暴動 /名作アルバム紹介07
ファンクの大ヒットメーカー、スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの代表作を1つ挙げるとなると、この「暴動」か「スタンド」で悩みます。ファンクミュージックを聴いたことがない人、初めてスライの音楽を聴く人に勧めるなら、間違いなく「スタンド」なのですが、後の影響も考えると「暴動」の方が名作ではないかと思って選びました。
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71年に「暴動」を発表してファンクに衝撃を与えますが、バンドは空中分解していき、メンバーの交代をはさみながら、細々と音楽活動を継続していきました。
多感な年齢を60年代のカリフォルニアで過ごしたスライは、ヒッピー文化の影響を受けていきます。泥沼化するベトナム戦争を背景に、愛と平和を訴え、フリーセックスやフリードラッグを文化とするヒッピーは、フラワーチャイルドとも呼ばれ、その自由な生き方にスライは傾倒していきました。当時は黒人解放運動も盛んでした。黒人の素晴らしさ声高に叫ぶブラック・パワー旋風が起こり、白人を敵視する黒人も多くいましたが、スライはブラック・パワーよりも愛と平和に傾倒します。
だから黒人と白人の混成バンドを作り、レコード会社の要請に応じてポップで楽しげな曲を多く作りました。そんなスライが、3日間ぶっ続けでコンサートを行い、愛と平和を祈るウッドストックで大人気になったのは当然のことだったと思います。スライのファンクは、ファンクの帝王ジェームス:ブラウンとは真逆の姿勢でした。そしてスライのファンには白人も多くいました。
急進的で武装闘争も辞さない彼らからの圧力は、スライにとって大きなストレスになっていきます。抗議はブラック・パンサー党からだけではなく、一部の黒人達からも出ていました。白人と組んで金を稼ぐスライは、彼らにとって裏切り者だったのです。抗議は日増しに激しくなり、スライは麻薬への依存度を高めていきます。それでなくても音楽的成功による、不安やストレスもありました。メンバー間にも、さまざまな軋轢が生まれていました。スライが麻薬中毒になるのに、さほど時間はかかりませんでした。
奇行を繰り返し、バンドのメンバーとも衝突を繰り返すスライはバンド内で浮いてしまい、スライと一緒にスタジオに入ることをメンバー全員が拒否しました。レコード会社との契約では、すでにアルバムを完成させていなければならないのですが、全く録音はされていませんでした。スライはスタジオに一人で篭り、録音を開始しました。
スライが持ち込んだドラムマシンに合わせ、スライ本人の演奏や友人達の演奏をオーバーダビングしていき、徐々に曲が出来上がっていきます。バンドのメンバーが参加しなかったこと、レコード会社からはなんでもいいから早く曲を作るように言われて干渉がなかったことなどがあり、よりスライがやりたかった音楽に近い形になりました。ドラムマシンの音は安っぽかったですが、そんなことは気にもしていなかったようです。こうして71年の秋に、完成したマスターテープがレコード会社に届けられます。
1.ラヴン・ヘイト
2.子供のように
3.ポエット
4.ファミリー・アフェア
5.アフリカは君に語りかける
6.暴動
B面
1.ブレイブ&ストロング
2.スマイリン
3.タイム
4.スペース・カウボーイ
5.ランニン・アウェイ
6.サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー、アフリカ
最も奇妙なのは、A面の6曲目に収録されたタイトルナンバーの「暴動」です。曲の時間が0分0秒と記されていて、何も録音されていません。この曲が示す意味については、長い間ファンの間で多くの考察がなされました。
これまでのスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンのアルバムとは全く異なり、暗くダークな雰囲気が漂うアルバムだったため、多くの人が戸惑いました。しかし陽気なファンクを暗くクールに表現した本作は、ビルボードトップ200で、初登場1位を獲得しました。
タイトルのThere's a Riot Goin' Onは、マービン・ゲイがその年に出したアルバム、What's Going onに対する返答だったとも言われています。
