テキサス・ハリケーン /名作アルバム紹介04
テキサス生まれの新進気鋭のブルースマン、スティーヴィー・レイ・ヴォーンが84年に発売したセカンドアルバムで、個人的には最高傑作だと思っています。いや、レイ・ヴォーンのアルバムはどれも素晴らしいのですが、このアルバムは心身ともに良好なコンディションで録音されており、レイ・ヴォーンのダイナミックさから繊細さまでが、ほとんど完璧に記録されていると思います。
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テキサスでは人気者だったレイ・ヴォーンが全米に名前を知られるきっかけになったのは、83年のデビッド・ボウイのアルバム「レッツ・ダンス」でした。デジタルなダンスナンバーで構成された曲に、泥臭いアルバート・キングのフレーズを弾きまくり、アンバランスながら絶妙な構成でした。ブルースの大御所アルバート・キングのようなギターを弾く男に注目が集まり、さらにボウイのツアー参加を断ったということで注目されました。
同年、アルバム「テキサス・ブラッド」でメジャーデビューすると、ゴールドディスクを獲得します。伝統的なブルースを独創的な解釈で、力強く泥臭く演奏するスティーヴィーは、他にはない独特のポジションを獲得していきます。そしてセカンドアルバムとして発売されたのが本作で、このアルバムでスティーヴィーの人気は決定的になります。しかし過度なプレッシャーやハードなツアーはバンドに大きなストレスになり、3枚目のアルバム「ソウル・トゥー・ソウル」を発売する頃には、メンバーの3人は麻薬中毒者になっていました。
4枚目のアルバムは麻薬によりスタジオワークが困難な状況だったため、ライブ盤になりました。しかしライブでの演奏も酷いありさまで、仕方なくスタジオでオーバーダビングを繰り返してなんとか発売にこぎ着けました。スティーヴィーのこれまでのアルバム3枚は、一発録りだったためスタジオ盤にも関わらずライブ感が満載のアルバムでした。ところがライブ盤はオーバーダビングをあちこちで繰り返して音を差し替えたため、最もライブ感がないアルバムになっています。
この後、スティーヴィーは深刻な麻薬中毒により入院し、リハビリを受けました。そしてフレッシュな体に戻ると周囲に麻薬の恐ろしさを説くなど、別人のようになったといいます。そしてアルバム「イン・ステップ」が発売され、ツアーも行われて復活を遂げました。以前より迫力のある演奏を届け、スティーヴィーはキャリアの絶頂にいました。そんな中、エリック・クラプトンやロバート・クレイらとともにアルパインバレー・ブルース・フェスティバルに出演します。
イベントは大盛況に終わり、スティーヴィーは恋人が待つシカゴにヘリで向かいました。そのヘリが墜落し、スティーヴィーは天に召されてしまいました。音楽界は悲しみに包まれ、大物ブルースマン達が次々に追悼の言葉を述べ、テキサスのあちこちに半旗が揚がったそうです。
2. Couldn't Stand The Weather
3. The Things (That) I Used To Do
4. Voodoo Chile (Slight Return)
5. Cold Shot
6. Tin Pan Alley
7. Honey Bee
8. Stang's Swang
1のScuttle Buttin'は豪快なインストゥルメンタルナンバーで、スティーヴィーが敬愛するテキサスのギターリスト、ロニー・マックを彷彿させます。強力なリフでグイグイ押していく曲で、スティーヴィーの曲といえばこれを思い浮かべる人も多いと思います。このリフが中指のスライドだけで弾いていることがわかった時は衝撃でした。
2はタイトルナンバーで、シングルカットもされています。4はスティーヴィーが敬愛するジミ・ヘンドリックスの有名なナンバーです。このアルバムは名曲揃いですが、特徴的なのは8のStang's Swangで、これはジャズナンバーです。ブルースやロックを中心に演奏していたスティーヴィーが、明らかにジャズに傾倒し始めた曲で、スティーヴィーの豊かな音楽性が垣間見えるようです。
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84年はMTVの時代
MTVが大人気で、ポップな曲が怒涛の勢いでリリースされた年でした。映画「フットルース」「ゴーストバスターズ」が公開され、それぞれの主題歌が爆発的なヒットを飛ばし、ヴァン・ヘイレンが「ジャンプ」を、シンディ・ローパーが「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン(ハイスクールはダンステリア)」をヒットさせていた頃です。そんな時代に本作はリリースされ、ブルースを基調とした泥臭いサウンドでヒットしました。※映画「フットルース」 |
