日本テニスが最も輝いた日 /伊達公子VSグラフの死闘
これを見ずしてテニスを見たことにはならないと、断言したくなる名勝負です。1996年4月29日、有明コロシアムで開催された女子の国別対抗戦、フェドカップは日本のテニス関係者、ファンにとって忘れられない1日になりました。3時間25分におよぶ文字通りの死闘が展開され、まるで大河ドラマを見ているかのような錯覚さえ覚えるました。ドイツと日本が1勝1敗で拮抗したなか、世界女王として君臨するシュテフィ・グラフと日本のエース伊達公子が対戦します。
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さらに前日には悪いニュースが飛び込んできます。膝を痛めていた伊達が練習中に怪我を悪化させたというもので、歩行すらできない状態になりました。伊達の棄権か、出場しても一方的な展開でグラフが勝利するという予想が多く、駆けつけた日本のファンも絶望的な気分になっていました。私もそんな気分でテレビをつけたのを覚えています。
94年の全豪オープンの準決勝で伊達はグラフと対戦しますが、圧倒的な力の差を見せつけられてストレート負けします。この時グラフはこんなことを語っています。
当時の伊達は「ライジング・サン」と呼ばれる注目株でしたが、日本のメディア向けのリップサービスと思われました。あまりにも実力差がありすぎたからです。しかしグラフの予想通り、伊達はランクを上げてトップ10に入りました。
95年のリプトン国際選手権の決勝で、再び両者は顔を合わせます。この時も実力差を見せつけて、グラフのストレート勝ちでした。しかしグラフはこんな風に語りました。
他の選手を褒めることが少ないグラフが、このような言い方をするのは奇妙でした。そしてグラフの予言通り、伊達は4位にランクインします。後にわかるのですが、グラフにとって伊達はやりにくい相手だったのです。
グラフの弱点はバックハンドだと言われていました。しかし伊達は執拗にグラフにフォアハンドを打たせます。グラフは正確無比のトップスピンで、動けない伊達を左右に揺さぶり、第1セットを5-0とリードしました。テレビの解説者もバックハンドを狙えと言い、私も伊達の強気が裏目に出ていると思いました。あえてフォアハンドで打たせては、グラフの角度のあるボールに翻弄されるだけです。しかし伊達は食い下がるようにフォアハンドをグラフに打たせ続けました。
伊達の武器はライジングショットと言われる、バウンドした直後にボールを打つショットです。これを織り交ぜながらグラフのリズムを少しずつ狂わせるために、フォアハンドを打たせていたのです。足が満足に動けない伊達は、持てる限りの武器を総動員して女王に挑んでいたのに、意地を張っていると思っていた私は恥ずかしく思いました。
グラフにバックバンドを打たせるのは、別の意味もありました。グラフはまわり込みながら打つフォアハンドを得意としていました。直前までラケットが体の陰に隠れ、どこを狙っているのか予測も目測も難しいショットです。
最初にあえてフォアハンドを打たせてリズムを奪い、そこからバックバンドを打たせて、まわり込みながらのフォアハンドを封じる。しかしそれには、単にライジングショットで翻弄するだけでは無理でした。伊達は普段は使わない、ギャンブル性の高いショットを多用することにします。ダウン・ザ・ラインと呼ばれるサイドラインと平行に放たれるストレートショットです。
序盤に5-0に追い込まれたことで、伊達はギャンブル性の高い勝負に、開き直って挑むことができました。
ここからは両者の我慢比べのような展開になり、ギリギリのところで伊達がタイブレークをものにして第1ゲームを奪いました。あの女王グラフから第1セットを奪ったという事実、5-0からひっくり返したという驚き、そして明らかにペースを乱されているグラフの様子から、ただならぬことが起ころうとしている気配がありました。
依然として伊達の足は苦しそうでしたが、「もしかして」という期待と「まさかそんなことが」という想いが交錯し、有明コロシアムは異様な空気に包まれます。たまらず観客席の松岡修造が立ち上がり、巨大な日の丸を振って声を張り上げます。その松岡の姿に押され、会場のほとんどの人が伊達に声援を送りました。
