ネタ切れのハリウッド /人材が偏る弊害

アメリカの映画が、リメイクと続編だらけになってネタ切れが言われています。かつては斬新な企画を連発していたハリウッドが、コミックの実写や続編ばかりになってしまったのか?それを考えてみたいと思います。


50年代までの黄金期

エジソンの特許の締め付けから逃げるため、ニューヨークからハリウッドに逃げてきた映画人達は、身内で力を合わせてスタジオを設立していきます。以降、ハリウッドのスタジオは家族経営が中心になり、スタジオで働くにはコネが必要でした。全く知らないよそ者を仲間に入れることに、ハリウッドは慎重だったのです。

※映画「クレオパトラ」の失敗は20世紀FOXを倒産寸前に追い込みました

しかしテレビの波が押し寄せ、スタジオは危機にさらされます。自主規制だらけで家族揃って楽しめるハッピーエンドの物語に飽きた人々は、新しい娯楽のテレビに夢中になりました。テレビでは映画にない暴力描写や性描写があり、映画より刺激的だったのです。今では信じられないことですが、当時のハリウッド映画では、悪人は必ず逮捕か死ななければならず、銃で撃たれても血を流すことはできず、女性の裸体どころか男女が同じ平面で寝ることさえ自主規制で禁じていました。

アメリカン・ニューシネマの時代

映画産業の衰退がはじまり、倒産の危機を迎えたスタジオは自主規制の緩和をはじめます。すると緩くなった規制に合わせるように、映画「俺たちに明日はない」が作られました。ギャングのボニー・パーカーとクライド・バロウの人生を描いたこの映画は、女優の唇のアップ(これも猥褻という理由で禁じられていた)で始まり、主人公たちは警官を撃ち殺し、血が飛び散っていました。ワーナー社の社長ジャック・ワーナーは、この映画の良さを理解できませんでしたが大ヒットしました。

※映画「俺たちに明日はない」の一コマ

各スタジオはこれに続けと、従来のハリウッドの基準では猥褻で暴力的な映画を作ります。大抵はバッドエンドで締めくくられ、ハリウッドのお約束だったハッピーエンドは消えていきました。ベトナム戦争が深刻化する中、お気楽なハッピーエンドなど誰も興味がなかったのです。これらの映画はアメリカン・ニューシネマと呼ばれました。

外部からの流入

アメリカン・ニューシネマは大ヒットしますが、スタジオの重役たちは何が良いのかわからず、そのため自分たちで製作できませんでした。そこで各スタジオはこれまで招き入れることのなかった、外部の人達をスタジオに入れました。

※スピルバーグ(左)とルーカス(右)

スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスのようなオタクに、マーチン・スコセッシのような陰気な癇癪持ち、ドラッグに溺れていたデニス・ホッパーなどがハリウッドの大手スタジオに出入りするようになりました。他にもフランシス・フォード・コッポラ、ジャック・ニコルソンなど、従来ではスタジオに足を踏み入れることができなかった、怪しげな人物達がスタジオの映画製作に参加し、重役たちが全く面白くないと感じる映画を量産し、それが大ヒットする時代が続きました。

※映画「タクシードライバー」で有名なマ=ティン・スコセッシ

ハリウッドは外部の血を取り入れることで、新たに生まれ変わりました。新しい映画の時代の幕開けです。

マーケティングの時代

アメリカン・ニューシネマの人気は10年ほどで過ぎ去っていきました。アメリカン・ニューシネマがなぜ受け入れられたのか理解できないスタジオの重役たちにとって、今度は飽きられた理由もわかりませんでした。そこでマーケティングが行われるようになります。映画製作には莫大な費用がかかるので、リスクを減らすためにあらかじめマーケティングを行うことで大ヒット映画を手堅く作ろうとしたのです。

