名将 小川良樹の指導方法 /叱ってはいけないが褒めてもいけない

 下北沢成徳高校と聞いてピンとくる方は、バレーボールが好きな人でしょう。女子バレーの名門高校で、高校選手権、国体、高総体などの全国タイトルを14度も獲得しています。また木村沙織大山加奈荒木絵里香など日本を代表する選手を輩出したこともあり、高校バレーを語る際には外せない名門校でもあります。この名門高校を支えたのが小川良樹監督で、42年間の監督生活を今年で終わらせて勇退することを決めています。その小川監督の指導法は異質で独特なので、今回はその小川監督の考え方を書いてみたいと思います。


全員が平面にいるという考え方

小川監督の指導姿勢を端的に表しているのは、テレビ取材時の以下の会話だと思います。「小川先生は生徒を『教え子』とは呼ばないそうですね」と質問され、「はい、教え子はいません。仲間がいるだけです」と答えています。自分は生徒を上から教えるというのではなく、自分も同じ立場だと考えていて、「私も生徒も同じ平面上にいて、私は少し先にいるだけです」と語り、自分は生徒よりも経験値が違うだけと言います。


そして生徒を叱らないと同時に、褒めない指導法を実践しています。小川監督によると、叱るのも褒めるのも指導としては質が低いのだそうです。それは「叱る」とは相手を自分の思うように従わせる方法だからです。そして「褒める」とは能力のある人が能力のない人に下す評価のことです。どちらも上下関係を前提にした指導方法で、相手を上から見ているから叱ったり褒めたりするのです。こういった上下関係からは服従や反抗が生まれやすくなると言います。

小川監督によると、中学時代にスパルタ式に叱られてきた生徒はすぐにわかるそうです。何を言っても感情を殺して「はい」しか言わず、何を考えているのかがわからないそうで、自分の言葉で意見を言えるようになるのに1年ぐらいかかるそうです。小川監督は選手を上から見るのではなく、横から見ることで選手と同じ目線に立つようにしていました。

叱らない、罰を与えない、褒めない指導

小川監督が下北沢成徳の監督に就任したのは、1981年のことでした。指導経験が少ない小川監督がベテランの指導者に指導方法を尋ねると、女子は男子以上に厳しくやらなくてはならないと言われます。男子に比べて女子は依存心が強いので、時には手を上げても厳しくする必要があると言われたのです。そこで小川監督は選手ととことんまで追い詰める、スパルタ式の練習を行うようになります。

しかし成績は上がらず、小川監督は悩み続けます。どれほど厳しく指導しても成績が向上せずに苦しんでいる時に、名門中学の先生が下北沢成徳の練習を見学に来ました。その中学の先生は練習を見て怒り出し、生徒を怒鳴りつけて殴るだけなら今後は下北沢成徳には生徒を行かせないと宣言します。ある程度まで向上した成績が、それ以降は向上しないという現実に直面していた小川監督は、そこから本気で指導方法を見直すことにします。

また選手たちの中には「早く引退したい」という気持ちがあることを知っていました。大好きで始めたバレーボールを、早く辞めたいと思うようにしたのは自分の責任ではないかと感じていました。そして強豪校を真似て厳しい練習をしても結果が出ないなら、違うベクトルに向かうことにします。選手を追い詰めるのではなく、バレーボールを楽しいと感じてもらう環境づくりです。生徒が早く放課後にならないかとソワソワするようなバレーボール部を作り、ポジティブな考えを後押しできるようなチームを目指すことにしました。ですから叱らない、罰を与えないことに決め、さらにその過程で褒めないようになりました。上から選手を見ずに、同じ高さの視線で横から見ることにしたのです。

監督の忍耐力が試される指導法

厳しく叱る指導から、叱らない指導に変えてからは我慢の連続になったようです。上から教えるのではなく自分達で考える環境を作っても、選手に自ら気づかせるのは時間がかかり、口を挟みたくなることが多かったといいます。そしてこの指導法で最も重要だったのは、小川監督自身のマインドの変化です。

