ワシル・ロマチェンコ /ウクライナの英雄は無事に帰還できるか

 ボクシングの勝ち方には、大きく分けて2つあります。相手を続行不能に追い込むKOやTKO勝利と判定勝ちです。しかしウクライナのワシル・ロマチェンコは「ロマチェンコ勝ち」という、新たな言葉を生み出しました。現在最高峰のボクサーであるロマチェンコは、2022年3月21日に声明を出して6月5日の世界戦をキャンセルしたことを発表しました。祖国ウクライナを守るために戦うことを優先したのです。今回はワシル・ロマチェンコというボクサーについて書いていきたいと思います。


ロマチェンコ勝ちと呼ばれる勝ち方

WBOスーパーフェザー級王者のロマチェンコは、2016年11月26日にラスベガスでニコラス・ウォータース(ジャマイカ)の挑戦を受けました。抜群のコンビネーションで圧倒されたウォータースは、6Rあたりからボディブローを返して粘ります。しかし面白いようにパンチを顔面に打ち込まれ続けると、8R開始のゴングに応えず自ら棄権を申し入れました。これでロマチェンコは、WBO王座の初防衛に成功しました。

※ニコラス・ウォータース戦

続く2017年4月8日には、ジェイソン・ソーサ(アメリカ)を迎えて2度目の防衛戦に挑みます。序盤はソーサのプレッシャーにロマチェンコが後退する場面が見られましたが、すぐにソーサの動きを見切って次々にパンチを被弾させるようになります。ソーサは被弾覚悟で前へ前へと出ますが、それを軽くいなしてパンチを当て続けます。全くパンチが当たらないソーサと、パンチを当て続けるロマチェンコの差が明確になり、9R終了後にセコンドが試合を止めました。ソーサはもはや打たれるために立っているだけになっており、レフリーもいつ試合を止めるか見ている状況でした。

そして同年の8月5日、ミゲル・マリアガ(コロンビア)の挑戦を受けます。この試合はロマチェンコが前に出てプレッシャーを掛け、マリアガが下がる展開になります。マリアガのパンチはほとんどヒットすることなく、一方的にロマチェンコが殴り続ける展開になり、マリアがの防戦一方になっていきます。7R終了時にマリアガは試合を棄権し、ロマチェンコのTKO勝利となりました。

さらに同年12月9日には、スーパーバンタム級王者のギレルモ・リゴンドウの挑戦を受けます。リゴンドウは下の階級の王者とはいえアマチュアボクシングのエリートで、圧倒的なテクニックで無敗を誇る王者です。ハイレベルのテクニックの応酬になると思われていましたが、なんとリゴンドウがロマチェンコのスピードについていけずにワンサイドのゲームになってしまいます。6R終了時点でリゴンドウが試合を棄権してロマチェンコのTKO勝利となりました。

※ギレルモ・リゴンドウ戦

なんとここまで4戦連続の棄権勝ちです。相手がギブアップして勝利するのはボクシングではなくプロレスかと思ってしまいますが、自分のパンチがかすりもせず、ただ一方的に殴られる状況が続いてしまい棄権を選択することになってしまったのです。相手の戦意を奪い、棄権させる勝ち方は「ロマチェンコ勝ち」と呼ぶ人もいて、ロマチェンコの異次元の強さを表しています。

ワシル・ロマチェンコの経歴

誕生からアマチュア王者へ

1988年にウクライナのオデッサ州に生まれました。6歳からウクライナの伝統的なダンスを始め、父親からボクシングの手ほどきを受けます。アイスホッケーに興味を持った時期もあり、ボクサーにならなければアイスホッケーの選手になっていたと言っています。アマチュアボクシングを続けながら南ウクライナ教育大学を卒業していますが、大学在学中から世界選手権などに出場しています。

