権利問題から見る007 /人気シリーズの裏側で何が起こっていたか

イアン・フレミングの小説007シリーズは、映画化されて世界的なヒットを記録しますが映画化に関する権利問題で揉めに揉めたシリーズでもあります。人気シリーズの裏側で起こっていたドタバタを解説したいと思います。


共同プロデューサーで映画化が決定

パリでスタッフの手配などの映画関連の仕事をしていたハリー・サルツマンは、イアン・フレミングの小説を読み、007を映画化すれば成功すると確信します。フレミングに会うと映画化の契約を取り付けますが、得体の知れないサルツマンとの契約にフレミングは映画化の期限を設定しました。

※左:ハリー・サルツマン 右:アルバート・ブロッコリ 中央はロジャー・ムーア

全く金がないサルツマンはスポンサー集めに奔走しますが、そんな時にアルバート・ブロッコリという男が現れました。すでにプロデューサーとして映画製作を行っていたブロッコリは、サルツマンに007の映画化権を買いたいと申し出ます。しかしどうしても自身の手で映画化したいサルツマンは抵抗し、紆余曲折を経て共同で会社を設立して007を映画化することにしました。


ブロッコリにとってもこれは大勝負で、2人の会社は「一か八か」(Everything Or Norhing)から頭文字をとってEON(イオン)と名付けられました。イオン・プロダクション(以下EP)は、こうやって誕生しました。これが黄金チームの誕生であり、後に権利関係でややこしくなる元凶にもなります。

サンダーボール作戦訴訟

EPは映画「007 ドクター・ノオ」(62年)を成功させ軌道にのると、次々と007の映画化に着手します。これに気を良くしたフレミングは、映画化権を安く売りすぎた後悔も相まって、自らが映画化することを目論みます。ザナドゥ・プロダクションを設立すると、映画作家のケビン・マクローリーが中心となって、いくつかの映画用の脚本が作られました。しかしザナドゥの将来を不安視したフレミングは、一方的にこの契約を解消してしまいました。 

※ケヴィン・マクローリー

フレミングはこのマクローリーらのアイデアを無断で使用して、「サンダーボール作戦」を書き上げて発表してしまい、マクローリーらから訴えられることになります。63年にマクローリーが裁判で勝訴すると、映画「サンダーボール作戦」(65年)のクレジットにはマクローリーの名前も入れられました。これで一旦は決着したかに見えました。



この問題が尾をひくのは、マクローリーのアイデアに、犯罪組織スペクターと、その首領ブロフェルドが含まれていたことです。他の作品にもスペクターやブロフェルドが登場したことにマクローリーは憤慨し、差しどめの要求が出され、「ダイヤモンドは永遠に」(71年)以降、スペクターとブロフェルドは登場しなくなりました。この問題で和解が成立したのは、なんと2006年でした。

※ドナルド・プレザンスが演じたブロフェルド

83年に公開された「ネバーセイ・ネバーアゲイン」は、マクローリーが、「サンダーボール作戦」をリメイクしたものです。EPとの約束で、10年間はマクローリーが映画化しないと決められていたので、10年を過ぎてから映画化の動きが始まったものです。しかし内容を巡って再びEPと訴訟になり、紆余曲折を経て完成しました。

※ネバーセイ・ネバーアゲインのポスター

ちなみに製作したのはタリア・フィルムで、本作の制作者ジャック・シュワルツマンの会社です。社名は妻のタリア・シャイア(ロッキー・シリーズのヒロイン、エイドリアンが有名)から名付けられました。それはともかく、ショーン・コネリーの復活で話題をさらったものの、同年公開の「007 オクトパシー」には興行成績で負けています。 

ユナイテッド・アーティスツへの売却

EPの共同プロデューサー、ハリー・サルツマンは007が娯楽要素を追求し、コメディ映画になっていたことに嫌気がさし、「黄金銃を持つ男」(74年)を最後にプロデューサーの降板を表明します。これはもう1人のプロデューサー、アルバート・ブロッコリにとっても寝耳に水の話でした。

