運転に自信がある人は間違いなく下手くそだ /無事故無違反は関係ない

自動車の運転に自信があるかと問われ、自信があると答えた人はほぼ運転が下手です。そして自信がある根拠として「◯年以上運転している」とか「◯年間無事故無違反だから」と言う人は、もう間違いなく下手くそです。車の運転技術なんて、1年間で上手くなる人もいれば30年間下手くそな人もいます。何年運転したかや無事故無違反が何年続いたからなんて、運転が上手いか下手かにはなんの関係もありません。今回は、自動車運転について書いてみます。



技術進化で下手な人でも運転できるようになった

急カーブにスピードオーバーで進入すると、ハンドルを切ろうとしても車は直進しようとするためハンドルを切れません。そこで慌ててブレーキを踏むと速度が落ちたのでハンドルが切れ始め、直進運動を続けようとする車のタイヤが横を向くので車体が外側に流れ始めます。車のコントロールができなくなり、何もできないままガードレールにぶつかるのです。

ところが現状は違います。同じ場面でもパワーステアリングがあるので、ハンドルは簡単に切れてしまいます。流れるはずの車体はトラクションコントロールによって安定し、急なブレーキを踏んでもABSによってタイヤがロックすることもなく、車は揺れたりするもののガードレールに突っ込まずにカーブを脱出します。技術の進化は下手な人でも難なくカーブを曲がれるようにし、またデタラメな速度で進入しても事故を起こすことなく曲がれるようにしました。

※ABS

本来は運転手の未熟さを車が全力で補って曲がってくれているのに、運転手は自分の技術だと錯覚するようになりました。そのためさらに無茶な運転をして、車が補う能力の限界を超えると制御不能になり、未熟な運転手はなす術なく事故を起こすのです。現在、カーブなどで激しく揺れる運転をする人を「運転が荒い」と言いますが、1960年頃の基準に合わせるなら、すぐに免許を取り上げるべきド下手くそな運転手になるでしょう。車の性能が上がったので、下手でも運転できるようになったのです。

カーブはどうやって曲がるのか

カーブの入り口で必要なだけスピードを落とし、カーブの曲がり肩に応じてハンドルを切ってアクセルを踏みながら曲がっていくのが理想的とされています。多くの人がハンドルを切りながらブレーキを踏んでいますが、本来はブレーキとハンドル操作を同時に行うのは高等テクニックですし、レースならともかく一般道ではデメリットばかりになります。


またカーブを曲がっている最中に、アクセルを戻すのも危険です。アクセルを戻すとエンジンブレーキがかかり、ブレーキを踏んでいるのと同じになるからです。直線でブレーキを踏んで一発で速度を殺し、ハンドル角を一発で決め、アクセルを踏みながら曲がっていくという一連の動作がスムーズにできると、車は横に揺れることもなく車体は安定してスッと曲がっていきます。しかしこんな運転をしている人を見かけるのは皆無ですし、私も上手くできないことがよくあります。

ハイテクがなく車が全く補助してくれない旧車に乗ると、このように曲がらないと車体が不安定になるだけでなく、曲がりにくくて疲れます。しかしスムーズな操作で車の運動エネルギーを進行方向に上手く伝えられると、とんでもなく滑らかに車は曲がっていきます。旧車のファンは、こういった手応えを楽しんで「運転が面白い」と言っているのです。

運転への過信

未熟な運転技術にも関わらず、技術の進化によってなんとなく運転できるようになり、それを自分の技術だと過信する傾向が強まっています。

MS&AD基礎研究所の調査によると、80歳以上のドライバーの72%が運転に自信ありと答えたことが話題になりました。しかし全世代で、自信があると答えた人が異常に多いように思います。



◯運転に対して「自信がある」
20~29歳:49.3%
30~59歳:40.0%
60~64歳:38.0%
65~69歳:51.3%
70~74歳:60.7%
75~79歳:67.3%
80歳以上:72.0%

このような結果を受け、高齢者になるほど運転技術に自信を持っていることが問題視されました。これは運転の経験年数に比例して、自信を高めていると予想されます。しかし上記のように、向上しているのは運転手の技術ではなく自動車の技術です。車を如何にコントロールするかを意識して運転している人が少ない中、これだけ自信を持っている人が多いのは、全世代を通じてかなり高い過信があるように思います。