※「ロボコップ」の会議室は、映画会社の会議を模していると言われています。

その結果、マーケティングや分析を専門とする人たちが映画製作に口出しするようになりました。彼らは映画製作に関して素人でしたが、大衆の欲望を理解していました。根っからの映画人たちは、エリート大学を卒業した映画の素人たちにあれこれ指示されるのを嫌い、さまざまな衝突が生まれるようになります。ポール・バーホーベンは映画が会議室で製作されるようになったことを嘆き、ハリウッドでのデビュー作「ロボコップ」では、会議室をマシンガンで滅茶苦茶に破壊する場面を挿入します。映画人たちの苛立ちは増していきました。

インディペンデントの時代

マーケティング主導の映画作りを嫌った映画人が増えた頃、大手スタジオとは異なる小規模の独立系スタジオで映画を作る人が増えました。さらに若手映画人の登竜門として存在したサンダンス映画祭(ロバート・レッドフォードが始めたので、サンダンス・キッドの名前を冠している)に、多くの才能が集まるようになりました。独立系(インディペンデント)の映画が、2000年前後に一気に注目されるようになります。その先陣を切ったのはクエンティン・タランティーノでした。

※サンダンス映画祭

わずかな製作費で作られた「レザボア・ドッグス」は、倉庫の中でほとんど撮影されており、派手なアクションもCGもないながら巧妙な脚本で物語の面白さを存分に見せつけました。さらにロバート・ロドリゲスは「エル・マリアッチ」をほとんど一人で製作し、スタジオでリメイクした「デスペラード」が世界的ヒットになりました。ロドリゲスは自身が脚本を執筆し、監督を行い、演出や音楽も自分で行っています。極端に安い製作費で作る代わりにスタジオ側の口出しを最低限に抑えていました。

※レザボア・ドッグス


外部からの流入はなかった

サンダンス映画祭で注目された新進気鋭の映画人たちは、大手スタジオで映画を製作するよりもインディペンデントで自由に映画を作ることを望みました。そのためアメリカン・ニューシネマの時のように新たな人材がハリウッドの大手スタジオに入ることはありませんでした。

※ジェームズ・キャメロン

新たな血が入ることはなく新陳代謝はほとんど起らなかったため、70年代に監督デビューしたスピルバーグやルーカス、80年代にデビューしたジェームズ・キャメロンが今でも映画界の巨人としてハリウッドの中心に居座っています。アメリカン・ニューシネマの台頭で、それまでの映画人が一気に過去の人になったのとは大きく異なります。

リスクヘッジが目立つハリウッド

現在のハリウッドの中心はリメイクや、小説・コミックなどの映像化です。ヒット作が生まれればヒットしなくなるまで続編が作られ、観客が飽きるまで消費されつくします。すでにファンを獲得している小説やコミックの映像化は、最低限の売り上げが読めるのでリスクが少なく済みます。続編の製作も前作のファンが劇場に足を運ぶため、リスクが少なく済みます。



しかし元ネタになる小説やコミックも底を尽きはじめていて、バットマンやスーパーマンはリメイクのリメイクが行われていますし、日本の忠臣蔵までハリウッドが映像化するに至ってはネタ切れ感が目立ちます。このネタ切れは数多くの映画が様々なパターンを試してきたこと、斬新な企画へのリスクを嫌う体質、さらに脚本家がテレビドラマに流れているというのもあります。

まとめ

スピルバーグやルーカスが素晴らしい映画人なのは間違いないですが、70年代にデビューした彼らがメインストリームにいるというのは、いかに世代交代ができていないかという証拠だと思います。ハリウッドの閉鎖的な体質が問題なのか、映画という産業が限界にきているのかはわかりませんが、アメリカン・ニューシネマの時代のように新たな外部の血を入れなければ、この先も厳しいように思います。

厳密にはハリウッドにも新たな血が投入されています。アニメの分野ではCGのソフトウェアを作っていたピクサーが、「トイ・ストーリー」で旋風を巻き起こし、今ではディズニーの一部門としてディズニーアニメに大きな影響を与えています。またインディペンデント系の配給会社のミラマックスは、新たな境地を切り開きました。その設立者のワインスタインが、今やセクハラの極悪犯となっているのですから、なんとも暗い気分になってしまいます。


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