※左からアルバート・ブロッコリ、ショーン・コネリー、イアン・フレミング、ハリー・サルツマン

ブロッコリは説得を続けますがサルツマンは耳を貸さず、それどころか自身が持つ映画化の権利をブロッコリではなく、映画スタジオのユナイテッド・アーティスツ(以下UA)に売却してしまいます。これにより007の映画化の権利は、EPUAの2社が保有することになりました。

これまでEPが主導してきた007は、UAとの共同作業になります。しかしUA80年の「天国の門」で記録的な赤字を計上し、倒産の危機に追い込まれます。そのUAを救ったのが、別の映画スタジオMGMでした。UAは吸収されMGM/UAとして再出発をします。しかしこれもMGMの資金難で、すぐに暗礁に乗り上げます。

※MGM/UAのロゴ

経営危機のMGM/UAを買収したのかが、ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS 現在のタイム・ワーナー)で、この時に多くの映画の版権が整理、移管されます。しかしTBSのメインバンクが、巨額の負債を抱えるMGM/UAの買収に難色を示し、買収から2ヶ月ちょっとでMGMの経営に関与していた投資家のカーク・カーコリアンに売却されてしまいました。さらにカーコリアンは、負債を返済するためにMGM/UAの資産をバラバラに、あちこちに売却していきます。 



この混乱で、多くの映画の版権が誰のものか不透明になってしまいました。もう問題は007シリーズだけにとどまらず、「ロッキー」シリーズ、「ポルターガイスト」シリーズなど約4000本の映画の権利も誰のものか曖昧になってしまったのです。特にTBSMGM/UAの間で、どの映画のどの版権をどちらが所有しているかが問題になり、双方の弁護士が多大な時間をつぎ込んで調整と交渉に挑みました。

この影響で、007シリーズは、「消されたライセンス」(89年)以降、6年間も製作されませんでした。EPは、サルツマンがUAに売却した半分の映像化権のために、映画の製作ができなくなったのです。95年に再びカーコリアンがMGM/UAの社長に就任し、権利問題の整理がついたところで、007シリーズもピアーズ・ブロスナンが登板した「ゴールデンアイ」(95年)から再開されました。

ソニーの参加

2004年に投資家のカーク・カーコリアンは、MGM/UAの株式20%をソニー主導の投資家グループに売却し、007の権利にソニーが参加します。ソニーはMGM/UAの大規模リストラなどを画策しますが、MGM側が大反発して独自路線を歩みだし、さらなる混乱が起こります。こうしたゴタゴタを経て2010年にMGMは破産し、「007 スカイフォール」(2012年)の公開が無期限延期という異常事態に陥りました。 

※カーク・カーコリアン

MGMの破産法申請の結果、スパイグラス・エンターテーメント(シックス・センスなどを製作した会社)の支援を受けて、再建することになりました。007シリーズは、借金だらけのMGMの再建のために、重要度を増しています。またこれに伴い、007シリーズのソニーの権利は「007 スペクター」で終了しました。 

次回作は、資金難のMGMは十分な資金が用意できないため、製作権を競売にかけることになっています。イオン・プロダクション(EP)とMGM、そして競売に勝ったスタジオが参加する予定で、複数社が名乗りをあげて権利の争奪戦が始まってるようです。

まとめ

ここまで振り返ると、イアン・フレミングの軽率な無断借用がなければ、スペクターの件で揉めたりしなかったと思いますし、サルツマンが一時の感情でUAに売却しなければ、製作が途絶えることもなかったと思います。しかし、これらの騒動により多くの人が参加して新しい血が流れ込んだことで、007が生きながらえた面もあるはずです。

ダニエル・クレイグの降板は回避されたようですが、クレイグがいつまでボンド役を続けるのかは不明です。次のボンド役が話題に上ることも増えてきました。人気シリーズだけに、まだまだ多くの騒動を巻き起こしそうです。


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