状が悪化して腎臓移植を受けることになります。2005年に復帰しますが、今度は度重なる怪我に苦しみ出場機会を減らしていきました。2007年に引退を表明しました。



2012年には移植した腎臓の機能が停止し、再び腎臓移植が必要になりました。療養中だった2015年に腎臓が原因となり心筋梗塞が起こり、そのまま死去しました。40歳でした。

まとめ

ロムーがボールを持っただけで、見ている者の血圧が上がりました。何かが起こることを期待させ、そのスピードとパワーで異次元のラグビーを見せてくれました。怪物たちが集うラグビー・ワールドカップにおいてもまさに規格外、人外のラグビーで、これほど強烈な選手は2度と見られないのでは?と思えます。そのロムーが、若くして亡くなったのは驚きでした。

今年は日本でラグビー・ワールドカップが開催されます。ロムーのような規格外の怪物はいませんが、凄まじいパワーとスピードを持った男たちがぶつかり合います。私は9月の開催を楽しみにしています。


ロムーのプレイを集めた動画です。


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