※ロンドン五輪

2007年の世界選手権で銀メダル、2008年の北京オリンピックで金メダル、さらに全欧州選手権でも金メダルを獲得しています。さらに2009年、2011年の世界選手権で金メダルを獲得すると、2012年のロンドンオリンピックで金メダルを獲得しました。ロマチェンコは400戦近く戦い、負けたのは2007年世界選手権の決勝だけでした。アマチュアで無敵を誇ったロマチェンコは、その後プロ転向を決めます。

プロへ転向

アメリカに渡ったロマチェンコはトップランク社と契約し、2013年10月12日にデビュー戦を行います。対戦相手はWBOインターナショナル王者のホセ・ラミレスでした。これを難なく4RKOで撃破すると、デビュー2戦目でWBO世界フェザー級王者のオルランド・サリドに挑戦します。しかし計量でサリドの体重超過、そしてアマチュアにはないプロ特有の反則スレスレの行為に苦しみ、判定で敗北を経験しました。この敗戦がロマチェンコを強くしました。彼は2度と同じ轍を踏まないことを誓い、逞しさを身につけました。

次戦は2014年6月21日、WBO世界フェザー級王者決定戦でゲーリー・ラッセル・ジュニアと対戦します。この試合を2-0の判定で勝利すると、プロ入り3戦目で世界王座に着きました。以降、3度の王座防衛を行いますが、どれも圧勝でした。WBO王座しか保持していませんでしたが、フェザー級最強の王者と目されるようになりました。

複数階級制覇へ

2016年6月11日、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでWBOスーパーフェザー級王者のローマン・マルチネスに挑戦しました。ロマチェンコはフェザー級王座を保持したままでの挑戦で、体格差を不安視されましたが、初回からフェザー級王者を圧倒します。何度もストップ寸前まで追い込み、5RKOで2階級制覇を実現しました。ここから上記のロマチェンコ勝ちで、4度の防衛を果たしました。

※ルーク・キャンベル戦

リゴンドウをギブアップさせてから半年後の2018年5月12日、WBA世界ライト級王者のホルヘ・リナレスに挑戦します。階級の差が出たのか、6Rにはプロ入り初のダウンを奪われますが、10RKOでロマチェンコは3階級制覇を達成しました。さらに同年12月8日、WBO世界ライト級王者のホセ・ペドラザに挑戦し、判定で王座統一に成功しました。その後WBA・WBO王座を1度防衛した後、空位になったWBC王座決定戦に出場し、ルーク・キャンベルと対戦します。キャンベルにも判定で勝利し、3団体の王座を統一しました。

王座陥落

2020年10月17日、ロマチェンコは4団体統一を賭けてIBF世界ライト級王者のテオフィモ・ロペスと対戦します。ロマチェンコ圧倒的有利の下馬評でしたが、序盤からロマチェンコは消極的で手が出ない展開が続きます。中盤からロマチェンコは攻勢に出ますが、決定的な場面を作れないまま試合が終了し、0-3で王座を失いました。驚きの敗戦と言われ、日本のWOWOWでは解説陣がロマチェンコ寄りの解説をしていたため、疑惑の判定と騒ぐ人も出るほどでした。

※テオフィモ・ロペス戦

試合前から痛めていた右肩の手術を受けると、2021年6月26日にラスベガスで中谷正義と対戦し、一方的に殴り続けて9RKOで勝利します。さらに同年12月11日、元世界王者のリチャード・カミーと対戦して圧倒的なポイント差で判定勝利しました。これでロマチェンコの復活に期待が集まり、世界挑戦が噂されるようになります。ロマチェンコに勝ったテオフィモ・ロペスは、防衛戦でジョージ・カンボソス・ジュニアに負けていました。ロマチェンコとカンボソスの対戦が計画され、2022年6月5日に対戦が決定しました。

ロマチェンコの強さ

ロマチェンコは決して打ち合いをしません。しかしアウトボクシングをするわけでもありません。相手のパンチを被弾しない位置から、一方的に相手を殴り続けます。それを実現しているのは、圧倒的なフットワークの上手さです。フットワークが速く巧みで、瞬時に相手のパンチを被弾せず、自分がパンチを打てる場所に移動しています。そのため対戦相手は常にパンチを打ちにくい場所から打たざるを得ず、一方的に殴られ続けることになります。