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第3セットでマッチポイントを迎えたのは伊達でした。あと1ゲームで勝利だと自覚した途端、体が硬くなってしまいます。わずかにストロークがベースラインを超えると、これをチャンスとばかりにグラフが反撃に出ます。「一回目のマッチポイントを取れなかった時、もうチャンスは来ないと思った」と、伊達は語ります。しかし勝利の女神のきまぐれか、伊達の執念の結果か、試合は再びタイブレークになります。
グラフのマッチポイントで迎えた第12ゲームは、激しいラリーの末にグラフのショットがアウトして、伊達は首の皮一枚で繋がります。「もう勝つとか負けるとか、それどころじゃなかった」と伊達が語るように、すでに体力は限界に近づき、激しい痛みからぼんやりする意識を保つのに精一杯でした。
第20ゲームになると、両者の体力は明らかにすり減っていました。伊達の見事なダウン・ザ・ラインが決まると、グラフは一歩も動くことができません。水分補給をする姿は弱々しく、すでに女王の威厳は消えかけていました。このゲームを伊達が左足を引きずり、苦痛に顔をゆがめながらなんとか奪いました。
グラフの足では、伊達の揺さぶりに対応できなくなっていました。それに動揺したのか、グラフはダブルフォルトのミスを犯します。激しいフラストレーションを無表情の仮面で押し殺すことが難しくなってきたグラフに、苛立ちの表情が覗くようになります。
観客席にいた人の話によると、地鳴りのような声援が伊達に送られていたそうで、声援に答えるように伊達の目は猛禽類のように鋭く、ここにきて老獪さを見せるようになります。左右に何度もグラフを揺さぶり、クロスボールをバックバンドでラインぎりぎりのダウン・ザ・ラインを決めると、グラフは呆然と見送るしかありませんでした。
それでも全く諦める様子を見せないのが、グラフが女王たるゆえんであり、グラフの気高さでした。残りの体力と気力を振り絞り、伊達をねじ伏せにかかります。
サービスゲームもものにした伊達の勢いは止まらず、グラフのショットがネットに阻まれた時に試合は決しました。3時間25分の死闘に終止符が打たれ、女王シュテフィ・グラフは伊達の前に陥落しました。満面の笑みで勝利を味わう伊達に、グラフは少しだけ笑って握手をしました。観客の興奮は収まることなく伊達に降り注がれました。
この3か月後、ウインブルドンの準決勝で対戦しますが、第1セットをグラフ、第2セットを伊達が奪い、フェドカップの再現か?と興奮冷めやらぬ中で日没順延となってしまい、翌日に行われた第3セットはグラフが奪って勝利しました。日没順延がなければ、伊達が再び勝利したのではないかと言われる試合で、グラフがいかに伊達のテニスを苦手としていたかが語られています。その2か月後に、伊達は電撃的な引退会見を行い、テニス界を去りました。
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戦前の予想
女王グラフの有利を誰も疑いませんでした。伊達は過去に6度グラフに挑み、全ての試合で負けています。伊達が「グラフは全てが別格」と言うように、あらゆる選手にとって高い壁であり続けました。そのため伊達が勝つと言う人はいませんでした。善戦を期待する人は多くいましたが、伊達が勝つ姿を思い浮かべることは難しかったのです。![]() |
| ※女王シュテフィ・グラフ |
さらに前日には悪いニュースが飛び込んできます。膝を痛めていた伊達が練習中に怪我を悪化させたというもので、歩行すらできない状態になりました。伊達の棄権か、出場しても一方的な展開でグラフが勝利するという予想が多く、駆けつけた日本のファンも絶望的な気分になっていました。私もそんな気分でテレビをつけたのを覚えています。
過去の対戦
グラフは鉄壁の強さを誇ると同時に、あらゆるものをシャットアウトしていました。例えば試合前の練習には別の場所でアップしてギリギリに現れ、試合後はシャワーも浴びずに帰っていたのです。他の選手と会話を交わすどころか挨拶さえも拒否して、自分の世界に他者が入り込むことを許しませんでした。グラフにとってあらゆる選手が敵であり、敵にわずかな隙すら見せたくなかったのです。94年の全豪オープンの準決勝で伊達はグラフと対戦しますが、圧倒的な力の差を見せつけられてストレート負けします。この時グラフはこんなことを語っています。
キミコはトップ10に入ってくる。あれほど強いストレートショットを低く正確に打てる選手はいない。
当時の伊達は「ライジング・サン」と呼ばれる注目株でしたが、日本のメディア向けのリップサービスと思われました。あまりにも実力差がありすぎたからです。しかしグラフの予想通り、伊達はランクを上げてトップ10に入りました。