「命令して人を動かす気持ちがあると、言ってやらなければ『なんでやらないんだ』、できなければ『なんでできないんだ』と追い込んでいき、体罰とか強い叱責につながっていきます」と語りますが、生徒より経験豊かな自分が人を動かしたり指導するという気持ちから、みんなで一緒に考えるようにするのは、かなり大きな気持ちの変化が必要だったはずです。時には間違った方向に全力で進む生徒もいたでしょう。それを叱って矯正するのではなく、本人に気づかせるのは我慢の連続であり、ストレスもかなりあったはずです。

こういったやり方は、東福岡高校ラグビー部で監督を務める藤田雄一郎氏にも通じるところがあります。藤田監督もかつては怒号を飛ばして指導していましたが、ある時から考えを変えて、生徒に考えさせるようになりました。練習メニューは生徒が考えて監督に提出し、それを実施します。上手くいかなければ、生徒だけでミーティングをしてメニューを練り直します。藤田監督はアドバイスをすることはあっても、基本的に口を挟みません。

※藤田雄一郎

小さな成功体験の積み重ねが、選手のやる気と自信を引き出すと言う藤田監督は、上手くいかない練習は中止させています。できないことはやらないという一風変わった考えで、選手自身が考えていくことを最も重視しています。高校ラグビーで圧倒的な強さを誇る東福岡は、常に選手が考えて小さな成功を重ねることで勝利を重ねることに成功していますが、この藤田監督も監督の仕事について忍耐力が必要だと言っていました。

コミュニケーションの重要性

小川監督は選手に考えることを求めましたが、その入り口は会話でした。「人間は言葉にできないことは、考えることもできない」と言い、生徒には「考えるために言葉にしていこう」と話すそうです。相手が監督であっても上級生であっても、思ったことを素直に話す重要性を繰り返し訴えていき、上級生にも後輩なのに生意気だと思うのではなく、同じコートの中に自分にはないことを感じている選手がいることを受け止めるように求めていきます。

この話は2014年に日立からフランスのRCカンヌに移籍した江畑幸子選手を思い出させます。江畑選手は12年のロンドン五輪の銅メダル獲得の立役者の1人であり、日本屈指のアウトサイドヒッターでした。しかしカンヌに移籍すると環境の変化に戸惑い、慣れないフランス語の会話につまづき、本来の力を発揮できないでいました。そんな江畑選手にカンヌの監督は、もっと声を出して欲しいと言っていました。

※江畑幸子

キミの能力の高さは知っている。だから来てもらった。だけどキミが何も言わないので、何を考えて何を望んでいるのか誰もわからない。僕らを信用して、もっと意見を言ってくれ。監督がそう訴える場面が、テレビ取材のカメラに映っていました。やがてフランスに馴染んできた江畑選手は、慣れないフランス語でチームメイトに話しかけるようになり、冗談も言い合えるようになった頃、チームの貴重な得点源になっていきました。

上から言われて「はい」と返事をするだけでは、チームは活性化されないし、問題も放置されたままになる。小川監督が求めたのは、相手が誰であっても自分が感じたことや意見を言える選手でした。だから誰もが発言できるような環境を作ることに注力していきました。

ノーと言える選手

2000年に下北沢成徳高校バレー部に、強力な新入生が2人も参加しました。後に全日本を支えることになる荒木絵里香と大山加奈です。荒削りだが抜群の身体能力を持つ荒木選手と、小学校でも中学校でも全国制覇を成し遂げて高いスキルを持つ大山選手の入学は、下北沢成徳の黄金期を予感させるものでした。そして荒木選手には小川監督はとても助けられたといいます。

※大山加奈

荒木選手はコートの中では闘志をむき出しにしてチームを叱咤し、ミーティングでは監督に対してもハッキリとノーを言ったそうです。「それは違います」と言う荒木とは、その度に話し合いを重ねていくことになります。小川監督が望んでいる、自分の考えを素直に口に出して選手が自分で考えるチームが実現していきました。