さらにロマチェンコは強打を持っていません。しかしタイミングが絶妙で、相手が前に出てくるタイミングでパンチを当てていきます。そのためパンチの強さがなくても、確実に相手にダメージを与えていきますし、KOも奪っています。常に有利な位置にいるので、安全圏から効果的なパンチをまとめて打ち込むことができ、さらにタイミングが良いため強烈なパンチがなくても倒せるわけです。

※ロマチェンコのトレーニング


またクリンチも巧みです。ロマチェンコの父はたくさんのスポーツをやらされていたようで、その中にはレスリングもあります。ロマチェンコはロープに詰まるとクリンチするのですが、前から抱き抱えるようにするのではなく、相手の背後に回って両手ごと抱き抱えます。これはレスリングのバックをとる技術の応用なのは明らかで、背後から体重を預けて抱きつくため相手は体力を消耗するうえにパンチを出すこともできません。

このようにロマチェンコの対戦相手は、多くの場合は手詰まりになってしまい、ただ一方的に殴られ続けて最終ラウンドまで我慢するか、倒れるか諦めるかになってしまいます。どんな強打を持っていても、パンチを当てにくい位置に常にいるロマチェンコに被弾させることは難しく、強打もさほど意味がなくなってしまいます。

ウクライナ戦争

2022年2月21日、ロシアがウクライナへの侵攻を開始しました。ロシア国境沿いのドンバスに戦車部隊が侵攻し、24日にはロシアのプーチン大統領がウクライナで虐げられた人々を救うために、軍事作戦を行うことを発表しました。キエフ、ハリコフ、オデッサ、ドンバスで次々に爆発が起こり、ロシアの本格的な軍事侵攻が始まると、ウクライナは必死の抵抗を見せていました。キエフ市の市長で、元ヘビー級世界王者のビタリ・クリチコはイギリスのテレビ番組に出演し、徹底抗戦を宣言します。ここからウクライナの長い戦いが始まりました。

※戦闘服を着たロマチェンコ(左)


2月28日、ロマチェンコはFacebookを更新し、ウクライナの準軍事組織である民兵部隊の領土防衛隊に入隊したことを発表します。すでに家族はギリシャに避難しており、ロマチェンコはアメリカから祖国に戻って銃を手にしてロシアと戦うことを決めたのです。ウクライナで従軍したロマチェンコは頻繁にSNSを更新しており、カンボソス戦やボクシングへの想いを語っていました。そして3月21日、複数のメディアがロマチェンコが6月5日のカンボソスとの試合をキャンセルしたと伝えました。ロシアとの戦争はまだ続いており、このままウクライナを離れることができないと判断したのです。

カンボソスは次の対戦相手をデビン・ヘイニーに変更し、試合の交渉を始めました。さらにロマチェンコの判断を支持するコメントをTwitterに発表しています。

あなたの決断を尊重し、理解し、あなたとあなたの国のために祈ります。どうか無事でいてください。そして私がヘイニーを倒したら、2人で真のチャンピオンを決めましょう。神の加護を

復活をかけたロマチェンコの試合は、彼の判断で流れてしまいました。自らの栄光と祖国の危機を測りにかけ、祖国を選んだのです。この決断に、カンボソスだけでなく多くのボクサーやファンからロマチェンコの判断を支持する声が集まっています。

まとめ

かつてはパウンド・フォー・パウンド1位に君臨したロマチェンコは、敗戦によりその栄光から転落してしまいました。その転落から這い上がり、ようやく王座に近づいたという時に祖国ウクライナで戦争が始まってしまいました。ロマチェンコは祖国で戦うことを決め、世界戦をキャンセルしました。その勇気ある決断に多くの支持が集まっており、ロマチェンコの無事を皆が願っています。早く戦争が終結し、ロマチェンコの華麗なボクシングをリングで見たいと願ってやみません。 



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