シンプルなサウンドをオーバーダビングで積み重ね、独自のリズムや揺れを表現した先進性は、80年代以降に生まれた黒人音楽、ヒップポップなどに色濃く影響を与えました。また80年代にファンクの最高峰と呼ばれたジョージ・クリントンは、この「暴動」のサウンドを解析していたようですし、同じく80年代にデビューしたプリンスも同様です。
スライ&ザ・ファミリーストーンを初めて聴くなら「スタンド」が最適だと思いますが、よりファンクを知りたくなったら「暴動」は外せないアルバムです。
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スライ&ザ・ファミリーストーンとは
スライ・ストーンは1943年に、5人兄弟の第二子としてテキサス州に生まれます。やがて家族がカリフォルニアに移住すると、弟のフレディや妹のローズやヴェッタとともにコーラスグループを結成しています。両親がミュージシャンだったこともあり、スライ・ストーンの家族は音楽活動を継続的に行なっていきます。さらにスライ・ストーンが高校でトランペッターになるシンシア・ロビンソンに出会い、バンドを結成しています。
その後、スライ・ストーンはラジオ局で働きながらレコーディング・プロデューサーを始め、本格的な音楽活動を開始しました。やがてスライはシンシアらとスライ&ザ・ストナーズというバンドを結成しますが、その頃弟のフレディは白人のグレッグ・エリコらとフレディ&ザ・ストーン・ソウルズというバンドを結成していました。この2つのバンドが合流し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンが結成されました。スライ・ストーンを中心としたファンクバンドで、7人編成の黒人と白人の混成バンドでした。
67年にデビューすると、68年にリリースしたセカンドアルバム「ダンス・トゥー・ザ・ミュージック」が大ヒットし、さらに69年にリリースした「スタンド」は300万枚以上のモンスターヒットになりました。その年には野外音楽フェスティバル「ウッドストック」に出演し、その人気は絶頂を迎えます。
71年に「暴動」を発表してファンクに衝撃を与えますが、バンドは空中分解していき、メンバーの交代をはさみながら、細々と音楽活動を継続していきました。
フラワーチャイルドとしてのスライ
黒人への差別が激しい南部に生まれましたが、家族がカリフォルニアに引っ越し、そこで音楽活動を始めました。弟妹と一緒にゴスペルを歌ったことに始まり、やがてバンド活動をするようになると、弟妹だけでなく友人達を巻き込んでいきます。多感な年齢を60年代のカリフォルニアで過ごしたスライは、ヒッピー文化の影響を受けていきます。泥沼化するベトナム戦争を背景に、愛と平和を訴え、フリーセックスやフリードラッグを文化とするヒッピーは、フラワーチャイルドとも呼ばれ、その自由な生き方にスライは傾倒していきました。当時は黒人解放運動も盛んでした。黒人の素晴らしさ声高に叫ぶブラック・パワー旋風が起こり、白人を敵視する黒人も多くいましたが、スライはブラック・パワーよりも愛と平和に傾倒します。
だから黒人と白人の混成バンドを作り、レコード会社の要請に応じてポップで楽しげな曲を多く作りました。そんなスライが、3日間ぶっ続けでコンサートを行い、愛と平和を祈るウッドストックで大人気になったのは当然のことだったと思います。スライのファンクは、ファンクの帝王ジェームス:ブラウンとは真逆の姿勢でした。そしてスライのファンには白人も多くいました。
「暴動」レコーディング前
次々にヒット曲を生み出したスライ&ザ・ファミリーストーンは、アルバム「スタンド」で絶頂を迎えました。明るく陽気なファンクは多くの支持者を生み出し、人種混成バンドの成功は新しい時代を感じさせました。しかしこの成功を嫌う人々がいました。黒人政治集団のブラック・パンサー党は、スライに対して白人を解雇して、より黒人らしい音楽を歌うように要求しました。![]() |
| ※ブラック・パンサー党 |
急進的で武装闘争も辞さない彼らからの圧力は、スライにとって大きなストレスになっていきます。抗議はブラック・パンサー党からだけではなく、一部の黒人達からも出ていました。白人と組んで金を稼ぐスライは、彼らにとって裏切り者だったのです。抗議は日増しに激しくなり、スライは麻薬への依存度を高めていきます。それでなくても音楽的成功による、不安やストレスもありました。メンバー間にも、さまざまな軋轢が生まれていました。スライが麻薬中毒になるのに、さほど時間はかかりませんでした。