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スティーヴィー・レイ・ヴォーンとは
テキサス出身のギターリストで、兄のジミー・ヴォーンもギターリストです。ブルースを中心にプレイし、黒人の伝統音楽に独自の解釈とブリリアントなサウンド、驚異的なテクニックで人気を博しました。テキサスでは人気者だったレイ・ヴォーンが全米に名前を知られるきっかけになったのは、83年のデビッド・ボウイのアルバム「レッツ・ダンス」でした。デジタルなダンスナンバーで構成された曲に、泥臭いアルバート・キングのフレーズを弾きまくり、アンバランスながら絶妙な構成でした。ブルースの大御所アルバート・キングのようなギターを弾く男に注目が集まり、さらにボウイのツアー参加を断ったということで注目されました。
※中央がデヴィッド・ボウイ |
同年、アルバム「テキサス・ブラッド」でメジャーデビューすると、ゴールドディスクを獲得します。伝統的なブルースを独創的な解釈で、力強く泥臭く演奏するスティーヴィーは、他にはない独特のポジションを獲得していきます。そしてセカンドアルバムとして発売されたのが本作で、このアルバムでスティーヴィーの人気は決定的になります。しかし過度なプレッシャーやハードなツアーはバンドに大きなストレスになり、3枚目のアルバム「ソウル・トゥー・ソウル」を発売する頃には、メンバーの3人は麻薬中毒者になっていました。
4枚目のアルバムは麻薬によりスタジオワークが困難な状況だったため、ライブ盤になりました。しかしライブでの演奏も酷いありさまで、仕方なくスタジオでオーバーダビングを繰り返してなんとか発売にこぎ着けました。スティーヴィーのこれまでのアルバム3枚は、一発録りだったためスタジオ盤にも関わらずライブ感が満載のアルバムでした。ところがライブ盤はオーバーダビングをあちこちで繰り返して音を差し替えたため、最もライブ感がないアルバムになっています。
この後、スティーヴィーは深刻な麻薬中毒により入院し、リハビリを受けました。そしてフレッシュな体に戻ると周囲に麻薬の恐ろしさを説くなど、別人のようになったといいます。そしてアルバム「イン・ステップ」が発売され、ツアーも行われて復活を遂げました。以前より迫力のある演奏を届け、スティーヴィーはキャリアの絶頂にいました。そんな中、エリック・クラプトンやロバート・クレイらとともにアルパインバレー・ブルース・フェスティバルに出演します。
イベントは大盛況に終わり、スティーヴィーは恋人が待つシカゴにヘリで向かいました。そのヘリが墜落し、スティーヴィーは天に召されてしまいました。音楽界は悲しみに包まれ、大物ブルースマン達が次々に追悼の言葉を述べ、テキサスのあちこちに半旗が揚がったそうです。
収録曲
1. Scuttle Buttin'2. Couldn't Stand The Weather
3. The Things (That) I Used To Do
4. Voodoo Chile (Slight Return)
5. Cold Shot
6. Tin Pan Alley
7. Honey Bee
8. Stang's Swang
1のScuttle Buttin'は豪快なインストゥルメンタルナンバーで、スティーヴィーが敬愛するテキサスのギターリスト、ロニー・マックを彷彿させます。強力なリフでグイグイ押していく曲で、スティーヴィーの曲といえばこれを思い浮かべる人も多いと思います。このリフが中指のスライドだけで弾いていることがわかった時は衝撃でした。
※兄のジミー・ヴォーン(左) |
2はタイトルナンバーで、シングルカットもされています。4はスティーヴィーが敬愛するジミ・ヘンドリックスの有名なナンバーです。このアルバムは名曲揃いですが、特徴的なのは8のStang's Swangで、これはジャズナンバーです。ブルースやロックを中心に演奏していたスティーヴィーが、明らかにジャズに傾倒し始めた曲で、スティーヴィーの豊かな音楽性が垣間見えるようです。
まとめ
私は熱烈なファンなので、冷静にこのアルバムを評価できないのですが、MTV時代のポップな空気の中で、泥臭いサウンドで直球勝負してヒットを飛ばした稀有なアルバムです。この後、スティーヴィーは重度の麻薬中毒になり、復活しますがヘリコプター事故で他界してしまいます。オリジナルアルバム4枚と、ライブ盤1枚しか生前にリリースされませんでしたが、その中でも本作は純度の高いアルバムだと思います。関連記事
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