「嫁は姑の言うことを聞くべき」は武家ごっこではないか

 世の中には未だに長男の嫁は夫に尽くし、舅姑の指示に従うべきみたいなことを言う人がいるようで、ネットではその手の相談が後を絶ちません。この手のことを言う人は時代錯誤だと言われることが多いのですが、果たして本当に時代錯誤なのでしょうか?私はこの手の人は時代錯誤ではなく、武家ごっこをしているようにしか思えません。今回は、なぜこのようなごっこ遊びを日本の伝統のように言う人がいるのかを考えてみます。


江戸時代の武士の給料

武士は現在の公務員と言えます。殿様に仕えて仕事をこなし、給料をもらって生活しているわけです。仮に鈴木さんという武士がいて、奉行所に勤めています。現在なら警察官や裁判所職員のような仕事をしていて、妻と子供と両親を養っています。江戸時代の武士は現在の公務員と違って、給料は鈴木さん自身に払われるわけではありません。給料が支払われるのは鈴木家なのです。

つまり殿様が雇っているのは鈴木さん個人ではなく鈴木家で、殿様に仕えるのは鈴木さんだけでなく家族全員になります。そのため亭主を家から送り出して後は会社で頑張ってというわけにはいかず、家族全員が殿様や藩のためにできることをしなくてはなりません。普段の勤めに出かけるのは鈴木さん1人ですが、何かあれば家族総出で働くことも当然なのです。

江戸時代の嫁

このように武士の家は殿様や幕府などから給料をもらっているのですから、現在なら親会社と子会社、または下請け企業の関係にも似ています。それぞれの家は小さな会社みたいなもので、外に行って仕事をするのはご主人かもしれませんが、お礼状を書いたり贈り物をしたり、時には上司を家庭に招いて接待するのは子会社の社員とも言える家族が行うのです。


このような中で、嫁をもらうというのはどういうことでしょうか。他の家で育った女性を自分の家に迎えるのですから、会社に例えると中途採用のような側面があります。ですから嫁は口答えするなというのも、まずはこの会社の仕事のやり方を覚えなさいというのと同じなのです。現在も中途採用の社員に対して仕事に関して意見をしたいなら、まず仕事を覚えろと言われますが、それと同じです。そして旦那は昼間は出かけているので、嫁の教育係は舅姑になります。嫁は舅姑の言うことに従うのは、新入社員と教育係社員の関係だからで、最初から口答えするようでは仕事を覚えられないからなのです。

長男の嫁の最大の仕事は子作り

先に書いたように、江戸時代では個人にではなく家に対して給料が支払われていました。そして武士は世襲制で、長男が跡を継ぐことになっていました。そのため武士の妻の最大の仕事は、跡取りを産むことになります。もし男子を産むことができず子供がいないとなると、年老いた旦那が引退してしまえば給料が入ってきません。家も社宅のようなものですから、出ていかないといけません。収入が断たれて家族全員が住む所を失うのです。ですから後継の男の子を産むのは家族全員にとって死活問題なのです。

しかし男児を1人産んだだけでは安心できません。江戸時代の平均寿命は30歳から40歳と言われていて、それは生後1年の乳児死亡率が20%を超えていたことが影響しています。七五三を祝うのも乳児死亡率の高さの影響で、子供が無事に成長していることを祝っていたのです。そのため男児を1人産むだけでは不安で、2人3人と産まなくては安心できません。男児を産むというのは、自身の老後のためになるのですから、せっせと子作りと子育てに励むことになったのです。子作りと子育てをせずに、働きたいとか習い事をしたいなんて言っていたら、自分達が将来困ることになってしまいます。

現代の事情とは全く異なる背景

このように現代の事情とは全く異なる背景があり、当時は必要だから出来上がった慣習だったのです。給料が個人に支払われ、サラリーマンのように跡取りがいなくても年金がもらえる現在に、嫁は舅姑に従えとか、嫁は夫に尽くせとか言うのは全く実情に合わないのです。ましてや共働きが当たり前になった現在では家事を夫婦で行うのは当たり前ですし、江戸時代の慣習を持ち込んでも反発しか招きません。

なぜ令和の現在でも江戸時代の慣習を持ち込んで、嫁を家政婦のように扱う人がいるのでしょうか?これを時代錯誤なのでしょうか。私は武家ごっこのように思えてしまいます。日本の伝統のような言い方をする人もいるようですが、先に書いたように伝統でもなんでもなく、当時の社会制度の中で必要だから行われていたに過ぎず、それなら現在の社会制度に合った生き方をする方が良いのです。時代に合わない江戸時代の話を持ち込んで生活するのは無理があり過ぎるのです。

長男教というのも変な話

今でも長男教と言われる、長男だけを大事にする人がいるようです。かつては「三男坊の冷や飯食い」なんて言葉があったくらい、後継の長男は重宝されるのに三男坊は大事にされなかったようです。これも先に書いたように、家を継ぐのは長男であって次男三男は長男が亡くなった場合のスペアだったからです。

しかし今では多くの家庭で後継は不要です。後継がいなくても年金をもらって老後の生活ができますし、自分で働くことも可能です。江戸時代では長男が病気をすることもなく元気に成人を迎えたら、次男三男をどうするかは悩みの種でした。しかし現代では勝手に働いて自立することが可能です。長男だからという理由で特別視する理由はほとんどないと言って良いでしょう。それでも長男を特別にするというのは、江戸時代の武家ごっこのように思えてしまいます。

まとめ

嫁いびりの話が出ると、嫁が尽くすのは昔から行われてきた当たり前のことのように言われることがあります。しかしそれは時代に合わせて必要だから行われてきたことであり、時代が変わった現在でも「伝統だから」と言って行おうとするのは無理があります。反発が起こるのは当然ですし、何より意味がありません。今の時代にこういうことをする人は、江戸時代の武家ごっこをしているように思えてならないのです。


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