奇行を繰り返し、バンドのメンバーとも衝突を繰り返すスライはバンド内で浮いてしまい、スライと一緒にスタジオに入ることをメンバー全員が拒否しました。レコード会社との契約では、すでにアルバムを完成させていなければならないのですが、全く録音はされていませんでした。スライはスタジオに一人で篭り、録音を開始しました。
レコーディング
スライはスタジオに設置してあるベッドに転がりながら歌ったりしたそうですが、やがてあらゆる楽器を演奏して曲を組み立てていきました。バンドのメンバーがスタジオに来ることを拒否したため、スライは友人らに電話して録音を手伝ってもらいます。呼ばれたビリー・プレストンは電子ピアノを弾き、アイク・ターナーはギターを弾きました。![]() |
| ※ビリー・プレストン |
スライが持ち込んだドラムマシンに合わせ、スライ本人の演奏や友人達の演奏をオーバーダビングしていき、徐々に曲が出来上がっていきます。バンドのメンバーが参加しなかったこと、レコード会社からはなんでもいいから早く曲を作るように言われて干渉がなかったことなどがあり、よりスライがやりたかった音楽に近い形になりました。ドラムマシンの音は安っぽかったですが、そんなことは気にもしていなかったようです。こうして71年の秋に、完成したマスターテープがレコード会社に届けられます。
収録曲
A面1.ラヴン・ヘイト
2.子供のように
3.ポエット
4.ファミリー・アフェア
5.アフリカは君に語りかける
6.暴動
B面
1.ブレイブ&ストロング
2.スマイリン
3.タイム
4.スペース・カウボーイ
5.ランニン・アウェイ
6.サンキュー・フォー・トーキン・トゥ・ミー、アフリカ
最も奇妙なのは、A面の6曲目に収録されたタイトルナンバーの「暴動」です。曲の時間が0分0秒と記されていて、何も録音されていません。この曲が示す意味については、長い間ファンの間で多くの考察がなされました。
これまでのスライ・アンド・ザ・ファミリーストーンのアルバムとは全く異なり、暗くダークな雰囲気が漂うアルバムだったため、多くの人が戸惑いました。しかし陽気なファンクを暗くクールに表現した本作は、ビルボードトップ200で、初登場1位を獲得しました。
タイトルのThere's a Riot Goin' Onは、マービン・ゲイがその年に出したアルバム、What's Going onに対する返答だったとも言われています。
影響
その後は麻薬に蝕まれて表舞台からスライは消えていきますが、本作は後の世代に大きな影響を与えました。ドラムマシンによる初期のヒットアルバムであり、本作からドラムマシンの可能性は大きく広がりました。無機質なビートが生み出す、人間が叩くドラムとは異なった雰囲気は一つの発見でした。![]() |
| ※ジョージ・クリントン |
シンプルなサウンドをオーバーダビングで積み重ね、独自のリズムや揺れを表現した先進性は、80年代以降に生まれた黒人音楽、ヒップポップなどに色濃く影響を与えました。また80年代にファンクの最高峰と呼ばれたジョージ・クリントンは、この「暴動」のサウンドを解析していたようですし、同じく80年代にデビューしたプリンスも同様です。
まとめ
スライ&ザ・ファミリーストーンは、明るく陽気なファンクを広め、「暴動」で暗くてクールなファンクを打ち出しました。これはファンクの新機軸になり、後の音楽に多大な影響を与えました。また人種の壁を打ち破ろうとしたため、人種の壁によって潰された感じもありますが、短い間に大きな足跡を残しました。後にスライは周囲の助力を得て音楽活動の舞台に復活しています。スライ&ザ・ファミリーストーンを初めて聴くなら「スタンド」が最適だと思いますが、よりファンクを知りたくなったら「暴動」は外せないアルバムです。
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ベガーズバンケット /名作アルバム紹介01
狂気 /名作アルバム紹介02
クリームの素晴らしき世界 /名作アルバム紹介03
テキサス・ハリケーン /名作アルバム紹介04
ライブ・アット・リーズ /名作アルバム紹介05
マジック・サム・ライブ /名作アルバム紹介06







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