「事故にあわないのは運が良かっただけ」中嶋悟の教え

身勝手な自動車の運転による、悲惨な事故が絶えません。そこで今回は、車の運転についての話です。元F1レーサーの中嶋悟は、安全運転に関する講演を定期的に行っているのですが、その中で印象的だった話を書いていきたいと思います。


キレた中嶋悟

現役の頃にNHKの番組に出演し、安全運転について話をしていました。その中でゲストの一般男性が「私は免許をとってから10年以上になり、10万キロ以上走って無事故無違反なんです。なので事故にあわない自信はあるんですが・・・」と言いました。この話の途中に中嶋は口を挟みました。



「なんで自信があるんだよ!」

それまで穏やかな表情で話していた中嶋が、険しい顔になっていました。

「俺なんか1年で10万キロ走ってるよ。10年で100万キロだよ。それでもこのスタジオから帰る道で、事故にあうかもって思ってるよ。自信なんか全然ないんだよ!」

ゲストの男性は恐縮し、アナウンサーが慌てる中で、中嶋は冷静になり言いました。
「よく事故にあった人が『運が悪かった』って言うじゃないですか。違うの。運が良かったから、今まで事故にあわなかっただけなの」

司会者が思わず姿勢を正してしまうほど、この時の中嶋には迫力がありました。中嶋は車や運転への過信を激しく嫌います。自動車の全てを知り尽くし、全ての挙動を把握しないと気が済まず、全てにおいて用心深いからこそF1に辿り着いた人物だからです。

中嶋悟とは

1953年、愛知県岡崎市に4人兄弟の末っ子として生まれます。実家は農家で、何もないけど土地だけは広かったといいます。運動が苦手で小柄だった中嶋は、小学生の時にオートバイに乗って感動したといいます。かけっこでは誰にも勝てないけど、オートバイに乗れば走るよりも何倍も早く走れることを知った中嶋は、オートバイや自動車に強い興味を持つようになりました。

高校に入るとレーシングカートをはじめました。初めて参加したレースでは、マフラーがエンジンに引っかかって首が締まりそうになったり、先行する車と周回遅れがごちゃ混ぜになってわけがわからないままゴールしました。アナウンスで自分が優勝したことを知ると、中嶋はレースにのめり込んでいきます。18歳になると同時に運転免許を取得し、親に中古のフェアレディZを購入してもらって1年間で10万kmを走り込みます。ガソリンスタンドでアルバイトし、そこで得たお金は全て車とレースに消えていきます。成人式を迎える頃には、700万円の借金があったそうです。

借金もこれ以上できなくなり、資金が底をついてレースをやめようかと考えていた頃、ヒーローズレーシングへの加入が決まり、ここから本格的なレーサーとして戦うことになります。1977年にはFJ1300でシリーズチャンピオンを獲得し、78年には全日本F2に参戦しつつイギリスF3にも参戦しました。さらにチームを移籍して82年には全日本F2選手権でシリーズチャンピオンを獲得、同時にヨーロッパF2にも参戦します。この頃からF1のテストドライバーも初めていますが、ヨーロッパでの挑戦は資金難のために何度も挫折することになりました。

86年には国際F3000にエントリーしますが、シーズン中盤にロータスからF1デビューすることが決まります。こうして34歳にして日本初のフルタイムF1ドライバーとなった中嶋は、91年までF1で戦い続けることになります。最高位は4位で、ファステストラップも記録しています。

F1時代しか知らない人は、いつも下位に低迷していたイメージが強いでしょう。しかし全日本F2選手権時代は向かうところ敵なしのドライバーで、後にF1で再会するティエリー・ブーツェンは「いつもナカさんには完敗だった」と語ります。



険しい表情と鋭い眼光で周囲を見渡し、寡黙なレーサーでした。勝っても満足せず、常に上のステージを見ていました。「いつかはF1に乗る」と公言して、笑われてもいました。当時のF1のドライバーは20人程度で、国際自動車連盟の加入国150カ国の中から、一握りしか参加できませんでした。

「国家元首なら1カ国に1人いるだろ?F1ドライバーは世界で20人しかいないんだ。総理大臣になる方が、遥かに簡単なんだよ」

※ネルソン・ピケのセカンドドライバーでした。

そう言われ続け、それでもヨーロッパF2に参戦し、ホンダのテストドライバーの地位を得て、チャンスを掴みました。日本人として初めてフルシーズンF1に参加した、パイオニア的存在です。

超人的な感性

鈴鹿サーキットを走った中嶋が「コースで蛇を轢いちゃった。蛇も緊張するんだね。さっきの蛇は固かったもん」と言い、それを聞いた記者がそんなことがわかるのかとアイルトン・セナに尋ねると「サトルや僕にはその感じがわかるんだ」と、真顔で答えられたそうです。

※ロータスではアイルトン・セナがパートナーでした。

バックミラーに映るリアタイヤの変形の仕方でシャーシのバランスを把握し、わずかな異音や振動も察知するので、メカニックからは「特別なセンサーでも持っているのか?」と言われたほどです。その敏感さがテストドライバーとして重宝され、F1ではマシン開発に貢献しました。


注文の仕方が違う

多くのF1ドライバーは、メカニックに「アンダーステア(ハンドルを切っても思ったより曲がらない現象)が出るから、なんとかしてくれ」とか「コーナーの立ち上がりでもたつく」といった注文を出します。メカニックはそれを聞いて原因を特定し、整備をします。

※メカニックは最大のパフォーマンスを発揮させます。

しかし中嶋の注文は「フロントウイングを3ミリ寝かせてくれ。そうすれば、あと0.2秒は縮められるから」と、恐ろしく具体的だったそうです。そしてきっちり0.2秒縮めてくるので、教えを乞うメカニックが多かったといいます。

※ケン・ティレル

何人ものF1ドライバーと関わってきたケン・ティレル(元F1レーサーでティレルチームのオーナー)は、中嶋を「彼こそ真のプロフェッショナル」と賞賛を惜しみませんでした。「ポイントを稼ぐだけのレーサーなら他にもいる。しかしナカジマは、それ以上のものを与えてくれる」と語り、自身の後継者にしようとしました。

用心深さは車の怖さを知っているから

中嶋はレンタカーを借りる際に、必ず点検を行うのだそうです。ストップランプやウインカーの不具合の有無に始まり、ブレーキの効き方もチェックしてから走らせると言います。わずかな挙動を敏感に感じ取れる中嶋は、車の癖を把握してからでないと運転するのが怖いと言います。

※趣味はドライブです。

「ラテン系のドライバーには命知らずな奴もいてさ、公道でもぶっ飛ばしていくの。だけど大抵はF1まで上がれないね。その前に怪我したり死んじゃったりするから」

笑い話のように語る中嶋は、車を知り尽くしているからこそ、車の怖さを誰よりも知っているのでしょう。

まとめ

現代の車はコンピュータで制御され、かなり無理なコーナリングでも車が挙動を制御して曲がってくれます。これをドライバーの腕によって曲がれたと勘違いし、さらに無理なコーナリングを試して車が限界を超えると、ドライバーにはどうすることもできなくなります。ドライバーの腕ではなく、ムチャな運転を車に助けられていたことに気づかない不幸です。

中嶋悟が車に臆病なほど神経質に接しているのを見ると、私たち一般のドライバーがカーナビをチラチラ見ながら運転するのは、とんでもなく不用心な気もします。中嶋が言う「運が良かったから、今まで事故に会わなかっただけ」というのは、全てのドライバーが留めておくべき言葉ではないでしょうか。

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