95年のリプトン国際選手権の決勝で、再び両者は顔を合わせます。この時も実力差を見せつけて、グラフのストレート勝ちでした。しかしグラフはこんな風に語りました。
キミコはもうすぐトップ5に入ってくる。いやトップ3かもしれない。
他の選手を褒めることが少ないグラフが、このような言い方をするのは奇妙でした。そしてグラフの予言通り、伊達は4位にランクインします。後にわかるのですが、グラフにとって伊達はやりにくい相手だったのです。
意地の張り合いに見えた序盤戦
痛々しいほど膝にテーピングを巻いてコートに現れた伊達の姿を見て、勝てそうな雰囲気を感じた人は皆無だったでしょう。痛み止めにより感覚がない足を動かし、それでも襲ってくる痛みに耐えながら伊達はプレイしていました。グラフの弱点はバックハンドだと言われていました。しかし伊達は執拗にグラフにフォアハンドを打たせます。グラフは正確無比のトップスピンで、動けない伊達を左右に揺さぶり、第1セットを5-0とリードしました。テレビの解説者もバックハンドを狙えと言い、私も伊達の強気が裏目に出ていると思いました。あえてフォアハンドで打たせては、グラフの角度のあるボールに翻弄されるだけです。しかし伊達は食い下がるようにフォアハンドをグラフに打たせ続けました。
周到な伏線
数年後、伊達は作戦としてグラフのフォアを狙ったと語りました。「グラフに弱点なんかないですよ」と伊達は言いますが、フォアハンドでリズムを狂わされると、バックハンドでミスが出ることに気づいていました。だから序盤の伊達は、リズムを変えてフォアハンドを打たせることに徹底したそうです。伊達の武器はライジングショットと言われる、バウンドした直後にボールを打つショットです。これを織り交ぜながらグラフのリズムを少しずつ狂わせるために、フォアハンドを打たせていたのです。足が満足に動けない伊達は、持てる限りの武器を総動員して女王に挑んでいたのに、意地を張っていると思っていた私は恥ずかしく思いました。
グラフにバックバンドを打たせるのは、別の意味もありました。グラフはまわり込みながら打つフォアハンドを得意としていました。直前までラケットが体の陰に隠れ、どこを狙っているのか予測も目測も難しいショットです。
最初にあえてフォアハンドを打たせてリズムを奪い、そこからバックバンドを打たせて、まわり込みながらのフォアハンドを封じる。しかしそれには、単にライジングショットで翻弄するだけでは無理でした。伊達は普段は使わない、ギャンブル性の高いショットを多用することにします。ダウン・ザ・ラインと呼ばれるサイドラインと平行に放たれるストレートショットです。
序盤に5-0に追い込まれたことで、伊達はギャンブル性の高い勝負に、開き直って挑むことができました。
伊達の逆襲
5-0という後がない状況から、グラフのバックハンドにボールを集め出した伊達は、ここから5ゲームを連取してタイブレークに持ち込みました。痛みからあえぐように空を見上げる伊達と、フラストレーションを押し殺すように無表情なグラフは対照的でした。ここからは両者の我慢比べのような展開になり、ギリギリのところで伊達がタイブレークをものにして第1ゲームを奪いました。あの女王グラフから第1セットを奪ったという事実、5-0からひっくり返したという驚き、そして明らかにペースを乱されているグラフの様子から、ただならぬことが起ころうとしている気配がありました。
依然として伊達の足は苦しそうでしたが、「もしかして」という期待と「まさかそんなことが」という想いが交錯し、有明コロシアムは異様な空気に包まれます。たまらず観客席の松岡修造が立ち上がり、巨大な日の丸を振って声を張り上げます。その松岡の姿に押され、会場のほとんどの人が伊達に声援を送りました。
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意地と死闘の幕開け
第2セットはグラフが強烈なサーブを武器に、リズムを狂わされようが何をされようが関係ないような試合ぶりで、全てのサービスゲームをものにして勝利しました。これで1-1の引き分けになり、勝負は第3セットに持ち込まれました。第3セットでマッチポイントを迎えたのは伊達でした。あと1ゲームで勝利だと自覚した途端、体が硬くなってしまいます。わずかにストロークがベースラインを超えると、これをチャンスとばかりにグラフが反撃に出ます。「一回目のマッチポイントを取れなかった時、もうチャンスは来ないと思った」と、伊達は語ります。しかし勝利の女神のきまぐれか、伊達の執念の結果か、試合は再びタイブレークになります。