運転に意識を集中させない設備

自動車の進化は、運転手の集中力を奪いました。当初は運転席にラジオがつく程度でしたが、カーステレオが搭載され、カーナビがつくようになります。以前は道順を頭に入れてから運転していたのですが、カーナビの音声と画面に神経を使うようになります。さらにテレビまでつくようになると、運転に集中させないようにできているかのようです。


古くから「ラジオのチャンネルを変えようとして前を見ていなかった」という事故はありますが、今ではチャンネルを変えるタイミングだけでなく、運転手の意識を常に奪うような装備で満たされるようになりました。そこに近年はスマホが加わり、運転以外のことで意識がいっぱいのドライバーが増えたとしても驚かない状況です。

事故にあわないのは単なるラッキー

こうして大部分の運転手が、運転技術が未熟なうえ、運転に意識を集中させなくなりました。そこで出てくるのが「だろう運転」と呼ばれるものです。「相手が止まってくれるだろう」「相手が減速してくれるだろう」「歩行者が待ってくれるだろう」「横から人や自動車は出てこないだろう」という自分勝手な推測の元に運転するのが「だろう運転」です。最近でも「直進車は来ないだろう」という勝手な思い込みで目視をせずに右折し、直進者にぶつけて保育園児をひき殺す事件がありました。



〇〇年間無事故だから運転に自信があると言う人がいますが、たまたま周囲の人が事故を避けてくれたケースも多いはずで、事故にあわなかったから運転が上手いというのは、妻に毎日掃除をさせて「俺は家をきれいに使っている」と自慢する亭主よりもたちが悪いのです。F-1レーサーだった中嶋悟氏は、無事故や無違反を理由に運転に自信があると言う人にキレたことがあります。自動車の挙動について圧倒的な経験と知識を持つ中嶋悟氏にとって、「運転に自信がある」という一言は、とんでもなく傲慢な言葉に感じたのだと思います。

関連記事:「事故にあわないのは運が良かっただけ」中嶋悟の教え

何年運転しても運転技術は向上しない

補助輪付きの自転車に何年乗っても技術が向上しないように、自動車の補助装置に頼り切った運転をしていては上達しません。自動車の技術は年々向上しているので、自分が上手くなった気がするだけで、普段から気を付けて運転しなければ上手くはなりません。なんとなくエンジンをかけてなんとなくハンドルを切っても車は運転できますが、そんなことを何年続けてもなんら上達はしないのです。


1年間でも運転に注意を払い、車の挙動や動静に気を使ってコントロールする運転を繰り返せば上達しますし、なんとなく30年間車を走らせても全く進歩はないのです。

そもそも上手い人は自信があるなんて言いにくい

車の運転に限らず、上手い人は自分で上手いと言ったり自信があるとは言いにくいものです。上手い人は自分と上手い人の違いを知り、その差を埋める努力をしてきたから上手くなったのです。何事でも上手にできる人は、上級者と自分との違いや距離を把握しています。

どんなに上達しても上には上がいることを知るので、自分はまだまだだと思います。「自分は上手い」「自信がある」と言う人は、もっと上手い人を知らず、だから向上する余地がなく進歩が止まっているのです。ですから大事なのは自信を持つことではなく、自分のレベルや位置を知ることなのです。

まとめ

自動車で道路に出ると周囲は運転が下手な車で溢れ、しかも下手な運転手がカーナビやテレビを見て注意散漫なまま運転しています。事故にあわない方が難しい状況で、たまたま運が良かったから事故に合わなかったと思う方が良いように思います。どんなに注意しても、しすぎることはないように思います。

運転の上手さは何年運転したとか、無事故というのは全く関係ありません。それは運が良かったからに過ぎず、周囲に感謝するべきことだと思います。運転に自信を持つというのは、危険なことで自分が下手だと認識すれば、無理な追い越しや無理なスピードで走る人も減るでしょう。自動車の運転は楽しいことですが、自分の腕を過信すると悲惨な結果が待っているかもしれません。




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