護身術を語った老兵 /逃げるが勝ちの大事さ

94年、未成年グループが起こした連続リンチ事件は、当時は大きな衝撃を与えました。大阪、愛知、岐阜にまたがり、不良少年グループが無軌道にリンチと殺人を繰り返した事件で、ほとんど理由もなく殺された人も含まれていました。殺害されたのが10代から20代だったため、若い人達の間に警戒心が生まれていたように思います。今回は、その頃の話です。

護身術を習おう

私が所属していたバイクチームのツーリングの時にも、この事件の話題が出ました。中にはすぐ取り出せるところにスパナを隠しておこうかなどと言い出す者もいて、なんとも物騒な会話が続きました。なにせ目をつけられたら一方的にケンカを売られ、リンチの挙句に殺害してゴミのように捨てて次の獲物を物色すること集団がいたという事実は、あまりにインパクトが強かったのです。この年には地下鉄サリン事件も起こっていて、とにかく物騒な世の中になったという雰囲気もありました。



そんな話の中から、私の友人のマイクというアメリカ人に護身術を習いたいと言う者が出てきました。「マイクさんはアメリカの兵隊だったんでしょう?いろいろ知ってそうじゃない」と、みんなが口々に言い出して、私がマイクに相談をすることになっていました。私がみんなにマイクを紹介した時に、元不良少年の中には「ニコニコしてるけど凄みがある」と感じている者もいましたし、ちょっとしたケンカの仲裁をマイクがした時に、多くの人が只者じゃないと感じていたのです。

マイクという変な外人

アメリカ人の友人の紹介で、私はマイクと知り合いました。マイクを紹介したのはマイクの息子の奥さんの弟にあたる人物で、彼は日本に住んで仕事をしていました。マイクは息子が経営する、雑貨などを輸入すること会社を手伝っていて、たまに日本に来ていたのです。

※ベトナムの海兵隊員


マイクは元海兵隊員でした。ベトナム戦争にも従軍し、各国の戦地に出向いています。出世してデスクワークが増えるよりも現場を好んだと言っていましたが、とにかく出世とは無縁のまま退官して息子の会社を手伝っていたのです。在日米軍基地にいた時に、日本の文化を好きになったそうで、孫のお土産にキティちゃんの人形を買いにサンリオショップで大はしゃぎする陽気なアメリカ人です。当時は60歳くらいでした。

いつもニコニコしていましたが、それは目つきが鋭いのを誤魔化すためだったように思います。身長は170cmちょっとですが、60歳になっても筋肉質で、長年の日課であるトレーニングは欠かさないようでした。初めて会った時から、1年で片言の日本語も話せるようになり、常にジョークを言って周囲を笑わせようとしていました。

マイクに護身術の先生をお願いした

みんなが集まる店にマイクを呼び、理由を話してみんながマイクに護身術を習いたいと言っていることを伝えました。マイクの答えはシンプルで「ダメ、オシエナイ」でした。理由を尋ねると、覚えると使いたくなるからと言います。みんなは口々に暴漢に会った時にはどうするんだと言うと「ニゲロ」と言いました。



しかし血気盛んな10代から20代のメンバーは、あーだこーだ言ってマイクにねだります。彼らも簡単に引き下がりません。ややうんざりした感じのマイクは「大事な話だから真剣に話したい。通訳してくれ」と私に言って、英語で話し始めました。こうして私の拙い通訳で、マイクが護身術を教えない理由を語り始めました。

マイクが語った理由1

このような連続殺傷事件では犯人は凶器を持っていて、最初から暴行するつもりで接触してきています。さらに薬物(シンナーやアルコール)を常用しているケースも多くあります。そんな相手が複数で、ふいに声を掛けられ殴られたりするのですから奇襲攻撃を受けるようなものです。奇襲を受けて勝てるのは、相手より圧倒的な戦力がある場合だけです。相手を片手で捻りつぶせるぐらいの力の差がないと、どうにもならないと言います。

軍隊ではSurprise Attack(奇襲)を受けたら、一旦は退却すると言います。だからマイクは、立ち向かおうとせずに逃げろと言います。突然犯罪に巻き込まれるのは奇襲を受けたのと同じで、戦うにしても退却して態勢を立て直さないと勝てないそうです。少しぐらい護身術を習ったところで、圧倒的な戦力差を生むことは無理で、ましてや習った護身術は使いたくなるので、最初から知らない方がいいと言います。

マイクが語る理由2

相手を片手で捻りつぶせるくらいの力があっても、やはり狂暴な暴漢と戦うのは危険だと言います。それは覚悟がないからだそうです。相手は薬物で痛みを感じていないかもしれないし、そもそも遊び半分に人を殺すような人物です。そんな相手に対峙するには、こちら側にも覚悟がいるとマイクは言い切ります。

アメリカでも傷害などの事件現場に居合わせた人が、犯人を取り押さえる時に怪我をしたり殺されたりするケースがあるそうです。相手を殴り倒して戦意が喪失したように見えても、ナイフを取り出して襲ってきたりすることがあるのです。それに相手は興奮状態なので、ちょっとやそっとじゃ相手を押さえつけることができないそうです。

マイクは立ち向かうなら、相手を殺す覚悟がいると言います。殴って相手が倒れたら、完全に動かなくなるまで頭を蹴り続けなければいけないし、首を絞めるなら意識を失ってからも締め続けないと、どんな反撃にあうかわからないと言います。「人を殺すなんてできないよ」とみんなが言うと、「ならば逃げるべきだ」とマイクは言いました。

マイクも逃げるの?

私が「マイクの大事な大事なお孫さんが襲われていたら、どうするの?」と質問すると、その時はマイクも覚悟を決めると言います。「まず孫を連れて逃げる方法を考える。無理なら相手に気づかれないように後ろから石で頭を殴る」と言います。

私が「That’s a trick(卑怯だ)」と言うと、「相手はイカれてるんだぞ。どんな手段を使っても孫を守るんだ」と胸を張ります。「銃があったら背中から撃つ。ナイフがあったら後ろから刺す。卑怯?男らしくない?なんとでも言ってくれ。私は孫を守ることができれば満足だ」



戦地での実戦経験があるマイクが言うと、本当に相手を殺しそうな凄みがありました。卑怯者と言われる覚悟、相手を殺す覚悟、それらの覚悟がなければ逃げるのがベストで、護身術を習う時間があるならランニングをして体を鍛えろというのがマイクの主張でした。全力で3分間も走れるようになれば、大抵の人は追いつけないと言います。後に私は全く別の人から、最も有効な護身術は800メートル走という話を聞きましたが、マイクの話とほとんど同じでした。

関連記事:最も実用的な護身術・・・それは中距離走

まとめ

とりあえず、逃げるというのが最も正しい対処法のようです。マイクは、まず危険なところに行かないとか、危ない相手を見ないとか、そういったことに気をつけるように言っていましたが、説得力がありました。この話を思い出すたびに、ジョギングでも始めようかと思ってしまいます。

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