日本の競泳を変えた日(1) 千葉すずという異端

※この記事は2016年8月21日に、前のブログに書いた記事の転載です。

リオ五輪で躍進した日本の競泳は、かつては惨敗の屈辱を味わったこともあります。1996年に開催されたアトランタ五輪で日本の競泳はメダルがゼロに終わり、日本の競泳が終焉したかのように言われました。そこから20年かけて競泳が復活したのは、ある事件がきっかけだったと言われています。事件の中心にいたのは千葉すずという自由形の選手で、170cmの長身で好記録を連発した天才スイマーです。






2000年スイスのローザンヌにあるスポーツ仲裁裁判所は、訴えを起こしていた千葉すず選手の敗訴を言い渡し、千葉のシドニー五輪出場がなくなりました。日本最速のスイマーがオリンピックに出られない異常事態と裁判を起こした千葉の動向は大きなニュースになっていました。そしてこの日が、日本水泳連盟(以下、水連)に大きな変化をもたらすことになります。

話は1991年に遡ります。世界水泳選手権で、千葉すずは200mと400mの自由形で銅メダルを獲得しました。世界最速のスイマーを決める自由形は、それまで日本にとってメダルと縁のない競技でした。そこにまだ15歳で、しかも笑顔が可愛い美少女が2つもメダルを獲ったことで、メディアは千葉をアイドルのように取り上げます。「すずスマイル」という言葉とともに、千葉の写真が週刊誌に溢れることになりました。翌92年に開催されるバルセロナ五輪のメダル候補と報じられ、千葉選手には日本全国からメダルの期待がかかります。



しかし実際には92年のバルセロナ五輪では、自己ベストを出してもメダルに届くか微妙な位置でした。連日の過熱する報道は千葉にプレッシャーを与え、時間も場所も構わず押しかける取材陣に千葉選手は嫌悪感を抱くようになります。さらに不遜な態度でインタビューを受けることもありました。千葉は鼻っ柱の強い、世間知らずの高校生でした。そんな彼女に大人の対応は無理でした。そのため取材陣に露骨に嫌悪感を示すことも増え、千葉選手とメディアに溝が生まれていきます。

結局、千葉選手はバルセロナでメダルが取れず、メディアの取材は200m平泳で金メダルを獲った岩崎恭子選手に集中します。このとき千葉は、約10年間続けた水泳に興味を無くしかけていました。しかし悩んだ末に千葉は水泳を続けます。そして大学生になると、学生生活の締めくくりとしてアトランタ五輪を戦うことを決めました。この頃もアイドル性は変わらず人気者で、水連の要請のままにメディア対応もやりました。当時はアマチュア規定によりテレビ出演しても自分には一銭も入りませんが、出演料が選手の強化費用になると聞かされて、テレビに何度も出演します。

※バルセロナで金メダルを獲得した岩崎恭子

人生最後の五輪でメダル獲得に賭けた千葉は、世界的な流れを受けて、水着の自由化を水連に直談判します。しかし断られてしまい、この辺りから水連と千葉の溝が顕在化していきます。そうして迎えたアトランタ五輪は悲劇的でした。水連は過去最大規模の選手団を派遣すると息巻いていましたが、世界記録更新の期待がかかる林亨選手は、個人トレーナーすら連れて行けませんでした。選手団の多くは理事の家族などで構成されていたのです。疲れた体にムチを打ってテレビに出た出演料は、理事の家族旅行の費用になったのか?そんな疑問と怒りがあったとしても当然だと思います。

※アトランタ・オリンピック

さらに連日の「メダルが見えた!」などの実力を上回る無根拠な煽り報道に、選手達は萎縮していました。選手の多くは10代で、これまでのレースとは違う雰囲気に飲まれていました。さらに連日の報道は過剰なプレッシャーとなりロッカールームで震える選手もいたようです。最年長の選手として、そして五輪経験者として千葉はそんな選手たちに声を掛けていきます。

「結果なんかどうでもいいじゃない」
「オリンピックは楽しんだもん勝ちだよ」
「せっかく来たんだから楽しもう!」

この時、初めて代表に選ばれた田中雅美選手はプレッシャーに押しつぶされていて「あの時、すずさんがいなかったら、私達は泳ぐこともできなかった」と語っています。選手を励ます一方で、詳細は不明ですが千葉は何度も水連と交渉しています。「メダルを獲れと言うなら、やるべきことはやって欲しかった」という千葉と水連の溝は、大会中に深く取り返しのつかないレベルになっていきます。

※現在は水泳の解説者を務める田中雅美

アトランタ五輪の競泳はメダルがゼロで、歴史的な大敗になりました。最高位は背泳の中村真衣や、千葉も出場したメドレーリレーの4位でした。そもそも連盟のバックアップが不足し、緊張に震える競泳選手団が好成績を収めるはずもなかったのです。そんな惨敗ムードの中で、女子競泳陣のテレビ出演が行われました。

アトランタからの中継で、テレビ朝日のニュースステーションに出演した女子競泳陣は異様にハイテンションでした。カラフルなポンポンを持ち、何人かはカツラまでつけていました。過剰な期待を負わせる報道陣や日本国民、そして水連への彼女達の精一杯の反抗だったのだと思います。司会の久米宏に「みんながメダル、メダルって、うるさかったでしょ?」と問われた千葉は「そんなに欲しければ自分で獲れば、って感じです」と答え、久米を大いに喜ばせます。さらに久米に煽られて「日本人はメダルキ○ガイですよ」とまで言いました。これにメディアが一斉に噛みつきました。

※ニュースステーションの久米宏

これまで根拠のない煽り報道を繰り返したメディアは、千葉に批判されたことで一斉にバッシングを開始しました。さらに千葉に批判されていた水連も同様で、千葉を徹底的に批判して歴史的敗戦の責任を押し付けました。敗因を尋ねられた連盟の幹部は「千葉のせいだ」「千葉がオリンピックを楽しむと言ったのが良くなかった」「みんなが千葉菌に感染してしまった」などなど、1人の選手に責任の全て擦りつけるだけでなく、人をバイキン扱いする異常で幼稚なコメントをしています。普通なら水連は激しい批判が向けられたでしょう。しかし世間は日本国民を「メダルキ○ガイ」とまで言った千葉の態度に不満が溜まっていたため、メディアも水連を支持しました。こうして千葉へのバッシングが全国に吹き荒れ、千葉は全国的な嫌われ者になったのでした。

これで千葉すずのスイマーとしてのキャリアは終わったはずでした。千葉は静かに引退を宣言しました。しかしこの後、思わぬ形で千葉は復活を遂げることになるのです。

次回に続きます。


関連記事:日本の競泳を変えた日(2) 千葉すずのレジスタント
               日本の競泳を変えた日(3) 千葉すずの裁判




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