※荒木絵里香


2人がチームを引っ張るようになると下北沢成徳は圧倒的な強さを見せつけるようになり、インターハイ、国体、春高バレーの三冠を手にしました。小川監督の指導法が身を結び、下北沢成徳が高校バレーを席巻したのです。その後、高校生の頃から全日本に選出された大山選手は2003年のワールドカップ、2004年のアテネ五輪に出場して全日本の大砲として活躍しました。荒木選手はアテネ五輪には選出されなかったものの、その後は全日本の常連となり北京五輪、そしてロンドン五輪では主将として銅メダルを獲得しました。

関連記事
日本女子バレー最大級の逆転劇 /リオ五輪最終予選2016

強豪校にしかできないという批判

小川監督や東福岡の藤田監督の指導法は、全国から選りすぐりの選手が集まる強豪校にしかできない指導法だという批判があります。現在でも生徒を縛り付け、怒号で脅すようにして指導する学校は多くあります。また暴力も容認する人も多く、「昔はもっと激しかった」と肯定する意見も根強くあります。大原則として体罰は学校教育法で明確に禁止されており、それは明治12年の教育令から一貫して変わっていません。この話は別に書いたことがあるので、リンクを貼っておきます。

関連記事
なぜ体罰は禁止になったのか

暴力までいかなくとも、小川監督のように叱らない、罰を与えない、誉めないという指導法は簡単ではありませんし、新入生に競技のルールから教えないといけない弱小高校には大変だというのもわかります。強豪校は中学校時代から基礎練習をたっぷりしている選手が集まるのに対して、弱小高校には完全な初心者が多いからです。また指導者が新しい指導法を学ぶ場がないという問題もあるでしょう。

しかし生徒を追い詰めるばかりの練習が、生徒の楽しみを奪っている面も無視できません。下北沢成徳と並ぶ強豪校の共栄学園出身の益子尚美さんは、いつバレーを辞めるかばかりを考えていたと言っていました。全日本を支える逸材と期待されながらバレーボールが苦しくて仕方なく、華々しい活躍をしながら25歳で引退しています。才能に恵まれ、その世界で成功したにも関わらず、早く辞めたいと思うほど苦痛なのは悲劇と言えるでしょう。

※益子直美

以前にも書きましたが、将来的に社会人リーグやプロリーグの試合を見にきてれる可能性が高いのは、学生時代に競技を経験した人達です。スポーツ観戦にはルールを知っているか否かが大きな壁になりますが、経験者ならルールを知っているだけでなく駆け引きなども楽しめるからです。しかし学生時代に勝利の美酒を味わうこともなく、ただ怒鳴られ殴られ苦しい思いをしただけなら、卒業後にお金を払ってまで見に行こうとは思わないでしょう。競技の楽しさや面白さ、その内側に変え難い興奮が詰まっていることを学生時代に知ることができるかどうかで、その後のファン層が変わってくるはずです。確かに現状では小川監督のような指導法を真似するのは大変でしょうが、ファン層を広げる意味でも少しでも広まってくれたらと思います。

関連記事
スポーツが子供に夢を与えるより大切だと思うこと

まとめ

学校の運動部で生徒への暴行が発覚するたびに、殴るのはいけないという意見が出ますが、ではどうすれば良いかという話はあまり聞きません。その答えを持っているのが下北沢成徳の小川監督であり、東福岡の藤田監督です。42年間にわたり下北沢成徳を強豪校として支えてきた小川監督の指導法は、もっともっと知られるべきだと思います。そして小川監督のような指導法が広がると、日本のスポーツを取り巻く環境は今とは全く違ったものになると思います。


コメント

このブログの人気の投稿

アイルトン・セナはなぜ死んだのか

私が見た最悪のボクシング /ジェラルド・マクレランの悲劇

はじめの一歩のボクシング技は本当に存在するのか?

バンドの人間関係か戦略か /バンドメイドの不仲説

鴨川つばめという漫画界の闇 /マカロニほうれん荘の革命