撤退などありえない
※こちらは以前の「はねもねの独り言」に書いていた記事です。 3月15日の早朝、東京電力を訪れた菅総理は福島第一原発の統合対策本部で、「撤退などあり得ない。覚悟を決めてほしい」と語ったと報じられました。この日の早朝には爆発音と火災が発生し、800人近くいた東電職員が約50名を残して撤退した日です。海外では残った職員をフクシマ50と称して驚きと賞賛が起こりましたが、日本では菅総理同様に撤退などありえないと考えた人が多かったように思います。 私のツイッターのタイムラインには、菅総理の言葉と東電に対する怒りの声が溢れました。「総理が始めてまともなことを言った」「胸がスッとした」という声も多く、これはブログを検索しても同様でした。またテレビでも解説者が同様な意見を語っているのをいくつか見ることができました。もちろん総理の発言に批判的な意見もありましたが、多くは肯定的な意見だったように思います。東電は原発を放り出すとは言っておらず、一時的に撤退をしただけなのにです。 話が飛びますが、昨年末からしばらくの間、太平洋戦争の前後に関する本を読んでいました。きっかけは東大の坂野潤治さんの本だったのですが、いろいろ読んでみて戦前から戦中にかけて連合国と日本では、コストに対する考え方が全く違っていると感じました。例えばパイロットは育てるのに時間がかかるうえに、高い費用もかかります。そのため英米では撃墜されようが故障で不時着しようが、パイロットにはとにかく生きて帰ってくることを求められました。 さらにパイロットが怪我をしないようにコックピットは分厚い装甲で覆われ、銃座を取り付けてパイロットが狙い打ちされないようにするなどの工夫がなされました。一方日本ではメーカーがパイロットを保護する装備を提案しても、源田実らに代表される「機械に頼る腰抜けを増やすだけ」という意見で否定されました。後にパイロットに特攻させるカミカゼまで行なうのですから、パイロットに対する考え方の差は歴然です。 これは陸軍でも同様で、戦線を突破されたら「おめおめと帰れるか」という意見が強く、撤退することなく最後の一兵となるまで戦い抜き、それができなかったら自害を求められていたようです。一方、連合国側では勝ち目がないほど劣勢に陥ったら捕虜になり、脱走を画策して敵を後方からかく乱することが求められました。捕虜...