グラフのマッチポイントで迎えた第12ゲームは、激しいラリーの末にグラフのショットがアウトして、伊達は首の皮一枚で繋がります。「もう勝つとか負けるとか、それどころじゃなかった」と伊達が語るように、すでに体力は限界に近づき、激しい痛みからぼんやりする意識を保つのに精一杯でした。
第20ゲームになると、両者の体力は明らかにすり減っていました。伊達の見事なダウン・ザ・ラインが決まると、グラフは一歩も動くことができません。水分補給をする姿は弱々しく、すでに女王の威厳は消えかけていました。このゲームを伊達が左足を引きずり、苦痛に顔をゆがめながらなんとか奪いました。
追い詰められた女王
「ここまできてリタイアするのは嫌だった。グラフも足に痙攣がきてたから、彼女より先にコートを出たくなかった」グラフの足では、伊達の揺さぶりに対応できなくなっていました。それに動揺したのか、グラフはダブルフォルトのミスを犯します。激しいフラストレーションを無表情の仮面で押し殺すことが難しくなってきたグラフに、苛立ちの表情が覗くようになります。
観客席にいた人の話によると、地鳴りのような声援が伊達に送られていたそうで、声援に答えるように伊達の目は猛禽類のように鋭く、ここにきて老獪さを見せるようになります。左右に何度もグラフを揺さぶり、クロスボールをバックバンドでラインぎりぎりのダウン・ザ・ラインを決めると、グラフは呆然と見送るしかありませんでした。
それでも全く諦める様子を見せないのが、グラフが女王たるゆえんであり、グラフの気高さでした。残りの体力と気力を振り絞り、伊達をねじ伏せにかかります。
決着
22ゲーム目に入り、伊達はクロスボールをダウン・ザ・ラインで決め、さらに次もダウン・ザ・ラインで奪います。ボールの頭を撫でるように打つトップスピンが多用される近代テニスにおいて、伊達はボールに対してラケットを直角に当てるストレートショットを多用します。この方がボールの威力は増すもののコントロールが難しいのですが、小柄な伊達が球威を増すための手段です。さらにそれをライジング・ショットで打つという、ハイリスクなスタイルをとってきました。さらにこの日は、ネットにもサイドラインにもぎりぎりに迫るダウン・ザ・ラインで仕掛けていったのです。多くのリスクを一手に引き受け、伊達は勝負を賭けました。サービスゲームもものにした伊達の勢いは止まらず、グラフのショットがネットに阻まれた時に試合は決しました。3時間25分の死闘に終止符が打たれ、女王シュテフィ・グラフは伊達の前に陥落しました。満面の笑みで勝利を味わう伊達に、グラフは少しだけ笑って握手をしました。観客の興奮は収まることなく伊達に降り注がれました。
試合を終えて
伊達は笑みを浮かべながら「私ひとりの力では、ここまで頑張れなかった」と、コーチや応援してくれたファンに感謝を述べました。グラフは「今日のプレイに満足していません。がっかりしています」と述べながらも「今日の試合を恥ずかしいとは思いません。テニスにはこういう日もあるということです」と、敗北を受け入れていました。ただ伊達のことを聞かれると「キミコは世界のトップになる可能性を秘めている。ただしクレーのフランスや、グラスのウインブルドンで勝てればだけど」と、伊達の課題も指摘しました。この3か月後、ウインブルドンの準決勝で対戦しますが、第1セットをグラフ、第2セットを伊達が奪い、フェドカップの再現か?と興奮冷めやらぬ中で日没順延となってしまい、翌日に行われた第3セットはグラフが奪って勝利しました。日没順延がなければ、伊達が再び勝利したのではないかと言われる試合で、グラフがいかに伊達のテニスを苦手としていたかが語られています。その2か月後に、伊達は電撃的な引退会見を行い、テニス界を去りました。
まとめ
日本人が世界のトップに勝ったという事実は、その後に大きな影響を与えました。女子テニス躍進のきっかけになり、杉山愛や遠藤愛などの活躍が続くことになります。メディアとの対立が続き、悪く書かれることばかりだった伊達でしたが、この勝利ばかりは各紙が絶賛して報道していたのも印象的でした。大阪なおみのUSオープン優勝という快挙が起こるまで、日本テニス界最大の勝利がこの日の伊達の勝利だったのです。関連記事:大坂なおみは日本に残るだろうか /アメリカ市場と二重国籍




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